2019年10月6日:月組『エリザベート』思い出し日記
2018年11月16日蘭乃はなちゃんの公式ブログの『エリザベート』観劇日記を引用させていただきます。
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1443923.html
蘭ちゃんの宝塚観劇ブログ、毎回文章が素敵。演者だった人はこんな見方をしているのか、ふむふむと目からウロコです。
「ちゃぴ(愛希れいかさん)の卒業公演。
娘役トップ時代を共に過ごした仲間であり色々な話題を共有できる友人。
ちゃぴのエリザベートはしなやかで繊細で、シシィを演じることや舞台に立つことへの喜びが光となって放たれてるようでした。歌もお芝居も、そして最後のデュエットダンスも本当に素晴らしかったです。明後日の千秋楽まで無事に過ごせますように。
トートの珠城さんは、さすが珠城さん!という感じで…というのも彼女は(いや彼は)下級生の頃から色んなものが見えてて気づいてる人なのだろうと思っていたのですが、それが魅力的に役に反映されて、エリザベートのことも見守ったり導いたり気づきを与える存在にも見えて、さらにトート自身の見てるものを誰とも共有できない孤独とか悲哀を感じて、大きな愛を持った孤高の人だったのが印象的で素敵でした。
フランツの美弥さんも、ルドルフに通ずるような危うさや甘みがあって父と息子という部分やシシィとの関係性の説得力が素晴らしかったです。今まで多くの方々が演じたきた役にまだこんな解釈や表現があったのか!と目からウロコでした。」
郷里の生活に適応できず、家に戻ってしまったことがここまで自分を苦しめることになることを全く分かっていなかった自分は人生を間違えたのか、なんでもっと人生設計をしなかったのかと自分を責めづつけるこの頃、昨夜からとつぜん『エリザベート』の中の、「計画どおりうまくいくわけがない、予定どおりうまくいかない、番狂わせ、面白い」がリフレイン。第一幕第六場バート・イシュル エリザベートの姉ヘレネとフランツ・ヨーゼフを結婚させるためのお見合いだったのにフランツがダンスの相手に選んだのは妹のエリザベート。マザコン皇帝のフランツが唯一母の意見に従わなかったエリザベートとの結婚。大帝国が沈みゆこうとしていることなどしらないハプスブルク家をストーリーテラーのルキーニが嘲笑うかのように歌う場面。歌うまでも音をとるのかすごくむずかしい場面。『エリザベート』の楽曲はどれもほんとに素晴らしくて耳に残ります。その中ではちょっと色が違う楽曲かもしれません。エリザベートとフランツが静止状態でゾフィー、ルドヴィカ、驚いた親せきたちが歌い踊ります。
フランツがエリザベートを選んでしまったことはエリザベートを不幸にしてしまったのかもしれない、さらに長男ルドルフをも心中という最期に向かわせてしまったのかもしれない。2時間半の舞台では描かれていませんがエリザベートが唯一自分の手で育てることができた末娘は幸せな結婚生活を全うしたというのが救いかもしれない、二人の結婚は間違っていた、二人の間に子どもが誕生したことも間違っていた、そんな現実はこうして大きな歴史のうねりの中にも横たわっているわけでそれが国の行き先をも変えてしまったかもしれなかったわけで、こういうことを考え始めると終わらなくなってしますのですが、人生は計画しても計画どおりうまくいかないことの方が多いことを歴史がおしえてくれているのだという納得。今さら自分の人生の計画性のなさを責めても仕方ないのかと自分を慰めているしだい。歴史は、理屈どおりにはいかない人の営みを映し出している鏡なのかもしれません。生きるってむずかしいですね、ほんとに。
宝塚の『エリザベート』はトートがいつもずっとエリザベートを見守っているところがあり、たまきちトートは蘭ちゃんがつづっているように特に見守っている感じがよくでていかもしれません。トートの大きな懐のなかで、トートが見守っていることをしらいなまに生きることをもがき続けたエリザベート。最期は二人で昇天していくところがオリジナルに忠実な東宝版と決定的に違うし、フィナーレのショーとダンスでほっとしながら夢の世界へと誘ってくれるとことが宝塚のありがたいところ。やっぱりキラキラの夢世界。
次々とおそいかかる人生の困難に耐えて耐えて耐え続けて、しゅくしゅくと皇帝という与えられた役割をまっとうしたフランツは、人生そのままに舞台でも途中から登場したり途中で退場したりすることが多くすごくむずかしい役だと高嶺ふぶきさんがどこかで語っていたと思います。大きく歌い上げて発散できる場面はひとつもなく辛抱のいる役、麗しさと優しさと危うさと色気をにじませながらの美弥るりかさん、すばらしい体現ぶりでした。昨年4月に退団されたので今さらですが大劇場では喉を傷めて休演された期間があったので東京公演では無事全日程つとめられてよかったです。
東宝をさんざん観劇したあとでの20年ぶりの宝塚の『エリザベート』、月組は歌が上手いというよりは芝居の月組のエリザベートを観たという印象だったでしょうか。専科の出演もなくお父さん役も組子がこなしていて若いなあとは思いましたが違和感のないあたりさすが芝居の月組。エリザベートが「わたしだけに」を歌い上げているときセリにのったベッドがおりると盆が回ってトートが姿を表すところがいちばん宝塚の『エリザベート』をみているんだという醍醐味を感じさせてくれるところで初演から大好きです。
日比谷が遠くなり、あれほど通った帝国劇場の『エリザベート』もすっかり遠くなりましたが、宝塚も東宝も永遠に自分の中で特別な作品かもしれません。



