九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

西野新監督に期待することを今のうちに書いておくw 1970

2018年04月10日 01時33分36秒 | Weblog
①守備でのマンツーマンはヤメテな。
①としたがこれで殆ど事足りるんだけどw
ハリル解任に繋がった理由の8割はこれだろう。彼のコンセプト、デュエルを下敷きにした守備でのマンツーマンが崩壊の主な原因だから。
豪州戦もハイチ戦も、韓国、マリ、ウクライナ戦も全て守備でのマンツーマンが原因で相手に終始主導権を渡す展開になった。

中盤の人間が全員マンツーマンで守備につく。この結果、ハリルのチームではMFに求める仕事の8割が守備になる。それは上記の試合で日本の攻撃はDFからサイドへのロングパスを中心に構成されていた事を見れば分かる。そこにはSHを経由したビルドアップもMFから裏のスペースへのパスも無い。とりあえずDFからサイドへ、そこからFWに当てるか、若しくはDFからFWに当てるロングパスしか無かった。
後はひたすらマンツーマン。そうやって清々しい位のフィジカルサッカーを繰り広げたが、そんなの今の日本がやった処でウクライナにも相手にされない。
マンツーマンによるマイナスは守備面でも大きかった。
人にベッタリ付いてる分、相手に2対1の状況を作られると直ぐにスペースが空く。ウクライナや韓国にはこの形から何度もスカスカになったバイタルを使われた。
また、相手からしても日本の守備の形は非常にスペースを作りやすい。

マンツーマンをメインにしないでスペースは管理する守備や相手攻撃を遅らせる守備をやればこうはならない。少なくとも今のJや歴代の代表見てもここまでマンツーマンに拘って裏目に出たチームは無い。
だから西野新監督には先ずマンツーマンを止めて欲しいわけよ。これが無くなればかなり違うから。

②というわけで中盤にはパサーを入れてくれ
①の関連だがマンツーマンを止めて中盤とサイドを使った攻撃に変えればこれまで冷遇された日本最大の武器になる中盤のパサーが使える。
山口がパス出すなんて悪夢のような形よりは余程まともな攻撃になるわw
それに4枚並んだDFが後ろで右から左、左から右にパスをだらだら回しながら無駄なロングパスで攻撃を終わらせる場面も少なくなる。中盤のパサーに預ければいいわけだから。

残り少ない時間だが①②だけでもやってくれれば試合内容はガラッと変わるのは間違いない。そして、これをやれば日本の対戦国のスカウティングも無駄に出来る。
ヨロシクね。

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ハリルジャパン(156)ハリル解任に思う  文科系

2018年04月09日 21時40分14秒 | スポーツ
 ハリルが解任になった。強く反対するというものではないが、思う所を少々。誰が、ハリル戦略を正しく受け継げるか、そこがかなり悲観的であるというのが、僕の見解だ。

 ドルトムントのゲーゲンプレスが現れてからの2010年過ぎ、世界サッカーは激しく変わった。ブラジル大会でも個人技世界一のブラジルがドイツに大敗するなど、これによる激しい変化がみられた。このドイツと対等以上に戦った大会唯一の監督がハリルだったのは有名な話だ。彼がそれを出来たのは、アフリカ人チーム特有の身体能力を生かせたからと語る説が日本では強いが、僕は全くそう思わない。彼の日本代表チーム戦略も、現世界の流れと、そこから観た日本の弱点をよく踏まえていたと愚考する。ただし、これが繋ぎに拘る一部の選手の反抗に遭遇した。解任理由はそういうことだろう。

 こういう彼の戦略の定義をしておくと先ずは、敵陣内にある敵ボールを強引に奪取して、縦に速く攻めるとしたものである。このボール奪取戦略の一つの前提として、前後陣を縦に詰めた、1990年頃のイタリアで生まれたコンパクト・プレスを必要に応じて使えなければならぬということも指摘しておきたい。この戦術は創始者のアリゴ・サッキが解説しているように、全員がまさに「一糸乱れず」を不可欠とするもの。前が1人でもプレス(走り)をサボったり、後ろの1人が判断が遅れたりすれば、致命傷になる。
 
