たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『TCA PRESS』2019年1月号より

2020年07月23日 23時47分54秒 | 宝塚
宝塚大劇場、東京宝塚劇場、キャトルレーヴで配布されている宝塚歌劇団のフリーペーパー、2019年1月号のインタビュー記事より。

「🌸宝塚はご覧になったことはありますか。

結構、折に触れて観させていただいています。初めて観たのは「オーシャンズ11」で柚希礼音さん、蘭寿とむさんの両バージョンを拝見しましたが、お二人ともカッコよくて、宝塚の虜になる方々の気持ちがめちゃくちゃ分かりました!作品としてもすごく面白かったですね。『るろうに剣心』や『1789』も観ています。最近は「ひかりふる路」を映像で拝見しました。フランク・ワイルドホーンさんの楽曲もいいし、ロベスピエール役の望海風斗さんは歌も演技も素晴らしいですよね。大階段のフィナーレなど、宝塚のショーを見ているとすごくエンターテイメント性が高い舞台だと思います。男役の方の立ち居振る舞いは勉強になります。そういえば、前に東京スカイツリーの展望台で宝塚のイベントがありましたよね。ショーアップされていて”宝塚へようこそ”みたいな(ポーズの)ポスターがすごく印象的だなと思って。僕もやってみたいなーと思いました(笑)」

柚希礼音さんのオフィシャルインスタグラムより
https://www.instagram.com/p/CC3SUIlHp7K/


 SNSでだいもん(望海風斗さん)表紙のTCA PRESSにインタビュー記事が掲載されていることを知り、手持ちのものを再読しました。幸い、断捨離前でした。わたしのへぼい記事で申し訳ないですが、この東京スカイツリーの宝塚ラウンドシアターもご覧になったのでしょうか、映像もご覧になるほど宝塚を愛してくださっていたんですね、さみしいです。『キンキーブーツ』みておけばよかったですね。この世の苦しみから解放されて、永遠の旅路で心穏やかにお過ごしでしょうか、どうかゆっくりと羽を休めてください。御霊が安らかでありますようにと祈ります。

涙がとまらなくなりますね、さみしいです、正直・・・。

2018年3月10日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/544842ee780b7d3612db257bd27c58fb

2018年3月31日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/aa0a2a551f1951426abd606ff495fbd3

2018年12月31日;宝塚歌劇in東京スカイツリー_ラウンドシアター(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/18e9d82d488847c116adbe3b547eb166

2008年『フェルメール展』‐フェルメール「小路」(2)

2020年07月23日 09時17分38秒 | 美術館めぐり
2020年7月22日’2008年『フェルメール展』-フェルメール「小路」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f6fd3c16c4a1fe383e24a2a1c50648ed

(会場で購入した公式ガイドブックより)

「フェルメールの室内を描いた風俗画の場合と同様に、本作品は多大なる熟慮と配慮のもとに構成されている。鑑賞者は、まずは、建物の強烈な垂直と水平の要素がいかに左側の家々の屋根の斜行線を中和しているかに気づかされる。そして、閉じた戸口と開いた戸口の並びがいかにファサードに変化を添え、この静かな家庭の部屋の奥へと人を招き入れるような眺めをつくり出しているかに注目する。ここでもまた、フェルメールは、わずかだが、考え抜かれた変更を加えている。彼は、初めは、母親が家の敷居のところに座っているように、女性を通路の戸口のところに座らせる予定だった。しかしこれを塗りつぶし、少し離れた場所で樽に向かってかがむ女性まで見通せるようにし、奥行き感や後退感や視覚的関心を高めた。暗い戸口と明るい戸口を交互に並べたり、すぐ前景にある通りの黄色がかった石畳の柔らかい色調と、上方のレンガづくりの強烈な赤とを仲介する部分として白い石膏を用いたりと、色彩の明暗の手際の良い配置もまた構図を豊かにしている。明るく、押し寄せてくるような真夏の空もまた、その下に広がる時間の止まった私的な都市空間の完璧な引き立て役となっている。というのも、この空は、時の流れを止めながら、影のない光を染みわたらせているからだ。

 人間の存在も、ここではなくてはならないものだが、個人の住まいの枠にしっかりと組み込まれている。女性たちは縫い物や家庭の雑用に専心し、二人の子供(1ダース前後の子供を持つ父親・フェルメールによって描かれた唯一の子供たちである!)は静かに、ほとんんど気付かれることもなくベンチの側の歩道にいて、遊びに興じる。これらの人物は、都市空間を住まい、さらには家庭的なものに変貌させ、建物を単なる「家」から「家庭」へと変える。こうしたコンテクストにおいて、左側の家に生い茂る蔓植物は、詩篇128;11の次のような言葉を思い起こさせるかもしれない。「汝の妻は家の脇で成長する蔓のようであれ。汝の子らは円卓を囲むオリーブの若木のようであれ。」」

「かつてデルフトは、周囲に堅固な市壁を巡らした典型的な中世都市だったが、フェルメールが結婚した翌1654年に、火薬庫の爆発でほぼ壊滅状態となった。失われた故郷へのオマージュともいえる作品が「デルフトの小路」である。ここに描かれた階段状の破風をもち、かつ銃眼を備えた建物は、現在のデルフトには皆無である。それはスペインからの独立戦争の名残りであり、この絵が描かれた1658年頃にはすでに消滅してしまっていた。画家は、独立戦争を戦った故郷の古き景観を心に留め置くために、この絵を描いたとも考えられている。」

(『週刊世界の美術館-アムステルダム国立美術館』より)



 
 2008年8月2日から12月14日まで上野の東京都美術館で開催された『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち』。気がつけば12年の時を経ようとしていますが、この会場の空気を今も思い出します。パリのルーブル美術館で『モナ・リザ』、オランジュリー美術館でモネの睡蓮の連作に出会い、絵と対話するという体験をしてからの絵画展はより心に深く沁みるようになりました。

 フェルメール;1632年-1675年、レンブラント;1606年-1669年、

 生涯にわたって自画像を描き続け、今わたしたちはその自画像を通して画家の素顔を知ることができるレンブラントに対して、素描も自画像も手紙のたぐいも全くなく、素顔がみえないフェルメール。今フェルメールの作品として確認できるものは30点余り、不思議ですね、画家の生の姿は全く知らないのに、作品を通して伝わってくる画家の心意気、人をみる温かさのようなもの。フェルメールの作品はどこまでも穏やかで心を落ち着かせてくれます。ずっと振り返りたいなと思っていた『小路』、12年越しでやっと書けました。