たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年『フェルメール展』-「マルタとマリアの家のキリスト」(2)

2020年11月28日 18時50分15秒 | 美術館めぐり
2018年『フェルメール展』-「マルタとマリアの家のキリスト」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4746712a778e601285af4899bc7384c1

(2008年『フェルメール展』公式カタログより)

「本作品の構図にイタリアやフランドル派の影響を思い起こさせるものがあると最初に指摘したのはE・トラウトスホルトと言われている。彼は、ヴァランシエンヌ美術館にある、ルーベンスの弟子であったフランドル人画家エラスムス・クウェリヌス2世の手になる作品との類似性を指摘した。両者には、キリストのしぐさ、腰を下ろし、頭を手にもたせかけるマリア、かごを手にして立つマルタ、後方の扉、伸びやかに描かれたひだ、そして豊かな色遣いなど、多くの類似点が認められる。クウェリヌスは、1656年にアムステルダムの市庁舎の天井画を手掛けているが、1650年代半ば、その仕事に向かう道すがら、デルフトに立ち寄ったと推測される。一方フェルメールもまた、1648年にミュンスター条約締結によりオランダ人に旅行の自由が与えられると、アントウェルペンに出かけ、くだんのヴァランシエンヌにある絵のかかる聖ミヒール修道院を訪ねたかもしれない。アントウェルペンでは美術品の取引が活発に行われていたから、フェルメールが、1652年に父親より譲りうけた画商ビジネスの関係でも同市を訪れていた可能性はあろう。(略)

 あるいは、フェルメールの作品がイタリア美術に着想を得たということもあり得よう。後年、フェルメールはイタリア絵画の権威として助言を求められているので、証拠は残ってはいないものの、若い頃にイタリアを旅した可能性もあろうというわけだ。後期作品《信仰の寓意》(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)を除けば、本作品はフェルメールの唯一の現存宗教画である。画商ヨハネス・デ・レニアルムの1657年時点の財産中には「ファン・デル・メール」による《聖墳墓詣り》が言及されているが、現在は残っていない。

 本作品の主題はルカによる福音書を典拠とする。キリストはマリアとマルタ姉妹の家を訪問した。マルタが食事の支度をしているのを横目に、マリアはキリストの足もとに腰掛け、キリストの話に聞き入っていた。もてなしの準備はすべて自分がやっていると不平を口にするマルタを、キリストは「マリアは良いほうを選んだのだ。彼女からそれを取り上げてはいけない」と諭す。この対照的な姉妹の描写は「活動的生活」と「瞑想的生活」、すなわちカトリック教徒とプロテスタント教徒がそれぞれ、救済に至る最善の道と主張していた2つの相関連する功徳を具現化したものと従来は解釈されていた。絵画の伝統ではマルタは、後方で家事にいそしむ姿や、クウェリヌス作品のように、鑑賞者に背を向ける姿で描かれるなど、さほど重要視されないのが常である。しかし、本作品のマルタの役割は付随的なものではない。彼女は構図のまさしく中心に光を浴びて立ち、おそらくは聖餐を象徴する、質素なパンの食事でもてなしている。1995-1996年に開催されてフェルメール展の図録によると、伝統的なマルタの描き方から外れたこの描写法は、この物語をカトリック的に解釈したためだと示唆されている。「活動的生活」と「瞑想的生活」を融合した生き方によってこそ救いが得られるというのがカトリック教徒の信条であったからだ。エラスムスは、マルタへのキリストの言葉は中庸たることへのいさめであり、「どうしても必要なのは1つだけである」と言うことによって、物欲主義への傾倒に警鐘を鳴らしたのだと解釈している。

 本作品がフェルメールの手に帰されたのはようやく20世紀初頭になってからである。1901年、ロンドンの画商フォーブス・アンド・パターソンが所蔵していた折に本作品を洗浄したところ「I V Meer」という署名が現れた。しかし、作風がフェルメールの多くの作品と異なっていたため、当初は、ユトレヒト出身のヨーハン・ファン・デル・メールの作品と見なす者もいた。(略)本作品をかの有名なデルフトの画家の手になるものと最初に確認したのはウィレム・マルティンである。以来、フェルメールの真筆性が本格的に疑われたことは一度もない。リートケは、おそらく《ディアナとニンフたち》が本作品に先立って制作されたとしているが、このマウリッツハイス王立美術館の所蔵作品は様式も色遣いも1656年に制作されたドレスデンの《取り持ち女》に近いので、ほとんどの研究者はエディンバラの《マルタとマリアの家のキリスト》こそが、現存作品の中で、フェルメールが最初に手がけた作品だと確信している。」