 さて、現在進行中のACLをみても分かるようにアジア内でさえ当たり弱い日本は、この強引ボール奪取にも、逆に奪取されることにも、非常に弱いチームと言える。「日本らしい連携、繋ぐサッカー」などと人は簡単に言うが、日本らしく当たり弱い繋ぎなどは、今のボール奪取戦略にあってはひとたまりもない面がある。特に、クラブとは違って代表チームは短期育成ゆえ、連携強化は難しい。逆に、強豪のボール奪取に慣れている西欧勢などから日本がボールを奪うのも、どんどん難しくなっている。
 以上の理由からこそ、ハリルの「デュエル最大重視」が出てきているのである。

 さて、次期代表監督は西野に決まった。彼は、ガンバ大阪で繋ぎのチームを作っていたが、不成績で解任されている。こんな彼でも流石に、今の世界潮流には通じてはいよう。が、通じていることと、それを短期間のトレーニングでさらに充実させるすべを持っているかどうかということとは、別の話である。なんせ監督としての彼が活躍できた時代は、ドルトムント世界旋風からドイツ代表が世界を席巻し始める前のこと。そこから僕は、こんなロシアW杯を想像せざるを得ない。
「敵ゴール前の身方繋ぎからボールを奪取されて、カウンター失点」
「身方陣地前への敵の速い攻めに、堪りかねて反則・PK」

「大事な場所、機会に当たり弱さがどうしても出てくるチーム」、これが世界における日本なのだが、そこを西野が変えられるとは思えないのである。ついては、多く、安易に繋ごうとする選手は使わず、柴崎のように広い視野に裏付けられて簡単にかつ広くプレーする技術がある選手を選ぶことだ。ただし、敵ゴール前にドリブル突っ込みを敢行する原口、中島タイプは必要だと思う。
 以上は、ブラジル大会でも骨身に染みた日本の教訓だったはずである。
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遅い!!!www 1970

2018年04月09日 14時32分12秒 | Weblog
1年遅いんだよw

しかし、ここまで引っ張ったら更迭は無いと思ったが、流石に本番の地獄絵図を想像したら協会も耐えられなかったんだろう。

まあここまでの全ての試合内容を見れば日本代表はどこまでトンチンカンな方向に行くのだろうという感じだったのでここから2ヶ月突貫工事で修正するように。
本番前にまとまって合宿出来るからな。少しでもまともな戦術をベースにした試合を出来るようにしてください。ドン引きだけはヤメロwww

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トランプという人間(7)「炎と怒り」から  文科系

2018年04月08日 12時42分53秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今年1月発刊なのに瞬く間に全米170万というベストセラー「炎と怒り」。それも、この日本語訳が出た2月下旬に既にこの数字! 読み進むうちに、それも当然と、どんどん感慨が深くなって行った。この本を読むと、何よりも、「今のアメリカ」が分かるのである。こういう人物が大統領選挙に勝ってしまったというアメリカの現状が常軌を逸しているというそのことが。そういう内容紹介を、ほぼ抜粋という形で始めていく。泡沫候補の時代からトランプ選挙陣営の取材を許可されていた著者は、何回か全米雑誌賞を取った著名なフリージャーナリスト。そんな彼が経過順に22の題名を付けて描いたこの本の紹介には、エピソード抜き出しというやり方が最も相応しいと考えた。

 さて初めは、既に有名になった大統領当選が分かった時のトランプの様子
『勝利が確定するまでの一時間あまり、スティーブ・バノンは少なからず愉快な気持ちで、トランプの様子が七変化するのを観察していた。混乱したトランプから呆然としたトランプへ、さらに恐怖にかられたトランプへ。そして最後にもう一度、変化が待ち受けていた。突如としてドナルド・トランプは、自分は合衆国大統領にふさわしい器でその任務を完璧に遂行しうる能力の持ち主だ、と信じるようになったのである』(P43)

