「モーツァルトにとってザルツブルクがなくてはならない土地であったように、モンゴメリーにとってもプリンス・エドワード島は、彼女の作品を生み出す上で絶対に必要な土地でした。もし、モーツァルトがザルツブルク以外の土地に生まれていたならば、現在残っているようなモーツァルトの音楽とは、また違った雰囲気の曲になっていたと思いますが、それくらいに、モーツァルトの音楽とザルツブルクという土地は、深いところでつながっていました。それと同じことが、モンゴメリーについても言えます。プリンス・エドワード島でなければ、彼女は『赤毛のアン』は書けなかったはずです。
僕がプリンス・エドワード島に初めていったのは、大学院生の頃で、二度目は、その二、三年後でした。島に実際行ってみると、高い建物がないので空が大きく広がっていて、少し高台に行くと真っ青な海が見えます。そして、どこまでもなだらかな緑の丘がいくえにも続いている。とても美しいところで、アンの島だということから離れても、良いところだと感じました。
島に到着した最初の頃は、キャベンディッシュ村とかグリーン・ゲーブルズなんかを観光していたのですが、そのうち自分が追い求めているのは違うもののような気がしてきました。木ではなくて森が見えてくる感じでしょうか。
キャベンディッシュから自転車で少しいったところに、ノースラスティコという漁村があるのですが、そこのロブスターはすごくおいしかった。そして、そこの海の美しさ!赤土の道の先に真っ青な入り江が延びていて、無限の色の変化が起こる。赤土の赤からあおむ、そして海のブルーへと。
その頃は車の免許をもっていなかったので、自転車で回ったのですが、島は思ったよりも広く、とても回りきれませんでした。今だったら、ドライブして回ってみたいですね。そうしたら『赤毛のアン』の島であることを忘れてしまうかもしれない。それくらい、島全体が本当に美しかった。
ただ一方では、マシューとマリラが、アンが車でプリンス・エドワード島のことをなんとも思っていなかったのも理解できました。確かに、素晴らしい風景なのですが、作品から感じられるなにか特別なものは、そこにはなかったのです。プリンス・エドワード島のどこにも赤毛のアンはいない。ダイアナ・バリーもいないし、「輝く湖」もない。つまり、実際に「輝く湖」はあるのだけれど、あの作品のような見え方はしていないのです。
あまりにも土地と作品が結びついていると、あたかもその土地=作品の世界だと思ってしまいがちですが、やはり小説はフィクションなのです。『赤毛のアン』は、あくまでもモンゴメリーの頭のなかでつくった創作であって、彼女の感性と想像力の豊かさから生まれたものなのです。まただからこそ、モンゴメリーの創造性のすごさが、プリンス・エドワード島に行ったことで改めて分かった気もしました。」
「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫) | |
茂木 健一郎 | |
講談社 |