「さて、いよいよテニスン詩集がアメリカから届いた。エレーンとランスロットの詩が詠める、と期待にわくわくしながら、目次を開いた。『国王牧歌』という作品が、たしかにある。
この詩、長編詩だとは知っていたが、詩だけで150ページもある。しかも二段組みだ。説明によると、もともとは二冊組みで発行された本だと書いてある。こんなに長い昔の英文をアンたちは読んだのかと感心しつつ、長さにたじろぐ。『国王牧歌』は、いくつにも分かれていて、そのなかの一つ『ランスロットとエレーン』(1859)とう詩が、アンたちが習った作品だった。
といっても、この詩だけで行数が1400行もあるのだ。大した分量だ。あまりの長さにしりごみしたが、『アン』と同じ文章があるかもしれない。引用を探すために、最初から読んでいった。
ちなみに、冒頭を訳すと、
「エレーン、そは麗しく、エレーン、そは愛らしい
エレーン、アストラットの百合の乙女よ」
となっていて、詩の二行目にも、エレーンが『百合の乙女』だと書いてある。
1000行以上ある詩を読んて行く作業は、『アン』翻訳単行本の発行には間に合わなかったが、単行本を出した後も読み続け、引用をたくさん見つけた。重版のときに引用注を追加した。
これは後でわかったが、『ランスロットとエレーン』からの詳しい引用解説は、カナダの研究者リア・ウィルムズハースト氏も、『注釈付き』の注を書いた北米の学者たちも見つけていなかった。テニスンの大長編詩を一行ずつ読み比べて探す、といういかにもオタクな調査は、本場の研究者もしなかったようだ。
『アン』第二十八章には、テニスンの詩『ランスロットとエレーン』が引用されていることはもちろんだが、章全体が『アーサー王伝説』の流れを意識していて、それを模倣する形で進行している。もともとこの章は『アン』全体を通じて、一つの山場であるが、そこに、アーサー王伝説の『ランスロットとエレーン』をもりこむことによって、裏文脈とも呼べる伏線が生まれ、興味深い構成になっている。いよいよ、『アン』のお芝居ごっこを読んでみよう。
美しい夏の昼下がり、アンは女友だちと四人で水辺につどい、この詩を芝居仕立てにして遊ぶ。百合の乙女エレーンには、アンがなるようにと、みんながすすめる。
しかしアンは、エレーン役を辞退する。テニスンは、エレーンが金髪で「輝くばかりの髪が、豊かに波打っていた」と描いているから、赤毛のエレーンは変だと言うのだ。『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1149行めにエレーンは「輝くばかりの髪が豊かに波打っていた」とあった。しかし結局アンは、みんなのすすめに従って、エレーン役になる。
次にアンは、残りの三人の役割分担を決める。「あんたたち三人はエレーンのお父さんと、兄さんたちになるのよ」と。エレーンの父親と兄二人は、エレーン姫の小舟を川に浮べて、見送る人物である。
アンは、こうも言っている。
「口のきけない老いた召使もエレーンと一緒に舟に乗らなきゃいけないんだけど、私が舟に横になったら、もう一人乗る余裕はないから無理ね」
『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1146行に、「そして口のきけない老いた召使が(舟に)乗った」とあるのだ。もっと前の部分を読むと、エレーン姫は、死の直前、口のきけない召使を船頭として自分から望んでいる。自分の恋心は、この手紙だけが語ってほしい、お父さんもお兄さんも何も言わないでほしい、だから物言わぬ召使の舵取りで、都のお城にゆきたいと。
続けてアンは、「エレーンの棺となる屋形船には、真っ黒などんすをしきつめなくてはね。ダイアナのお母さんの黒いショールがぴったりじゃないかしら」と言う。
これも『ランスロットとエレーン』の1135行に、「真っ黒などんすを棺衣にして舟の端から端まで敷きつめ」とあったのだ。何から何まで、詩の通りに進んでいくので、詩『ランスロットとエレーン』を探すのが、楽しみになってきた。
アンは、舟の底にダイアナのお母さんの黒いショールを広げて、横たわり、目を閉じ、両手を胸の上に組む。死人に扮したアンを見て、ルビーが心配する。「こんな(死人の)お芝居をしてもいいのかしら。リンドのおばさんは、お芝居ざたなんでものは忌まわしいものだって言ってるわ」と。
するとアンは、「リンドのおばさんの話なんかしないの」「これはリンドのおばさんが生まれる何百年も前の物語なのよ。そんなことを言ったら、雰囲気が台なしだわ」と答えるのだ。これは、そうとうに滑稽な会話だ。リンド夫人とは、村の熱心な世話焼き、初老の善女であるが、体重200ポンド(約90キロ)の超肥満体で口やかましく、大した説教好きなのだ。確かに、失恋の悲しみに世をはかなんだ可憐なエレーン姫になりきろうとしているアンにとって、ここで、口やかましいリンドのおばさんの説教話など持ち出されては、ロマンチックな気分が台なしだ。この台詞は大爆笑もので、訳しながら、何度も思い出し笑いをしたものだ。
死人のエレーン姫が、寝ながらあれこれ指示するのは変だとアンが言い、以後は、優等生ジェーンが、姫の出棺にむけて指示する。女の子たちは、エレーンのなきがらにかける金色の布がないので、日本の絹の黄色い縮緬(ちりめん)で代用する。テニスンの『ランスロットとエレーン』を探すと、1150行に、「金色の布を全身におおいかけ」と、ちゃんとある。
