たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

帝国劇場『THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE』キャスト発表

2020年07月08日 23時28分47秒 | ミュージカル・舞台・映画
 8月14日から25日まで帝国劇場で上演される『THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE』のキャストが発表されました。

https://www.tohostage.com/tmc/cast.html?0708


Aキャスト:朝夏まなと 生田絵梨花 一路真輝 今井清隆 和音美桜 加藤和樹 城田 優
     瀬奈じゅん 田代万里生 新妻聖子 花總まり 古川雄大 森 公美子

Bキャスト:朝夏まなと 海宝直人 加藤和樹 笹本玲奈 涼風真世 瀬奈じゅん
    田代万里生 中川晃教 花總まり 平原綾香 福井晶一 藤岡正明

Cキャスト:朝夏まなと 石井一孝 一路真輝 佐藤隆紀 島田歌穂
     瀬奈じゅん ソニン 田代万里生 平野 綾

Special Guest:市村正親Program A(17日昼夜のみ) 大地真央Program C

 4月に上演予定だった『エリザベート』も6月に上演予定だった『ミス・サイゴン』も中止となってしまったので、予想できたこととはいえ、予想を上回る豪華キャスト。MCが井上芳雄さんと山崎育三郎さんというだけでも十分すぎるほどぜいたくな上に、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『エリザベート』『モーツァルト』などミュージカルの歴史を紡いできた方々が一堂に会する、ミュージカルファンには夢のような舞台。まあ様が全日程キャスティングされているのは10月の『ローマの休日』のアピールかな。スタッフとアンサンブルメンバーも帝国劇場公演に欠かせない、お馴染みの方々のお名前がずらり。オケはどうなるのかな、今のところ録音演奏とは書かれていないので生演奏を期待していいのかな。次々と仕事が中止になっているオケメンバー、2月が今年の仕事納めでしたなんてつぶやいているらっしゃるのをみてなみだが出そうになりました。帝国劇場のオーケストラボックスでまた生の音色が奏でられることを祈りたいです。

 東宝ナビの先行抽選にエントリーするつもりですが当然チケットは手に入らないでしょう。シアタークリエの『SHOW-ISMS』の先行抽選、当然のごとく外れました。それでも、こうしてエントリーできる状況になったというだけで気持ちは元気になります。また日比谷に灯りがともる、劇場の幕が上がろうとしている、それだけでも十分です。19歳のルドルフデビューから知っていて、日本のミュージカル界をけん引していく存在になった井上芳雄さんが今日もどこかで舞台に立っている、それだけで安心感。井上芳雄さんと堂本光一くんが同じ歳と知ったときはなんだかびっくりぽん・・・。

 和音美桜さんが出産・育児を経て2018年『モーツァルト』以来2年ぶりに帝国劇場復帰、舞台で生きたいという気持ちをブログに綴られています。

「自分の中身のほとんどを占めていると言っても過言じゃない “舞台” というお仕事が

必要ないと思われ、言われて、端に端にと追いやられる姿を見るのは、、、苦しくて悲しくて、、
目に見えないモノを、闇雲に怖がって、何もせずにいることより

何の力にもならなくても

自分が歩んできた人生を否定しない為にも

人と人でしか産まれない “何か” を守り伝えていく為にも

本当に微力ながら

“舞台” で生きたいと 思っています。」

https://ameblo.jp/miou-kazune/















 テレビを持っていないのでヤフーニュース一覧をチェックするのですが、感染者が増えている東京をなんだか腫れ物にさわるように報じている?ことに違和感をおぼえます。感染者数だけではなにもわからず、指揮者の上垣聡先生のブログによれば、新宿で感染者が増えているのは、検査数が4倍になっていることと陽性とでれば一人10万円もらえるという真実があるからだそうです。裏にわたしたちが知らないなにがあるのか、こわいですね・・・。

https://ameblo.jp/saty0221/entry-12609622971.html

ミュージカル『マタ・ハリ』_思い出し日記(3)マタ・ハリが生きた第一次世界大戦下

2020年07月08日 10時03分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年2月3日;久しぶりの観劇_ミュージカル『マタ・ハリ』

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3e4c590643bdb6251b33fc6ecf90754d

2020年1月28日;ミュージカル『マタ・ハリ』_思い出し日記

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8ac02615e5ef8b7da1ce8f21ec9d2fdd


2020年2月2日;ミュージカル『マタ・ハリ』_思い出し日記(2)

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b89b5830f63ab61a48ea55b9dfbe7525


 最後の最後、自分の人生を肯定して旅立っていったマタ・ハリの凛とした姿を繰り返し思い出しています。

 振り返ってみると最初にアルマンを、ラドゥー大佐に命じられて自分を見はるために近づいてきた部下だとは知らずに愛し始めたマタ・ハリ。二人が手を取り合って愛を語り合う場面のちえさん(柚希礼音さん)の表情が生き生きとしていてすごく可愛かった。年齢のことを書くのは失礼ながら、実年齢ではアルマンを演じた東啓介さんと年齢差がありますがそんなことは全く感じさせませんでした。その時マタ・ハリは、その時のマタ・ハリで精一杯アルマンを思い、これから二人で生きていくことができたらと夢を抱きました。客席もまだアルマンがラドゥー大佐の部下だとは知らず純粋にマタ・ハリに感情移入していました。

 塹壕の消耗戦、舞台でも簡素な装置で描かれていました。『レ・ミゼラブル』にアンサンブルで出演している西川大貴さんの姿が印象的でした。

(公演プログラムより)