 次が、「トランプの会議のやり方」。「初めて出席した時には本当に面食らった」とこの著者に話したのは、ラインス・プリーバス。政治や選挙の素人ばかりが集まったトランプ選挙陣営に選挙終盤期に初めて入ってきた玄人、共和党の全国委員長だ。彼の協力もあって当選後は、大統領首席補佐官になったが、間もなく解任された人物でもある。
『プリーパス自身はトランプに望みはないと思っていたが、それでも万一の保険にトランプを完全には見捨てないことにした。結局は、プリーパスがトランプを見捨てなかったという事実がクリントンとの得票差となって表れたのかもしれない。・・・・それでもなお、トランプ陣営に入っていくプリーバスには不安や当惑があった。実際、トランプとの最初の会合を終えたプリーバスは呆然としていた。異様としかいいようのないひとときだった。トランプはノンストップで何度も何度も同じ話を繰り返していたのだ。
 「いいか」トランプの側近がプリーバスに言った。「ミーティングは一時間だけだが、そのうち五四分間は彼の話を聞かされることになる。同じ話を何度も何度もね。だから、君は一つだけ言いたいことを用意しておけばいい。タイミングを見計らってその言葉を投げるんだ」』
(P67)

 さて、今回の最後は、トランプの性格。選挙中からトランプに張り付き、200以上の関係者取材を重ねて来た著者による、言わば「結論部分」に当たる箇所が初めの方にも出てくるのである。
『つまるところ、トランプにだまされまいと注意しながら付き合ってきた友人たちがよく言うように、トランプには良心のやましさという感覚がない。トランプは反逆者であり破壊者であり、無法の世界からルールというルールに軽蔑の眼差しを向けている。トランプの親しい友人でビル・クリントンのよき友でもあった人物によれば、二人は不気味なほど似ている。一つ違うのは、クリントンは表向きを取り繕っていたのに対して、トランプはそうではないことだ。
 トランプとクリントンのアウトローぶりは、二人とも女好きで、そしてもちろん二人ともセクハラの常習犯という烙印を押されている点にはっきりと見て取れる。ワールドクラスの女好き、セクハラ男たちのなかにあっても、この二人ほど躊躇も逡巡もなく大胆な行動に出る者はそうそういない。
 友人の女房を寝取ってこその人生だ、トランプはそううそぶく。・・・
 良心の欠如は、トランプやクリントンに始まったことではない。これまでの大統領たちにもいくらでも当てはまる。だがトランプは、誰が考えても大統領という仕事に必要と思われる能力、神経科学者なら「遂行機能」と呼ぶべき能力が全く欠けているにもかかわらず、この選挙を戦い抜き、究極の勝利を手にしてしまった。トランプをよく知る多くの者が頭を抱えていた。どうにか選挙には勝ったが、トランプの頭では新しい職場での任務に対応できるとはとても思えない。トランプには計画を立案する力もなければ、組織をまとめる力もない。集中力もなければ、頭を切り替えることもできない。当面の目標を達成するために自分の行動を制御するなどという芸当はとても無理だ。どんな基本的なことでも、トランプは原因と結果を結びつけることさえできなかった。』(P51~2) 

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随筆紹介 春彼岸   文科系

2018年04月07日 07時13分07秒 | 文芸作品
 春彼岸  K・Kさんの作品です


 春らしい陽気に誘われて夫と散歩に出た。寺の前にはしだれ桜が見事で、永代供養の案内もある。夫も古希を過ぎた。私たちの永眠先を考えようと思っていたところ。「下見をして行こうか?」、話しかけた。「縁起でもないこというなよ。早く逝ってしまう気がする」、気乗りしない様子。でも境内の花につられて歩を進める。

