たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『マタ・ハリ』_思い出し日記

2020年01月18日 20時29分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年2月3日(土)記事、久しぶりの観劇_ミュージカル『マタ・ハリ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3e4c590643bdb6251b33fc6ecf90754d

 東京国際フォーラムをなつかしく思い出しながら少しずつ振り返り。

「韓国で大ヒットを飛ばしたミュージカル『マタ・ハリ』を日本で初演できることは大きな喜びです。フランク・ワイルドホーンさんの音楽とエモーショナルな韓国の舞台の力に魅せられて以来、この日本版に向けて邁進してまいりました。

 人類史上最初の世界戦争、第一次大戦は、戦闘機・戦車・毒ガスなどの新兵器を次々と生み出しましたが、実質的には、塹壕での消耗戦が中心になっていきました。『マタ・ハリ』の時代背景、1917年のパッシェンデールの戦いでは、塹壕が砲撃で崩れ、大雨で泥沼となり、多くの命が奪われ、先の見えない戦いに前線の兵士たちはどんどん戦意喪失していきました。

 軍事謀報部のスパイ活動で、敵側の動向を探ることは同盟国にとっても連合国にとっても急務でした。

 寺院の踊りで一世を風靡しヨーロッパを股にかけて活躍していたダンサー、マタ・ハリが、スパイに格好の存在であると参謀局の目に止まったのは、時代と戦局にとって、必然だったのかもしれません。二重スパイとして、戦意高揚のために逮捕・処刑されたマタ・ハリは、戦争の歪んだ生贄でした。

 ミュージカル『マタ・ハリ』は、この数奇な運命と闘う女性を描きます。数多の惑いを振り切り毅然と闘う力を生み出したのは、「愛」です。と同時に、彼女を破滅へと導いたのも「愛」。そして、彼女を巡って男たちも「愛」に惑います。溺れます。闘います。

 出会わなければ、愛さなければ、悲劇は生まれなかった。

 でも、彼らは「愛」を選んだ。「愛」を欲した。

 愛することが、生きることになった。


 
 戦争に巻き込まれているということは、被害者であると同時に加害者であるということ、我が身を守り、愛する者を守ることが、他者と他者の愛する者を傷つけることに繋がる痛ましさ。この終わらない歴史の中にいて、わたしは、生きること、今そこに在る愛と生き抜くことを、舞台に託します。


                           石丸さち子:訳詞・翻訳・演出」

「STORY

 1917年、第一次世界大戦の暗雲たれこめるヨーロッパ。

 オリエンタルな魅力と力強く美しいダンスで、パリ市民の心をとらえて放さないダンサーがいた。名は、マタ・ハリ。

 彼女の人気はヨーロッパ中におよび、戦時下であっても国境を越えて活動する自由を、手にしていた。

 その稀有な存在に目をつけたフランス謀報局のラドゥー大佐は、彼女にフランスのスパイとなることを要求する。もし断れば、人生を賭けて隠してきた秘密を暴くことになる。そう、ほのめかしながら・・・。自らの過去に戻ることを恐れ、怯えるマタ。

 同じ頃、彼女は、偶然の出来事から運命の恋人に出会う。戦闘機パイロットのアルマンは、彼女の孤独な心を揺らし、二人は、ともに美しい夜明けのパリを眺め、人生を語り合う。

 一方、ラドゥーの執拗な要求は続き、一度だけスパイをつとめる決心をしたマタ。彼女の世話を続けてきた衣装係のアンナの祈りの中、公演旅行でベルリンに向かい、ドイツ将校ヴォン・ビッシング宅で、任務を無事遂行する。しかし、謀略はすでにマタ・ハリの想像を超えて進み、アルマンへの愛に目覚めた彼女の運命を、大きく歪めようとしていた・・・。」

 

 調べてみるとマタ・ハリ(本名マルガレータ)はオランダ生まれ。資産家の一人娘として13歳まで何不自由なく暮らしていましたが、父親が株の投資で失敗すると事態は一変。両親は離婚、マルガレータは後見人を頼ってライデンに移住、幼稚園の教諭を目指すも上手くいかず、19歳の時、新聞に掲載された結婚相手募集の広告に応募し、21歳年上のオランダ軍将校ルドルフ・ジョン・マクリード大尉と結婚する。出会いから僅か100日のことだった。結婚後は夫の仕事に伴い、駐留先のボルネオ、スマトラ、ジャワへ帯同し、2児を儲ける。しかし、元々愛のある結婚ではなく、若く派手好きなマルガレータとの価値観の不一致、加えて夫の女癖の悪さや暴力から夫婦仲はすぐに悪化してしまう。さらに息子が亡くなったことで、結婚から7年後の1902年に離婚。子供は夫が引き取った。離婚したマルガレータはオランダへ帰国し、間もなく職を求めフランスのパリへ渡る。だが、なかなか恵まれた仕事に就くことが出来ず生活は困窮していく。ある日、友人のパーティーの余興で見よう見まねのジャワ舞踊を披露するとそれが受け、ダンサーの話が持ちかけられる。1905年、エキゾチックな容姿を活かし、「インドネシア・ジャワ島からやって来た王女」ないしは「インド寺院の踊り巫女」という触れ込みでダンサーとしてデビュー。「オリエンタル・スタイル」の舞踊を演じた。ショーは好評を博し、興行的にも成功を収めた。この成功を機にマルガレータの踊りは話題となっていく。人数の客を相手に踊りを披露する程度であったが、やがて活動の場は欧州中に広がり、遂にはイタリアのミラノ・スカラ座で公演を果たすなど、一躍人気ダンサーとなった。この頃から、より観客に受けるよう東洋的な「マタ・ハリ」の芸名を名乗り始める。なお「マタ・ハリ」とは、「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)に由来する。 彼女はまた、多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあった。「マタ・ハリ」ことマルガレータは、数知れないほど多数のフランス軍将校あるいはドイツ軍将校とベッドを共にしたとされ、国際的な陰謀の道具となっていった。


