たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

福島第一原発;「IAEAは責任放棄」 米専門家が批判

2023年07月10日 17時34分34秒 | 気になるニュースあれこれ

放出されるのは処理水か?汚染水か?

 

2023年7月7日時事通信、

「IAEAは責任放棄」 米専門家が批判(時事通信) - Yahoo!ニュース

「シドニー時事】地域機構「太平洋諸島フォーラム(PIF)」が委嘱した専門家パネルの一人、アジュン・マクヒジャニ米エネルギー環境研究所所長は、国際原子力機関(IAEA)が東京電力福島第1原発の処理水放出の正当性を十分検討していないとして「責任放棄だ」と批判した。  

ラジオ・ニュージーランドが7日報じた。  

マクヒジャニ氏は、放射性物質の投棄に際しては社会や人々への利益がリスクを上回るという「正当化」が必要だと強調。「正当化は安全の基本原則の柱であるにもかかわらず、IAEAはこれを検討する責任を放棄した」と指摘した。」

 

 

「原発事故汚染水の海洋放出問題について、福島県会津若松市内で7月6日、市民と経産省・東電との意見交換会が行われました。本記事の前半では「陸上保管案」についての議論を詳報しました。ほかにはどんなことが話し合われたのかを紹介します。(文・写真/ウネリウネラ牧内昇平)

福島第一原発では毎日、地下水や雨水が壊れた原子炉建屋に流れこんでいます。そうした水は溶融した核燃料に直接触れたり、核燃料に触れていた水と混ざったりして「汚染水」になります。
(※だから通常運転している原発から出る廃水と、メルトダウンを起こした福島第一原発から生まれる「汚染水」とは意味合いが全く異なります。)

 汚染水を多核種除去設備(政府・東電などは「ALPS」と呼ぶ)で処理しても、すべての放射性物質が除去できるわけではありません。トリチウムが大量に残るのはもちろんのこと、炭素14(半減期約5700年)ヨウ素129(同1570万年)なども残ります。

日本政府は「ALPS」で処理後の汚染水を海水で薄め、海に捨てようとしています。放出が終わるには少なくとも30年ほどかかる見通しと言われています。
(※そういうシミュレーションを東電はしていますが、実際にはどのくらいかかるか不明確ですし、日本政府はこの「終わる時期」について何も約束していません。核のゴミの処分法が定まらない原発のことを「トイレなきマンション」といいますが、これから政府が始めようとしているのは「ゴールなき海洋放出」です)。

 政府は「放射性物質が残っても海水で薄めるから安全だ」と言います。しかし濃度だけの問題ではないでしょう。数十年後までの放出量が全部でどのくらいになるのか。普通は気になるところです。

7月6日の意見交換会では、主催した実行委員会のメンバーの一人がこの点を指摘しました。経済産業省資源エネルギー庁参事官の木野正登氏と東京電力リスクコミュニケーターの木元崇宏氏は、以下のように答えました。」

全文は、

【原発事故汚染水の海洋放出】市民と経産省・東電の意見交換会(後半) | ウネリウネラ (uneriunera.com)

 


『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(2)

2023年07月10日 00時52分27秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」

「さて、いよいよテニスン詩集がアメリカから届いた。エレーンとランスロットの詩が詠める、と期待にわくわくしながら、目次を開いた。『国王牧歌』という作品が、たしかにある。

 この詩、長編詩だとは知っていたが、詩だけで150ページもある。しかも二段組みだ。説明によると、もともとは二冊組みで発行された本だと書いてある。こんなに長い昔の英文をアンたちは読んだのかと感心しつつ、長さにたじろぐ。『国王牧歌』は、いくつにも分かれていて、そのなかの一つ『ランスロットとエレーン』(1859)とう詩が、アンたちが習った作品だった。

 

 といっても、この詩だけで行数が1400行もあるのだ。大した分量だ。あまりの長さにしりごみしたが、『アン』と同じ文章があるかもしれない。引用を探すために、最初から読んでいった。

 ちなみに、冒頭を訳すと、

「エレーン、そは麗しく、エレーン、そは愛らしい

 エレーン、アストラットの百合の乙女よ」

 となっていて、詩の二行目にも、エレーンが『百合の乙女』だと書いてある。

 1000行以上ある詩を読んて行く作業は、『アン』翻訳単行本の発行には間に合わなかったが、単行本を出した後も読み続け、引用をたくさん見つけた。重版のときに引用注を追加した。

 これは後でわかったが、『ランスロットとエレーン』からの詳しい引用解説は、カナダの研究者リア・ウィルムズハースト氏も、『注釈付き』の注を書いた北米の学者たちも見つけていなかった。テニスンの大長編詩を一行ずつ読み比べて探す、といういかにもオタクな調査は、本場の研究者もしなかったようだ。

