わたしの初詣は東京宝塚劇場の宙組公演だった2020年の始まり、なんとか1月半ばまできました。日昨年6月就労を開始した頃の、あからさまに悪口、うわさ話がきこえてきたつらさを思うとよくここまできたなあと思います。一日一日、ほんともう無理、明日はもういけないかもしれなくても自分を許そうと3ヶ月ぐらい、いやもっとかな毎日揺れ動き続けました。折り返し地点をすぎて残り二ヶ月半、きこえないところでは今も悪口言われているのかもしれませんが、なんどきいても忘れてしまうことを、どうすればいいんでしたっけ?どこをみたらわかるんでしたっけ?ときけるようになったのはそうとうにマシな状況です。どこまでが地域性でどこからが個々人の資質なのかわかりませんが、不満を募らせてストレスがたまって仕方ない女性たちの、毒を吐き出すような会話は連日続いています。寄るとだめですね、ほんとに。協力しあってるのか足をひっぱりあっているのか、相変わらずよくわかりません。空き時間ができると窓口からみえるエリアでおしゃべりしたり、スマホみたり。仕事できるから上司は注意できないのか、しない体質なのか、別に許されてしまうものなのか、不思議です。ある非常勤の女性は子供のお受験で休みをとることが多くなっていて、てっきり仕事できる方でやるべきことはやって休んでいるのかと思ったらそうでもないらしく、隣同士でいるときはものすごく仲良さそうにおしゃべりしているその女性たちが、当人時間給とって早く帰った時はあからさまに不満を口にしています。机の引き出しあけて、これもあれもできていないどうなっているの、こんなことが許されるの、っていう感じで。それで最終的に職員たちができていないところを全部カバーしているっぽい、こわいですね。この空気、なんでしょう。狭い地方、自分もどこで見られているかわからないし、どこでなにを言われているかわからないので余計なことはなにもいわないにかぎります。わたしは休んだ分ボランティア残業をして全部自分でカバーしています。非常勤の方々が少しでも時間外になると気にされているのに、わたしはもう完全に見過ごされていても気にしません。とにかくあと三回お給料をもらうために、交通費を返さなくてもすむように与えられた役割を全うすることを目指すのみ。駅と最寄り駅の間の道のり、とにかく心して車に気をつける、考えごとして気を抜けない、自転車も人も暗闇から突然わいてくることを忘れてはいけない、朝雨できついようだったら遠慮なく時間給とってしのいでいく、どうか雪がふりませんようにと祈りながらの毎日です。
それにしても地方は中核都市といっても高齢者もばんばん運転していますね。自分の父親も80代半ばまで運転していて、免許証返納したら翼をもがれた鳥でどこにもいけなかったの知っているのだから今さら驚くことではないはずなのにあらためて驚きです。池袋の事故があったからでしょうか、たまに返納したという方もいますが駅周辺もどこもかしこも車、車。今は車の運転がゴーカートに乗っているような感覚ですごく簡単になったとか。誰でも運転できるように車が改良されてきたことがはたして正なのか。車がないと生きていけない社会、なにもまた遠いところにいかずとも運転すれば行動範囲がひろがって便利だと思える、運転すればいいのにと同級生から勧められますがわたしが運転することはありません。少しでも不安がある人は運転しないでほしい、遺族となったお父さんのことばを真摯に受け止めます。眠剤と刈るけど抵精神薬をのんでいる人が運転してはいけないし、便利であると同時にいつでも凶器になり得る乗り物だということを忘れてしまう人間のおごりをわたしはすごく感じてしまっていていやだなあと思います。運転しないかぎり郷里近郊で生きていくことはできない、また旅だっていかなければ生きていけないという確信、さみしいです、すごくさみしいですが妹が自ら旅だった家にはいないほうがいいみたいです、寂しいですけどね、少しずつ荷物減らして身軽に生きていくことを目指します。
その前に今週が無事にすぎていくことをまず目指さなければ・・・。
それにしても地方は中核都市といっても高齢者もばんばん運転していますね。自分の父親も80代半ばまで運転していて、免許証返納したら翼をもがれた鳥でどこにもいけなかったの知っているのだから今さら驚くことではないはずなのにあらためて驚きです。池袋の事故があったからでしょうか、たまに返納したという方もいますが駅周辺もどこもかしこも車、車。今は車の運転がゴーカートに乗っているような感覚ですごく簡単になったとか。誰でも運転できるように車が改良されてきたことがはたして正なのか。車がないと生きていけない社会、なにもまた遠いところにいかずとも運転すれば行動範囲がひろがって便利だと思える、運転すればいいのにと同級生から勧められますがわたしが運転することはありません。少しでも不安がある人は運転しないでほしい、遺族となったお父さんのことばを真摯に受け止めます。眠剤と刈るけど抵精神薬をのんでいる人が運転してはいけないし、便利であると同時にいつでも凶器になり得る乗り物だということを忘れてしまう人間のおごりをわたしはすごく感じてしまっていていやだなあと思います。運転しないかぎり郷里近郊で生きていくことはできない、また旅だっていかなければ生きていけないという確信、さみしいです、すごくさみしいですが妹が自ら旅だった家にはいないほうがいいみたいです、寂しいですけどね、少しずつ荷物減らして身軽に生きていくことを目指します。
その前に今週が無事にすぎていくことをまず目指さなければ・・・。