 樹木葬は芝生の中にプレートが並び陽を浴びている。供養塔は厳かな雰囲気だ。扉を開けると仏壇のように祀られていた。今は家族にとらわれず、友人関係、隣近所など横のつながりで一緒になるのもあると事務所の方に聞いて、時代の流れを感じる。
 私が生前予約を考えるのは父の影響から。父は卒寿を過ぎたころから終活を始めた。大学ノートに没後に連絡してほしい人の電話番号もあった。そのころ菩提寺に母と永代供養も申し込んでいた。戒名までつけられていたのには驚いた。墓の土地を処分してまで永代供養に切り替えたのは、子どもたちに将来の負担をかけたくないという思いだったのだろう。父は九十二歳で急に旅立ったが、生前の準備のおかげで迷うことなく終えることができた。七年前のこの時から、私は父と同じように準備したいと思っていた。

「俺も次男だから自分たちの事をなんとかしなくてはな」、夫は考え始めた。兄弟や子どもたちに相談している。「決めよう」、夫は決心した。父の遺影に「私も見習ったよ」、話しかけた。


(この作品は、中日新聞「暮らしの作文」に載りましたので、覚えのある方もいらっしゃると思います)
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「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(3) 文科系

2018年04月06日 13時12分30秒 | Weblog
 さっき、こういうコメントを付けた。これをやや詳論したい。

『 戦前日本を庇う人が、その国連脱退を何も見ず、ハルノートのような太平洋戦争直前の「不当性」を問題にしているのが、笑える。要は、こういう話なのだから。
「国連をさえ脱退した国際的無法者が、それらの記憶も薄れた今になって何を言うか! その無法者ぶりには頬被りして・・・」

 大東亜共栄圏が出来たら、アジア人は日本天皇の臣民にされたろう。天皇制を批判したら、死刑である。これは、もしもドイツが勝っていたら世界がこうなっていたのと同じ事だ。ユダヤ人、身障者、黒人などの皆殺し。
 こんな世界を誰が望んだろうか。だからこそ、日独が負けたことが、世界にとってどれだけ良かったことか! 今の世界のみんながそう考えるはずである。』

 このコメント前半部分は、右論者の常道の一つ。1931~3年の満州事変、国連脱退を何も語らないのである。現代世界では、北朝鮮でさえ脱退していないのに。国連を脱退すれば、国連法に縛られなくなる代わりに、独立国として認められる国連の庇護が無くなるわけである。戦前日本はこれ以降の事実として、どんどん無法者になっていった。

 コメント後半の「もし日独が大戦に勝ったら」という問いも、大戦をどう見るかにとって極めて重要なものだろう。
 日本には国民はいなくて臣民(天皇の家来である民)だけが存在したのだから、大東亜共栄圏とはこういうものになったはずだ。日本の天皇が支配するアジアに。日本天皇制度を批判したら、先ず死刑という「共栄圏」である。まー今批判されている戦前の朝鮮や、中国の一部やのような有り様を考えてみればよい。安重根のようなその国の愛国人士が殺されたとか、南京大虐殺のように反日勢力は皆殺しにあったとか。
 また、ヒトラーの世界支配など今の誰が望むのだろうか。鬼畜と言われた米英は、日独にも自由を与えた。原理としては黒人も有色人種も安心して住める社会であったし、戦後社会は事実としてもどんどんそう進んでいった。
 こういう事実を前にしたら、右論者がよく語るこんな理屈も全く噴飯ものとなろう。
「日本、太平洋戦争は、植民地解放に貢献した」
 
