たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

月組『エリザベート』_思い出し日記(2)

2020年01月13日 23時41分12秒 | 宝塚
2019年10月6日:月組『エリザベート』思い出し日記



2018年11月16日蘭乃はなちゃんの公式ブログの『エリザベート』観劇日記を引用させていただきます。
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1443923.html

蘭ちゃんの宝塚観劇ブログ、毎回文章が素敵。演者だった人はこんな見方をしているのか、ふむふむと目からウロコです。


「ちゃぴ(愛希れいかさん)の卒業公演。
娘役トップ時代を共に過ごした仲間であり色々な話題を共有できる友人。
ちゃぴのエリザベートはしなやかで繊細で、シシィを演じることや舞台に立つことへの喜びが光となって放たれてるようでした。歌もお芝居も、そして最後のデュエットダンスも本当に素晴らしかったです。明後日の千秋楽まで無事に過ごせますように。

トートの珠城さんは、さすが珠城さん!という感じで…というのも彼女は(いや彼は)下級生の頃から色んなものが見えてて気づいてる人なのだろうと思っていたのですが、それが魅力的に役に反映されて、エリザベートのことも見守ったり導いたり気づきを与える存在にも見えて、さらにトート自身の見てるものを誰とも共有できない孤独とか悲哀を感じて、大きな愛を持った孤高の人だったのが印象的で素敵でした。

フランツの美弥さんも、ルドルフに通ずるような危うさや甘みがあって父と息子という部分やシシィとの関係性の説得力が素晴らしかったです。今まで多くの方々が演じたきた役にまだこんな解釈や表現があったのか!と目からウロコでした。」


 郷里の生活に適応できず、家に戻ってしまったことがここまで自分を苦しめることになることを全く分かっていなかった自分は人生を間違えたのか、なんでもっと人生設計をしなかったのかと自分を責めづつけるこの頃、昨夜からとつぜん『エリザベート』の中の、「計画どおりうまくいくわけがない、予定どおりうまくいかない、番狂わせ、面白い」がリフレイン。第一幕第六場バート・イシュル エリザベートの姉ヘレネとフランツ・ヨーゼフを結婚させるためのお見合いだったのにフランツがダンスの相手に選んだのは妹のエリザベート。マザコン皇帝のフランツが唯一母の意見に従わなかったエリザベートとの結婚。大帝国が沈みゆこうとしていることなどしらないハプスブルク家をストーリーテラーのルキーニが嘲笑うかのように歌う場面。歌うまでも音をとるのかすごくむずかしい場面。『エリザベート』の楽曲はどれもほんとに素晴らしくて耳に残ります。その中ではちょっと色が違う楽曲かもしれません。エリザベートとフランツが静止状態でゾフィー、ルドヴィカ、驚いた親せきたちが歌い踊ります。

 フランツがエリザベートを選んでしまったことはエリザベートを不幸にしてしまったのかもしれない、さらに長男ルドルフをも心中という最期に向かわせてしまったのかもしれない。2時間半の舞台では描かれていませんがエリザベートが唯一自分の手で育てることができた末娘は幸せな結婚生活を全うしたというのが救いかもしれない、二人の結婚は間違っていた、二人の間に子どもが誕生したことも間違っていた、そんな現実はこうして大きな歴史のうねりの中にも横たわっているわけでそれが国の行き先をも変えてしまったかもしれなかったわけで、こういうことを考え始めると終わらなくなってしますのですが、人生は計画しても計画どおりうまくいかないことの方が多いことを歴史がおしえてくれているのだという納得。今さら自分の人生の計画性のなさを責めても仕方ないのかと自分を慰めているしだい。歴史は、理屈どおりにはいかない人の営みを映し出している鏡なのかもしれません。生きるってむずかしいですね、ほんとに。

 宝塚の『エリザベート』はトートがいつもずっとエリザベートを見守っているところがあり、たまきちトートは蘭ちゃんがつづっているように特に見守っている感じがよくでていかもしれません。トートの大きな懐のなかで、トートが見守っていることをしらいなまに生きることをもがき続けたエリザベート。最期は二人で昇天していくところがオリジナルに忠実な東宝版と決定的に違うし、フィナーレのショーとダンスでほっとしながら夢の世界へと誘ってくれるとことが宝塚のありがたいところ。やっぱりキラキラの夢世界。

 次々とおそいかかる人生の困難に耐えて耐えて耐え続けて、しゅくしゅくと皇帝という与えられた役割をまっとうしたフランツは、人生そのままに舞台でも途中から登場したり途中で退場したりすることが多くすごくむずかしい役だと高嶺ふぶきさんがどこかで語っていたと思います。大きく歌い上げて発散できる場面はひとつもなく辛抱のいる役、麗しさと優しさと危うさと色気をにじませながらの美弥るりかさん、すばらしい体現ぶりでした。昨年4月に退団されたので今さらですが大劇場では喉を傷めて休演された期間があったので東京公演では無事全日程つとめられてよかったです。