一昨年のこと、まだ書き入れていないの・・・。
2018年11月16日蘭乃はなちゃんの公式ブログの『エリザベート』観劇日記を引用させていただきます。
https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1443923.html
蘭ちゃんの宝塚観劇ブログ、毎回文章が素敵。演者だった人はこんな見方をしているのか、ふむふむと目からウロコです。
「ちゃぴ(愛希れいかさん)の卒業公演。
娘役トップ時代を共に過ごした仲間であり色々な話題を共有できる友人。
ちゃぴのエリザベートはしなやかで繊細で、シシィを演じることや舞台に立つことへの喜びが光となって放たれてるようでした。歌もお芝居も、そして最後のデュエットダンスも本当に素晴らしかったです。明後日の千秋楽まで無事に過ごせますように。
トートの珠城さんは、さすが珠城さん!という感じで…というのも彼女は(いや彼は)下級生の頃から色んなものが見えてて気づいてる人なのだろうと思っていたのですが、それが魅力的に役に反映されて、エリザベートのことも見守ったり導いたり気づきを与える存在にも見えて、さらにトート自身の見てるものを誰とも共有できない孤独とか悲哀を感じて、大きな愛を持った孤高の人だったのが印象的で素敵でした。
フランツの美弥さんも、ルドルフに通ずるような危うさや甘みがあって父と息子という部分やシシィとの関係性の説得力が素晴らしかったです。今まで多くの方々が演じたきた役にまだこんな解釈や表現があったのか!と目からウロコでした。」
郷里の生活に適応できず、家に戻ってしまったことがここまで自分を苦しめることになることを全く分かっていなかった自分は人生を間違えたのか、なんでもっと人生設計をしなかったのかと自分を責めづつけるこの頃、昨夜からとつぜん『エリザベート』の中の、「計画どおりうまくいくわけがない、予定どおりうまくいかない、番狂わせ、面白い」がリフレイン。第一幕第六場バート・イシュル エリザベートの姉ヘレネとフランツ・ヨーゼフを結婚させるためのお見合いだったのにフランツがダンスの相手に選んだのは妹のエリザベート。マザコン皇帝のフランツが唯一母の意見に従わなかったエリザベートとの結婚。大帝国が沈みゆこうとしていることなどしらないハプスブルク家をストーリーテラーのルキーニが嘲笑うかのように歌う場面。歌うまでも音をとるのかすごくむずかしい場面。『エリザベート』の楽曲はどれもほんとに素晴らしくて耳に残ります。その中ではちょっと色が違う楽曲かもしれません。エリザベートとフランツが静止状態でゾフィー、ルドヴィカ、驚いた親せきたちが歌い踊ります。
フランツがエリザベートを選んでしまったことはエリザベートを不幸にしてしまったのかもしれない、さらに長男ルドルフをも心中という最期に向かわせてしまったのかもしれない。2時間半の舞台では描かれていませんがエリザベートが唯一自分の手で育てることができた末娘は幸せな結婚生活を全うしたというのが救いかもしれない、二人の結婚は間違っていた、二人の間に子どもが誕生したことも間違っていた、そんな現実はこうして大きな歴史のうねりの中にも横たわっているわけでそれが国の行き先をも変えてしまったかもしれなかったわけで、こういうことを考え始めると終わらなくなってしますのですが、人生は計画しても計画どおりうまくいかないことの方が多いことを歴史がおしえてくれているのだという納得。今さら自分の人生の計画性のなさを責めても仕方ないのかと自分を慰めているしだい。歴史は、理屈どおりにはいかない人の営みを映し出している鏡なのかもしれません。生きるってむずかしいですね、ほんとに。
宝塚の『エリザベート』はトートがいつもずっとエリザベートを見守っているところがあり、たまきちトートは蘭ちゃんがつづっているように特に見守っている感じがよくでていかもしれません。トートの大きな懐のなかで、トートが見守っていることをしらいなまに生きることをもがき続けたエリザベート。最期は二人で昇天していくところがオリジナルに忠実な東宝版と決定的に違うし、フィナーレのショーとダンスでほっとしながら夢の世界へと誘ってくれるとことが宝塚のありがたいところ。やっぱりキラキラの夢世界。
次々とおそいかかる人生の困難に耐えて耐えて耐え続けて、しゅくしゅくと皇帝という与えられた役割をまっとうしたフランツは、人生そのままに舞台でも途中から登場したり途中で退場したりすることが多くすごくむずかしい役だと高嶺ふぶきさんがどこかで語っていたと思います。大きく歌い上げて発散できる場面はひとつもなく辛抱のいる役、麗しさと優しさと危うさと色気をにじませながらの美弥るりかさん、すばらしい体現ぶりでした。昨年4月に退団されたので今さらですが大劇場では喉を傷めて休演された期間があったので東京公演では無事全日程つとめられてよかったです。
東宝をさんざん観劇したあとでの20年ぶりの宝塚の『エリザベート』、月組は歌が上手いというよりは芝居の月組のエリザベートを観たという印象だったでしょうか。専科の出演もなくお父さん役も組子がこなしていて若いなあとは思いましたが違和感のないあたりさすが芝居の月組。エリザベートが「わたしだけに」を歌い上げているときセリにのったベッドがおりると盆が回ってトートが姿を表すところがいちばん宝塚の『エリザベート』をみているんだという醍醐味を感じさせてくれるところで初演から大好きです。
日比谷が遠くなり、あれほど通った帝国劇場の『エリザベート』もすっかり遠くなりましたが、宝塚も東宝も永遠に自分の中で特別な作品かもしれません。



一昨年のこと、まだ書き入れていないの・・・。