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ある「男のぼやきごと」をめぐって   文科系

2018年04月06日 12時33分42秒 | 文芸作品
 Hさん作品「男のぼやきごと」に思ったこと M・Kさんの作品です

 Aさんは一流企業を勤め上げ、その間奥さまは自分の生活をエンジョイ。貯金(使わなければ紙キレ同然)はなくても、現在、健康で住む家があり、畑の仕事もできて、奥さまは高価な品を今も大切に使い、心豊かに暮らしている。事故災難もなく(途中、あったかも知れないが)人生を謳歌しているようにも想像できる。Aさんは、そんな姿を愛しているのでは?……
Bさんも堅実で夫婦円満。お二方とも平均的に恵まれているケースのお話だと思いました。昭和二十年前後生まれの方はバブルとリーマンショックを経験している。何があってもブレないかもしれない。
 最後に、奥さんの留守中に夕食を調達するBさんと、嫁さんの分も見繕って買って帰るAさんとの「男」の顔が微笑ましい。
 それにしてもHさん、この会話をよく拾えたこと、感心しました。会話の一つひとつを覚えられて流れの良い文章力に脱帽です。
 ちなみに私はブランド物には興味がなく、素朴なものに惹かれます。〈現実、買えないんだけれど〉笑。
 それぞれに価値観の違いですね。だから世の中面白い。
 文科系さんは、「Aさんを理解不能な人物」とあったので、書く気になりました。


M・Kさんにお応え  文科系

感想を下さったMさんに感謝して、一つこんな物語でお応えします。

「貴女、大変、一郎が離婚するって。まさかあの子が、それも成田離婚……」
「えーっ、あいつのことだから決心は固いよな……。にしても、どういう理由で?」
「えー、成田離婚って、普通は女性の方に男性が不審を持って……あれ、あのことよ!」
「えーっ、そりゃ重大な、許せないことだ。貴女がもしそうだったら、僕だって……」
と思わず口に出してしまった男は七〇歳、妻は六〇半ばという、夫婦の会話。女と男二人の子どものうち下のご長男のことなのである。小学生でも知っている大会社で取締役も勤め上げた夫は、退職時には年収三〇〇〇万というお宅。横浜外人墓地に近い高台に自宅を構え、妻は「模範的」専業主婦だ。「模範的」というのは例えば、隅々まで美しい家事の見事さや子育て。長女が京都大学文学部卒、長男は東京大学病院の外科勤務医である。

 さて、この夫さん、家の貯金がいくらあるかなど、当然気にされたこともない。家庭内では、すべてをお連れ合いさんに委ね、彼女がいないと身動きさえとれない。だからなのか、このご長男も間もなく別の方と結婚され、今はもう子ども三人の立派なお父さんだ。
ということで、Mさん、こういうご夫婦も一応知ってはいます。ただ、僕とはいろいろ対照的という意味で「理解不能な人物」と言いました。そして、こういう家がまた、外からは分からない大変な悩みもお抱えなもの。「だから世の中面白い」のかどうか?
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随筆紹介  「切 る」    文科系