 東宝をさんざん観劇したあとでの20年ぶりの宝塚の『エリザベート』、月組は歌が上手いというよりは芝居の月組のエリザベートを観たという印象だったでしょうか。専科の出演もなくお父さん役も組子がこなしていて若いなあとは思いましたが違和感のないあたりさすが芝居の月組。エリザベートが「わたしだけに」を歌い上げているときセリにのったベッドがおりると盆が回ってトートが姿を表すところがいちばん宝塚の『エリザベート』をみているんだという醍醐味を感じさせてくれるところで初演から大好きです。

 日比谷が遠くなり、あれほど通った帝国劇場の『エリザベート』もすっかり遠くなりましたが、宝塚も東宝も永遠に自分の中で特別な作品かもしれません。








一昨年のこと、まだ書き入れていないの・・・。

2009年『THEハプスブルク』より_《フランツ・ヨーゼフ1世》

2020年01月13日 16時21分47秒 | 美術館めぐり
 『THEハプスブルク』展、2009年9月25日から12月14日まで六本木の国立新美術館で開催されました。『エリザベート』が宝塚で1996年に初演、東宝で2000年に初演されていたので盛り上がりました。音声ガイドは東宝『エリザベート』でルキーニ役をシングルキャストで長く務めた高嶋政宏さん。ようやく分厚い本を読みながら少しずつ振り返り。

「実質的にハプスブルク家最後の皇帝として玉座についたのが、フランツ・ヨーゼフである。生真面目すぎて魅力に欠け、仕事ぶりも勤勉な官僚そのもの、おかげで人気は薄いが、しかしその一生を振り返ったとき、運命はまるで彼の地味な性格を補うかのごとく、実にドラマティックな出来事を次々繰り出してきた。

 フランツ・ヨーゼフは古めかしい小説の清廉な主人公のように、さまざまな難事や敵の仕掛ける罠をくぐりぬけ、あるいはひたすら耐え続け、決して自暴自棄にならず、ショックを受けて人格が変わることもなく、仕事の手を止めることはさらになく、歴史における自らの役割と淡々とこなしていった。

 18歳での戴冠だが、まずそこからして異例だった。なぜならフェルナンド一世が世継ぎを残さず亡くなったとき、次は当然、継承順位一位の実弟カール大公に王冠がゆくと誰もが思った。ところが「無能な人間ではだめだ」と、他ならぬカールの妻ゾフィーが強力な横槍を入れる。後に「ハプスブルク家唯一の<男>」と呼ばれる猛女ゾフィーは、こうして自分の夫を蹴落とし、可愛い長男フランツ・ヨーゼフを皇帝に仕立て上げたのだ。そのためフランツは生涯、母に頭が上がらなかったと言われるが、むしろ母の政治力に頼ったというのが本当だろう。国民感情が王制廃止へと向く中、颯爽と登場した若き皇帝は-ゾフィーの思惑どおり-人々の心を、一時的とはいえなだめることができた。

 孝行息子のフランツが母に逆らったのはただ一度、自らの結婚相手の選択においてだった。ヴィンターハルター描く《オーストリア皇妃エリザベート》を見ると、フランツの燃える恋心も納得させられよう。とはいえ長い目でみてこの結婚が正しかったかどうかはわからない。少なくとも幸せな夫婦生活ではなかった。エリザベートは窮屈な宮廷に窒息させられ、四人の子どもを生んだあとは(ひとりは早逝)、カイザーリン(=皇后)ならぬライザーリン(=旅人)と揶揄されるほど、旅から旅の日々を送り、夫や宮廷をほとんど顧みなかった。

 フランツ・ヨーゼフは妻の支えなく、難局に立ち向かう。オーストリア・プロイセン戦争で大敗し、ハンガリーの半独立を譲歩し、イタリアからも撤退するなど、帝国の領土は減ってゆく。私生活でも、メキシコ皇帝になった弟マクシミリアンの処刑に続き、一人息子ルドルフのマイヤーリンクでの心中という悲劇が襲う。

 ハンガリーを代表する画家ムンカーチの手になる老皇帝の肖像からは、義務にがんじがらめにされた男性の、ひとつの典型を見る思いがする。この時点ですでに十分痛ましいのに、二年後にはエリザベートのスイスでの暗殺が控えていた。皇后死去の報を受けた彼は「わたしはもうあらゆる辛酸をなめ尽くした」とつぶやき、仕事にもどったという。まだ終わりではない。後継者に選んだ甥のフェルディナント皇太子夫妻まで、セルビアで暗殺される(これが第一次世界大戦の引き金となる)。

 在位68年、激動のヨーロッパ情勢を鑑みれば、よくぞ続いたという長さである。フランツ・ヨーゼフは半ば気づいていたのではないだろうか、自分は王朝終焉の役割を担わされた身なのだと・・・。」

(家庭画報特別編集『ハプスブルク美の遺産を旅する』より)




ハプスブルク家「美の遺産」を旅する 改訂新版 (家庭画報特別編集)
南川三治郎
世界文化社