 『アン』第二十八章には、テニスンの詩『ランスロットとエレーン』が引用されていることはもちろんだが、章全体が『アーサー王伝説』の流れを意識していて、それを模倣する形で進行している。もともとこの章は『アン』全体を通じて、一つの山場であるが、そこに、アーサー王伝説の『ランスロットとエレーン』をもりこむことによって、裏文脈とも呼べる伏線が生まれ、興味深い構成になっている。いよいよ、『アン』のお芝居ごっこを読んでみよう。

 

 美しい夏の昼下がり、アンは女友だちと四人で水辺につどい、この詩を芝居仕立てにして遊ぶ。百合の乙女エレーンには、アンがなるようにと、みんながすすめる。

 しかしアンは、エレーン役を辞退する。テニスンは、エレーンが金髪で「輝くばかりの髪が、豊かに波打っていた」と描いているから、赤毛のエレーンは変だと言うのだ。『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1149行めにエレーンは「輝くばかりの髪が豊かに波打っていた」とあった。しかし結局アンは、みんなのすすめに従って、エレーン役になる。

 次にアンは、残りの三人の役割分担を決める。「あんたたち三人はエレーンのお父さんと、兄さんたちになるのよ」と。エレーンの父親と兄二人は、エレーン姫の小舟を川に浮べて、見送る人物である。

 アンは、こうも言っている。

「口のきけない老いた召使もエレーンと一緒に舟に乗らなきゃいけないんだけど、私が舟に横になったら、もう一人乗る余裕はないから無理ね」

 

 『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1146行に、「そして口のきけない老いた召使が(舟に)乗った」とあるのだ。もっと前の部分を読むと、エレーン姫は、死の直前、口のきけない召使を船頭として自分から望んでいる。自分の恋心は、この手紙だけが語ってほしい、お父さんもお兄さんも何も言わないでほしい、だから物言わぬ召使の舵取りで、都のお城にゆきたいと。

続けてアンは、「エレーンの棺となる屋形船には、真っ黒などんすをしきつめなくてはね。ダイアナのお母さんの黒いショールがぴったりじゃないかしら」と言う。

これも『ランスロットとエレーン』の1135行に、「真っ黒などんすを棺衣にして舟の端から端まで敷きつめ」とあったのだ。何から何まで、詩の通りに進んでいくので、詩『ランスロットとエレーン』を探すのが、楽しみになってきた。

アンは、舟の底にダイアナのお母さんの黒いショールを広げて、横たわり、目を閉じ、両手を胸の上に組む。死人に扮したアンを見て、ルビーが心配する。「こんな(死人の)お芝居をしてもいいのかしら。リンドのおばさんは、お芝居ざたなんでものは忌まわしいものだって言ってるわ」と。

するとアンは、「リンドのおばさんの話なんかしないの」「これはリンドのおばさんが生まれる何百年も前の物語なのよ。そんなことを言ったら、雰囲気が台なしだわ」と答えるのだ。これは、そうとうに滑稽な会話だ。リンド夫人とは、村の熱心な世話焼き、初老の善女であるが、体重200ポンド(約90キロ)の超肥満体で口やかましく、大した説教好きなのだ。確かに、失恋の悲しみに世をはかなんだ可憐なエレーン姫になりきろうとしているアンにとって、ここで、口やかましいリンドのおばさんの説教話など持ち出されては、ロマンチックな気分が台なしだ。この台詞は大爆笑もので、訳しながら、何度も思い出し笑いをしたものだ。

死人のエレーン姫が、寝ながらあれこれ指示するのは変だとアンが言い、以後は、優等生ジェーンが、姫の出棺にむけて指示する。女の子たちは、エレーンのなきがらにかける金色の布がないので、日本の絹の黄色い縮緬(ちりめん)で代用する。テニスンの『ランスロットとエレーン』を探すと、1150行に、「金色の布を全身におおいかけ」と、ちゃんとある。

姫に持たせる白い百合の花はなかったが、川辺に咲いている青いアイリスの花で代用した、とある。これも詩を探すと、1148行に、「右手には百合の花を、左手には手紙を」と、書いてあるのだ。

これでエレーンの支度はすべて整った。いよいよお別れだ。

 

「さてと、準備はできた」ジェーンは言った。「みんなでエレーンの静かなる額に口づけをするのよ。それからダイアナは、『妹よ、永久にさらば』と言って、ルビーは、『さらば、愛しの妹よ』と言うのよ」

これも、詩『ランスロットとエレーン』の1143~1145行に、

 

 そしてエレーンの静かなる額に口づけをして、言った。

「妹よ、永久にさらば」、もう一人の兄も

「さらば、さらば愛しの妹よ」と告げ、父と兄たちは涙ながらに別れの挨拶をした。

とあるのだ。優等生のジェーンは、『ランスロットとエレーン』をきちんと暗記しているではないか!しかしこのとき、アンが怖い顔をして舟に横たわっているので、ジェーンに注意されている。