アルマンとラドゥー大佐という相反する二人の人物を演じ分けた加藤和樹さんが、ラドゥー大佐役の回でした。アルマンは東啓介さん。マタ・ハリにフランスのスパイになるよう近づいていき脅しながらも同時にマタ・ハリに魅かれてしまっている自分をどうすることもできない歪んだ感じがよく出ていました。則松亜美さん演じる妻のキャサリンがあきれて愛想をつかし家を出て行ったしまうほど心の中でいくつもの顔をもつ自分にもがくラドゥー大佐は、捕らえらたマタ・ハリの裁判になると、「ラドゥー大佐が全て知っている、ラドゥー大佐にきいてください」と自分を信じていたマタ・ハリを見事に裏切り、嘘の証言をしてマタ・ハリを追い込みます。裁判のときの冷酷な表情、背筋がぞくっとするほどでした。ラドゥー大佐が自分を見張らせるために差し向けた人物だとは知らずにアルマンを愛しはじめたマタ・ハリの姿は、のちにアルマンがラドゥー大佐の部下だと舞台上でわかると痛ましいものがありました。アルマンが戦地で重傷を負い入院したと知ると偽造パスポートで汽車を乗り継ぎ野戦病院へと向かったマタ・ハリ。この時はまだアルマンの正体を知らずにただただ一途でした。アルマンがどのあたりから本気でマタ・ハリを愛するようになっていったのか、気になりました。舞台のマタ・ハリは裁判になると「生きるためなら何でもしたわ、それを恥ずかしいことだとは思っていません」と、自分が歴史の波にのみこまれていこうとしていることに気づきながら最後まで凛とした姿を貫いていました。立膝で裁判にのぞむマタ・ハリ。柚希礼音さんがかっこよくて可愛かったです。宝塚時代は残念ながら見過ごしてしまい映像でしか知らないので初見でしたが真ん中に立つ力がすごい方だと思いました。

 やっと書けました。





みんなで明るく楽しい老後

2020年01月18日 01時41分23秒 | 日記
「生まれ落ちたる 命ぞ宝

 貰ったお宝 ありがたく

 悩みあろうと ただ生き抜いて

 この世の喜び 謳歌しろ」

(『AnotherWorld』)より

 年末のタカラヅカスペシャルで久しぶりに貧ちゃん(華形ひかるさん)の「みんなで明るい老後~♪」を聴いたのでなんとなくつらつら考えます。今の時間は老後のためにあるのか、違いますよね。今の時間は今を生きるためにある、それじゃあだめですかね。老後のために2000万円は必要という試算がでたとか。そうしたらわたしは完全にアウトです。生きられない。65歳を過ぎたとき年金が少ないか多いかで変わってきてしまうのは事実、前職の仕事で知りました。結局大きな組織に勤め続けて退職金どっさり、厚生年金がたくさん入ってくる人が人生の勝者ということになってしまうの?それでもさらにこんなに高い金を払わなければいけないのかと言われてしまうとあなた方がこんな社会にしたツケをこどもの世代、さらには孫の世代が背負うことになるのだということをわかれよ!っていいたくなるのをこらえることしばしばですが、そんなの世の中のひとにぎりの人たちなわけで、ほんのひとにぎりの人たちだけが勝者ということになってしまうのが今の社会ということ、これからさらに大変なことになっていくということを実感している日々です。老後のためにお金をためる、そのために今を我慢する。色々な生き方があることを許さない社会ということになるのでしょうか。

 今は今のために、できるだけ自分が楽しい、幸せだと感じる場所に近づいていきたい。ここにいれば自分は幸せなのだという場所、こういうひとときは多幸感に満たされる時間、いつ何があるかわからないので、老後老後と心配してもそこまでこの世にいるかどうか誰にもわからない、先のことは誰にもわからない。人生は予測がつかないものだから、できるかぎりの範囲で今幸せだと感じられるほんの少しの時間を大切にしたい、幸せだと感じる時間を少しでも多く持ちたいと思います。

 康次郎さんご一行のような楽しい仲間と出会って老後は朗らかに楽しく過ごせるといいな。

 そのためには年金いくらもらえるのかとか、そろそろ真剣に考えないといけなのかな。

 できるだけ長く観劇したり、美術館を楽しめる人生を送りたい。旅にも出たい。そのための人生。

(写真は宝塚歌劇の殿堂より『AnotherWorld』の舞台衣装、プログラムをみていてなんて豪華なんだろうとあらためて思いました。衣装代を惜しまず同時にチケット代は25年前と変わらないA席5,500円、専用劇場を東西で維持しつづけてすごい企業努力)。