たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

人生初のカプセルホテル

2020年07月01日 23時24分43秒 | 日記
 自分でも信じられませんが一昨年の11月半ば、お別れ行脚をした街に舞い戻ってきました。席の温まる間がありませんでした。宝塚大劇場に日帰りで何度も遠征できたことをのぞけば苦しいことばかりでした。10カ月間の背筋が凍るような意地悪、排他的ないんしつさと車に乗らない人は生きていけない世界に適応できませんでした。緊急事態宣言解除されてからの締切が早過ぎました。荷物を出してまたこの街に辿り着くまできつくてきつくてたまりませんでした。こんな苦しいことはもう人生の中で最後にしたいと思いました。郷里近郊、田植えが終わり緑がまぶしい季節、それはとても大事なことなのですがわたしは暮らしていけません。田舎暮らしを夢見て地方に移住してみたけれど馴染めず2-3年で戻りましたっていう話ありますよね。それが生まれ育ったところであっても無理でしたっていう話ありますよね。昔父親の送迎つきで言われるままに自動車学校に通い何とか路上試験にも合格しましたが明らかに自分向いていないと思いました。免許証は本人確認書類として手放すわけにはいかないですがゴーカートと同じだと言われても、速度違反だらけのとばしまくっている田舎の道路を私が運転することなどできません。まだ傷があさいうちに、今ならまだ居場所に戻れそうなうちに出戻ってきてよかったと思います。10章編成の電車が走り抜けていく活気のある街、電車とバスで暮らせる街、体に沁みこんだJALスイカのオートチャージができる街、県下の総人口の2倍の人が住む街。わずかな収入でどこまでやっていけるのか不安しかありませんが、親がいなくなったら兄弟は他人なのだとしみじみわかりました。淋しいことなのかもしれませんが、みんなひとり、日常生活で気づかないだけで、あるいは気づかないふりをしているだけで最後はみんなひとりで旅立っていく。みんな同じ。自分を信じてやれるところまでやっていくのみ。最後は最後のとりでがあるから大丈夫だよ、自分・・・。

 荷物の回収が夕方でした。そのあと最寄り駅まで一時間に一本の巡回バスに無事乗れるか不安でした。そこまでが長い道のりでした。不要不急といえば不要不急の荷物ばかり。整理しきれず残りの人生で少しずつ減らしていきます。

 こちらで荷物が部屋に入るのは明後日の夕方、高速道路を走るので高いですが一昨年利用したので割引がきいて便乗便で格安。まさかこんなにすぐにまた利用するとは自分でも思っていませんでしたが再利用の割引券利用しました。今日はいつものスパを予約していましたが急遽設備点検でキャンセルとなり、人生初のカプセルホテルに宿泊。ネットカフェは腰がひけてチャレンジする勇気がなかったです。狭いですがシャワールームと横になるところがあるからよしとしましょう。慣れているスパがよかったですが仕方ないです。何度もきたことがある近くなのにこんなところが?っていう場所で強風と雨の中迷って迷って何度も電話しながらやっとたどり着きました。足腰ごちごち、股関節が痛くてもうこれ以上体が動きません。眠れるかな。どうでしょうか。明日はスパに宿泊、慣れ親しんだ大きなお風呂でゆっくりできます。

 歩かない生活で崩した心身のリズムを取り戻しつつ、出直しの人生。田舎生活、2年もたずにお恥ずかしいかぎりですがまたよろしくお願いします。

 大好きな日比谷、東京宝塚劇場、帝国劇場、また近いところに暮らしていくのでよろしくです。

 自分にとって居心地のいい場所、幸せだと思える場所がふるさと。







 引っ越し業者のトラック、ご近所でまた目立ったかな。車なら5分の母の実家に住むおじさんおばさんにさっそく伝わっているんでしょうね、。帰ったときいつの間にか知られていましたから・・・。

 



 

プリンス・エドワード島は心のふるさと

2020年07月01日 00時42分54秒 | プリンスエドワード島への旅
 思い返すと2009年7月、2010年6月、2010年10月と3回訪れたプリンス・エドワード島。地球の裏側、成田からトロントかモントリオールで乗りかえて片道24時間の旅。荷物整理をしながら、この世にいる間まだ紙で残しておきたいと思う旅の思い出をようやくクリアファイルにまとめました。プリンス・エドワード島は心のふるさと。心の底から幸せだと思える場所、やさしく自分を迎えてくれる場所、心のよりどころとなる場所がふるさと。

 茂木健一郎さんが著書の中で書かれているように『赤毛のアン』はモンゴメリさんの想像力が生んだもので、実際の島にはアンもダイアナもいません。北米の人にとっては単なる避暑地でゴルフ場がある場所、人なつっこい現地のおじさまに『赤毛のアン』を読んでこんなところまで来る日本人はばかだと言われたこともあります。(そのおじさまは日本大好きだそうで日本の神社仏閣を訪れて集めたキーホルダーの束をうれしそうにみせてくれました。秋のプリンス・エドワード島への旅日記だったかな?に書いていると思います。) それでもやっぱり遠いから、容易に手の届かないところにあるからこそなのかもしれませんが、いつまでもずっとあこがれの場所、心のふるさと。もう訪れることはできないかもしれませんがこの旅の思い出はこの世にいるかぎり、心の引き出しの中にずっとあります。現地時間で真夜中近く、飛行機が着陸に向けて高度をさげはじめ、ちらちらと島の灯がみえたときの、やっとたどり着いた喜びを忘れることはありません。大切な、大切な想い出、この思い出が心の引き出しにあるから生きていける・・・。