テニスンの詩には、エレーンは「微笑むがごとくに横たわりし」とあるから、もっと穏やかな顔をしなさいというのだ。テニスンの詩を探すと、1154行めに、たしかにエレーンが「微笑むがごとくに横たわりし」とある。そこで案は、微笑んで横たわる。

そしてダイアナ、ジェーン、ルビーの三人は、小舟を岸からゴリゴリと押し出して、水に浮べ、流れていくのを見送る。

アンの小舟が川を流れていくのを見届けると、残りの三人は、下流へ走っていく。彼女たちの遊びの中では、下流はエレーンがたどりつく王都キャメロットという設定なのだ。今度は三人は、騎士ランスロット、アーサー王、王妃グィネヴィアの役に変わり、エレーンの小舟がたどりつくのを待ち受ける。

しかし、アンが身を横たえた小舟は、底に穴が開いて浸透して沈みかけてしまう。アンは川にかかっている橋の脚にしがみついて、どうにか助かる。

けれど、それを知らない三人は、流れてきた小舟が沈んだのを見て、てっきりアンが溺れ死んだと思いこみ、大人を呼びに家に戻ってしまう。

 助けを待って橋の脚にしがみついていたアンは、気づかれることもなく、起き去りにされる。しだいに腕が痛くなり、いよいよ深い川に落ちて溺れるかといいうところで、ハンサムな少年ギルバート・ブライスがボートをこいで、橋の下を通りかかる。

かつてアンは、このギルバートに赤毛をからかわれたことがあり、彼を敵視していたのだが、ここは仕方なく、つんとしたまま助けてもらう。一方、もともとアンに好意をもっていたギルバートは、仲直りを持ちかけるのだが、アンは意地をはって拒絶する。しかしアンは、妙な後悔におそわれる。本当は、自分がギルバートを許していたことに気づくのだ。

以上が、『アン』第二十八章の筋書きだ。テニスンの詩と、アンとギルバートの関係があんまりぴったり一致していて、とても驚いた。

何しろアンは、死せるエレーンに扮して流れていくと、思いがけず舟が浸水して、本当に死にそうな目にある。これがまず一つ目のエレーンとアンの類似点だ。

二つ目の類似点としては、テニスンの詩ではエレーンは流れていった先で、恋しい人ランスロットに見つけられるが、『アン』第二十八章では、瀕死のアンを見つけて助けるのが、ギルバートなのだ。

ギルバートのことを、アンは親の敵(かたき)のように憎んでいるが、内心では彼が気になっている。つまり、アンがギルバートに発見される筋書きは、いずれ二人が恋仲になることを暗示しているのだ。実際、『アン』の結末で、二人は和解して親友になり、後には結婚するのだ。

こうした成りゆきを、それとなく伏線として示しているところが、この章の大きな魅力だ。テニスンの詩を知っている英米の読者は、この章を読んで、おおいにニヤリとしただろう。

こうして大騒動をおこしたアンは、章の最後に、グリーン・ゲイブルズのマリラとマシューにむかって言う。

「(前略)それで今日の失敗は、ロマンチックになりすぎる癖をなおしてくれたのよ。それに、アヴォンリーでロマンチックを期待しても、無駄だってわかったの。何百年も昔の、塔がそびえる都キャメロットならともかく、この時代にロマンスなんて、あわないのよ。だから、そのうち、ロマンチックになりすぎるくせも、ぐっと改善されるのは確実よ」

「そりゃ結構だと、私も確実に思ってるよ」マリラは疑わしそうに言った。

しかし、マリラが出ていくと、いつものように黙って隅にすわっていたマシューは、アンの肩に手を置くと、はにかみながら小さな声で言った。

「おまえのロマンスだがね、すっかりやめてしまってはいけないよ、アン。ロマンスも、少しならいいものだよ。-むろん、度がすぎてはいかんよ-でも、少しは続けるんだよ、アン、ロマンスも少しはとっておくんだよ」

 

こうして第二十八章は、マシューのやさしい言葉で終わる。

97年に出た『注釈付き』の注を読んでいたら、もう一つ引用があると出ていた。

「塔がそびえる都キャメロット(towered Camelot)が、テニスンがエレーンを下敷きにした別の詩『シャロットの姫』第四部122行の「塔がそびえる都キャメロット」にちなんでいるという。

『テニスン詩集』の『シャロットの姫』を調べたところ、たしかに122行に、あった。「重くたれこめた空から雨がふる、塔がそびえる都キャメロットに」だ。」

 

                               ⇒続く

 

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』89-96頁より)