「マタ・ハリが生きた第一次世界大戦下


★あの大戦争が始まるまで

 1871年、普仏戦争(プロイセンとフランスの戦い)でフランスに勝ったドイツは、アルザス=ロレーヌ地方と50憶フランの賠償金を手に入れた。その賠償金を国内産業に投資したドイツは、ヨーロッパ有数の工業国へと発展。さらにオーストリア、イタリアと三国同盟を結び、フランスのアルザス=ロレーヌ地方奪回に備えた。こうしたドイツの動きに警戒を強めたイギリスはフランス、次いでロシアと協商条約を結び、ドイツに対抗する。

 そして1914年6月28日、オーストリア領ボスニアのサラエボで、オーストリアの皇太子がボスニア独立の運動家に暗殺された。オーストリアはこれをサラエボの陰謀として宣戦する。宣戦すればサラエボは屈服すると考えていたようだが、事態は予想外の展開をたどる。

 サラエボを支援するロシア、そしてフランスが対抗して、軍隊の動員を開始したのだ。そのため、オーストリアの同盟国ドイツは両国に宣戦することに。すると今度はイギリスがドイツに宣戦しフランスに軍隊を派遣。こうしてヨーロッパ全域を巻き込む大戦争が始まったのである。

★なぜ、塹壕を掘って戦った?

 東のロシア、西のフランスと戦うにあたって、ドイツにはある戦略があった。それは「シュリーフェン・プラン」と呼ばれるもの。まずは西のフランスを全力で叩いて屈服させ、取って返して東のロシアと戦うという、時間差で二正面の敵と戦う計画だった。

 だが、実際に戦ってみるとフランスは予想以上に粘り強く、ドイツは西と東の両戦線で戦わなければならない羽目に。そこでドイツはイギリス、フランス、ロシアの三国のうち、まずはロシアを脱落させようと考えて攻勢を東部前線に集中。西は占領地域の守りを固めて、守勢を取ることにした。

 相手の攻勢をしのぐため、西部戦線のドイツ軍は塹壕と呼ばれる、濠のような溝を前線に掘りめぐらして立てこもる。それにイギリス・フランス軍も塹壕を掘って対抗。そのため、西部戦線は大規模な戦闘が起こらない膠着状態となってしまった。

 もちろん、イギリス・フランスをはじめとする連合軍もただ手をこまねいてはいない。塹壕を突破するため、戦車や飛行機といった新兵器を投入するが、戦局を一気に転換するには至らず。長く続く膠着状態は彼らを焦らせた。

★脱走兵続出の大苦戦!

 ドイツ軍に対する大攻勢も行われたが、そのたびに失敗してしまう。なかでも1917春のニヴェル攻勢でフランス軍は、20万人近い戦力を失って大敗北。フランス軍の士気は急落し、命令に従わない兵士が続出する。劇中には脱走兵を処刑する話が出てくるが、それくらい当時のフランス軍はピンチだったのだ。そして、その後に起きたパッシェンデールの戦いでも、連合軍の受難は続く。

 1917年7月、連合軍は、ベルギーの要地パッシェンデールのドイツ軍を攻撃。トンネルを掘ってドイツ軍陣地を爆破するなど緒戦は順調だったのだが、大雨の季節が始まると、攻撃開始前の砲撃で穴だらけになった地面は一面の泥沼に。戦車が穴に埋まり兵士は溺死して大苦戦。劇中でラドゥーが「どうにかドイツ軍の情報を得なければ・・・・」とやきもきするのも無理はない。

 結局、連合軍は大損害を出しながらもパッシェンデールを確保する。だが翌年にはあっさりとドイツ軍に奪回されて戦いはふりだしへ・・・。こういったことの繰り返しで、結局、戦争が決着するには1919年を待たねばならなかった。

★大空に散ったパイロットたち

 1903年、ライト兄弟は初めて空を飛ぶことに成功する。そして、それからたった10数年で、飛行機は目覚ましい進化を遂げ、兵器として使用できるものに進化していた。

 最初は偵察用だったので武器は積んでいなかったが、フランス空軍のパイロット、ジャン・ナヴァルが手持ちのライフルで初めて敵機を撃墜すると、飛行機同士の戦いは当たり前に。飛行機に機関銃を装備して撃ち合う時代に突入する。以降、多くの敵機を撃ち落としたパイロットは「撃墜王」と呼ばれ、その活躍が当時の新聞紙面をにぎわせた。

 だが深刻さを増す戦況の中、パイロットたちは容赦なく消費されていく。1914年の開戦時、フランス軍には160機の飛行機があったが、その消耗は激しく、戦争中に4200機もの飛行機を生産している。その飛行機の多くは、搭乗したパイロットとともに戦場の空に散っていった。だから劇中のアルマンも出撃のたび、死を覚悟して飛び立っていたのだ。

 また、市民に対する空襲が一般的になったのも第一次世界大戦からだ。ドイツ軍のパリ空襲で命を落としたパリ市民は、実に500人以上に上る。

★ヨーロッパを虜にしたマタ・ハリ

 1905年、パリのサロンでダンサーとしてデビューしたレディ・マクラウドは、その妖艶なダンスで注目を集め、東洋美術館のオーナーであるムシュー・ギメの提案で、マレー語で太陽を意味するマタ・ハリという名を名乗るようになる。

 以来、彼女はフランスのみならず、スペイン、オーストリア、モナコ、イタリアなど、ヨーロッパ各国でダンスを披露している。(そこで彼女がダンサーとして足跡を残した場所を、右の地図に記してみた。これを見れば20世紀初頭のヨーロッパで、いかに彼女のダンスが人気を集めていたかが実感できるはずだ。)」