2018年04月05日 08時37分19秒 | 文芸作品
  切 る   H・Sさんの作品です


 昨年十月両肩を痛めた。台風でなぎ倒されたコスモスを切り取り、折れた生け垣の小枝を鋏と鋸で切って後片付けをした作業で腕を酷使したようだ。夕方右肩は痛かったが、一晩寝れば解消するので気にもしなかった。が、右肩の痛みは解消せず日を経るにしたがって痛みは酷くなっていった。右手で荷物が持てないので左手を使うようになり、左肩も同じように痛みがきつくなって来た。〈こりや大変だ〉、あまりにも痛みがひどいので整形外科を受診した。両肩の関節に水がたまるような炎症が起きていて、水をぬき、痛み止めの薬を両肩関節に入れる治療を受けた。二日ほど痛みは止まっていたが、ぶり返し、痛み止めの内服薬で凌いた。両肩の痛みで一番困ったのは料理だ。固い固形物を切ることが出来ないのだ。まな板の上に人参を置き包丁を入れて切り分けようとすると、肩に痛みが走るので包丁が押し込めない。物を切る動作は、手先でやっているわけではなく、肩の力で包丁を押し込んで両側に分ける。つまり組織の緻密な固形物を切るのは強力な肩の力を加わえないとやれないということを初めて体験した。
「みそ汁の具に入れたいのに大根、人参が切れないから、明日から味噌汁の具はもやしにする」と、家族に宣言した。
 日頃から、親はこき使え、その方が長生きすると、自分に都合のよい理論で生活している鬼娘(次女)が、根菜類は刻み下茹でして朝あたため、味噌を入れればみそ汁が出来るようにしてくれたが、この鬼娘は「明日から朝食は私が作るから心配しないで」なんて優しいことは絶対言わない。十一月半ばになって手が楽に使えるようになりハンバーグが作れるようになった。
 年末到来。十二月三十一日、二か月前に予約していた鰤半身が届いた。一、四キロある。これをさばいてカマの部分を切り取り、残りの一キロ強を背と腹の二つに分ける。背の方から元旦に食べる切身を三人分とる。残りの皮を剥ぎ寿司ネタを作る。これが年末恒例の私の仕事だ。包丁の切れが悪い。〈そうだ。関の刃物製造所でほれ込んで買った包丁・関の孫六があった。これを使えば何とかなるだろう〉、新品の孫六にお出ましを願った。無事、鰤はおろしおえ、用途に合うよう切り分けることが出来た。
 夕食の寿司をつまみながら寿司命の鬼娘が「お母さん鰤さばくのに苦労したみたいだから来年から鰤買わなくていいよ」と、優しいことを言った。〈ほんまかいな。人使いの荒い鬼娘。あてにはならんぞ〉と口にこそ出さなかったが私はそう思っていた。
 舌の根も乾かない正月明けに友人と焼津へ旅行した鬼娘は、またもや、えへへと言いながら鮪の塊りを買ってきた。これって私に寿司を作れということではないか。生鮪だったのでさばくことに苦労することはなかったが……。この分では大晦日の鰤半身は今年も注文することになるだろう。しょうがないか……。私も食べたいのだから……。

 肩を痛めて困ったことは、腕が伸びないから洗濯物が干せない。風呂で両手でタオルを上下させながら背中を洗うことが出来ない。衣服の脱ぎ着がしにくく時間がかかる。何気にやれていたこと全てに支障が出る。それを知らされた出来事だった。
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予選リーグ予想 1970

2018年04月02日 00時41分29秒 | Weblog
まあ余程のことが無い限り監督交代は無いだろうw
なので、予選リーグ3試合を考えてみる。

vs.コロンビア
4-0or4-1負け
ブラジルでは3戦目にやられた相手。その時のメンバーが今回も中心。監督もペケルマン。チームとしての成熟度ははるかに上。4年前と大きく変わるのはこっちの戦い方。あの時より劣化wデュエルだけのチームでは試合にならない。向こうにはちゃんと戦術がある。
4年前よりも更にボールを保持出来ない日本はコロンビアのサンドバッグになること必至。

vs.セネガル
4-1or5-2負け
初戦ポーランドと戦うセネガルは日本戦に予選リーグ突破を懸けてくる。つまり勝つだけじゃなく得失点差も考えた戦い方に出る。ここで日本がザック時代のようなボールキープをしながら試合をコントロールする戦術でやれば希望は大だが当然そんなサッカーはやってないので、お互いノープランのアフリカスタイルの戦いになる。そういう試合じゃセネガルの足元にも及ばない。90分間守備に追われる。

vs.ポーランド
スコア? 負け
ポーランドがこの試合迄に予選リーグ突破を決めていれば1位通過、2位通過を選ぶ戦い方になる。2位の方が決勝トーナメントで有利となればロースコア。是が非でも1位となれば鬼のような攻撃にさらされる。一番読めない試合。但し試合内容は予選3試合の中で最も相手にコントロールされる試合にはなるだろう。ノープランでは今のヨーロッパのどの国とやっても相手にならない。