姫に持たせる白い百合の花はなかったが、川辺に咲いている青いアイリスの花で代用した、とある。これも詩を探すと、1148行に、「右手には百合の花を、左手には手紙を」と、書いてあるのだ。
これでエレーンの支度はすべて整った。いよいよお別れだ。
「さてと、準備はできた」ジェーンは言った。「みんなでエレーンの静かなる額に口づけをするのよ。それからダイアナは、『妹よ、永久にさらば』と言って、ルビーは、『さらば、愛しの妹よ』と言うのよ」
これも、詩『ランスロットとエレーン』の1143~1145行に、
そしてエレーンの静かなる額に口づけをして、言った。
「妹よ、永久にさらば」、もう一人の兄も
「さらば、さらば愛しの妹よ」と告げ、父と兄たちは涙ながらに別れの挨拶をした。
とあるのだ。優等生のジェーンは、『ランスロットとエレーン』をきちんと暗記しているではないか!しかしこのとき、アンが怖い顔をして舟に横たわっているので、ジェーンに注意されている。
テニスンの詩には、エレーンは「微笑むがごとくに横たわりし」とあるから、もっと穏やかな顔をしなさいというのだ。テニスンの詩を探すと、1154行めに、たしかにエレーンが「微笑むがごとくに横たわりし」とある。そこで案は、微笑んで横たわる。
そしてダイアナ、ジェーン、ルビーの三人は、小舟を岸からゴリゴリと押し出して、水に浮べ、流れていくのを見送る。
アンの小舟が川を流れていくのを見届けると、残りの三人は、下流へ走っていく。彼女たちの遊びの中では、下流はエレーンがたどりつく王都キャメロットという設定なのだ。今度は三人は、騎士ランスロット、アーサー王、王妃グィネヴィアの役に変わり、エレーンの小舟がたどりつくのを待ち受ける。
しかし、アンが身を横たえた小舟は、底に穴が開いて浸透して沈みかけてしまう。アンは川にかかっている橋の脚にしがみついて、どうにか助かる。
けれど、それを知らない三人は、流れてきた小舟が沈んだのを見て、てっきりアンが溺れ死んだと思いこみ、大人を呼びに家に戻ってしまう。
助けを待って橋の脚にしがみついていたアンは、気づかれることもなく、起き去りにされる。しだいに腕が痛くなり、いよいよ深い川に落ちて溺れるかといいうところで、ハンサムな少年ギルバート・ブライスがボートをこいで、橋の下を通りかかる。
かつてアンは、このギルバートに赤毛をからかわれたことがあり、彼を敵視していたのだが、ここは仕方なく、つんとしたまま助けてもらう。一方、もともとアンに好意をもっていたギルバートは、仲直りを持ちかけるのだが、アンは意地をはって拒絶する。しかしアンは、妙な後悔におそわれる。本当は、自分がギルバートを許していたことに気づくのだ。
以上が、『アン』第二十八章の筋書きだ。テニスンの詩と、アンとギルバートの関係があんまりぴったり一致していて、とても驚いた。
何しろアンは、死せるエレーンに扮して流れていくと、思いがけず舟が浸水して、本当に死にそうな目にある。これがまず一つ目のエレーンとアンの類似点だ。
二つ目の類似点としては、テニスンの詩ではエレーンは流れていった先で、恋しい人ランスロットに見つけられるが、『アン』第二十八章では、瀕死のアンを見つけて助けるのが、ギルバートなのだ。
ギルバートのことを、アンは親の敵(かたき)のように憎んでいるが、内心では彼が気になっている。つまり、アンがギルバートに発見される筋書きは、いずれ二人が恋仲になることを暗示しているのだ。実際、『アン』の結末で、二人は和解して親友になり、後には結婚するのだ。
こうした成りゆきを、それとなく伏線として示しているところが、この章の大きな魅力だ。テニスンの詩を知っている英米の読者は、この章を読んで、おおいにニヤリとしただろう。
こうして大騒動をおこしたアンは、章の最後に、グリーン・ゲイブルズのマリラとマシューにむかって言う。
「(前略)それで今日の失敗は、ロマンチックになりすぎる癖をなおしてくれたのよ。それに、アヴォンリーでロマンチックを期待しても、無駄だってわかったの。何百年も昔の、塔がそびえる都キャメロットならともかく、この時代にロマンスなんて、あわないのよ。だから、そのうち、ロマンチックになりすぎるくせも、ぐっと改善されるのは確実よ」
「そりゃ結構だと、私も確実に思ってるよ」マリラは疑わしそうに言った。
しかし、マリラが出ていくと、いつものように黙って隅にすわっていたマシューは、アンの肩に手を置くと、はにかみながら小さな声で言った。
「おまえのロマンスだがね、すっかりやめてしまってはいけないよ、アン。ロマンスも、少しならいいものだよ。-むろん、度がすぎてはいかんよ-でも、少しは続けるんだよ、アン、ロマンスも少しはとっておくんだよ」
こうして第二十八章は、マシューのやさしい言葉で終わる。
97年に出た『注釈付き』の注を読んでいたら、もう一つ引用があると出ていた。
「塔がそびえる都キャメロット(towered Camelot)が、テニスンがエレーンを下敷きにした別の詩『シャロットの姫』第四部122行の「塔がそびえる都キャメロット」にちなんでいるという。
『テニスン詩集』の『シャロットの姫』を調べたところ、たしかに122行に、あった。「重くたれこめた空から雨がふる、塔がそびえる都キャメロットに」だ。」
⇒続く
(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』89-96頁より)