先日のウクライナ戦後、長友のコメントとして『自分達でボール保持出来ないと裏に蹴りました→裏に抜けました→取られましただけで守備の疲労が半端ない』
というのがあった。年末の韓国戦の惨敗、その後のマリ戦、ウクライナ戦もこれを繰り返したが、本番はそれがもっと顕著になる。
相手は仕上がってるからね。
そして、今までの日本の試合をスカウティングすれば、どの国も日本との試合には大量得点を狙うのは間違いない。あまり差がないコロンビア、セネガル、ポーランドにしてみれば予選リーグで最も重要なのは日本から何点獲るかになるから。
まあポーランド戦は状況次第だが。

長友のコメントにあるようにDFの疲労だけが蓄積する戦い方しか出来ないので、初戦はまだいいとしても次のセネガルには過去見たことない失点をする可能性もあるな。
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随筆紹介 小心者   文科系

2018年04月01日 09時07分30秒 | 文芸作品
 小心者  S・Yさんの作品です


 あるサークル活動の一環として「戦争と平和の資料館・ピースあいち」に行くことになった。私は昔から戦争関連の映像や書物は苦手なので積極的な参加ではない。展示は予想通りの残酷なパネルばかりであった。企画展は「戦争の中の子どもたちと動物たち」がテーマ。胸が苦しくなって目を覆いたくなる。
「目をそらさないでください。これが戦争です」というような大きな文字が飛び込んできた。そう、わかっている。そんなことはわかっている。この目の前にある地獄絵図のような光景、そして戦争という名のもとに平然と無差別殺人が称賛される光景。だが私は、赤ん坊や子どもの悲惨な写真はどうにも正視できない。
 ふつふつと怒りがこみ上げる。戦争をしてきた国、しようとする国や人に強い憤りを感じる。なんの権利があってまじめに生きている人々、ましてや子どもたちや動物たちをも巻き込んで無残に死に追いやるのか。愛知県下の空襲時の写真や体験記にも胸が塞がった。

 帰宅してからも脳裏には惨い映像が張り付いたまま。やはり虚弱な私の神経は耐えられそうになかった。満州事変から十五年続いた戦争を国民は防ぐことができず、一方向を向いて突き進んでしまった。なんとも恐ろしいことだ。その時代、その現場に居合わせたら、私だって同様に流されてしまったことだろう。だからこそ自分の確かな目や、思考を、しっかりと持たなければと、今更ながら感じる。

 戦後七十数年という長い年月が過ぎ、戦争体験者も少なくなり、戦争という負の歴史も徐々に遠くなっていく。だが今も世界のあちこちでは戦争や紛争が絶えないのも事実。
しかし、世界では平和のための努力も続けられていることにホッとする。
 このピースあいち資料館も発端はひとりの老女性からの寄付から始まったのだとか。戦争を繰り返してはならない。そのためにも戦争を伝え、平和を考える活動を続けるという趣旨のNP0の会員らで成り立っている。全員ボランティアである。が、財政は弱体で、寄付や助成金で補っているのが現状。
 すぐさま私も賛助会員になった。ちっぽけなことしかできないが生きてる限りは応援したい。気の小さい私はあの資料館で活動する勇気はない。情けないがそれが私という人間なのだ。ボランティアで活動されている方々には頭が下がる。後々、私の知人の中にも何人か活動されていることを知って非常に驚いた。ますます自分が情けない。

会員になってしばらくしたころ、資料館から分厚い冊子が贈られてきた。開くと解説とともに戦争時の写真が掲載されている。慌てて閉じて、本棚の奥にしまった。また動悸が激しくなってくる。惨いものには蓋をして、見なかったことにするつもりなのか、と自問する。私は小心者だ。いや偽善者だ。
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