イギリスへの旅の思い出 _ 小説『嵐が丘』の舞台ハワース(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643
2020年9月の記事ですが、時系列にそってたどり直すためにこちらも再投稿します。
*********************
時々思い出すイギリスへの旅、つまらない昔語りです。ロンドンの大英博物館を訪れたのは旅日記を振り返ってみると、1992年5月24日のことでした。断捨離で残した写真はこの一枚のみ。まだ断捨離ということばが一般的になる前、片付けということがいわれ始めた頃に他は処分してしまいました。こんな巨大な彫像やら石造りの神殿?やらずらりと並んだミイラが納められている棺などなど、どうやって運んだのかしら、よく運んだもんだと思った記憶があります。植民地時代の略奪品の宝庫といえばいえる?でしょうか。ロンドン、美術館と同じく入場は無料でした。日本語のガイドブックを購入しました。2.5£。たぶん人生最初で最後だった大英博物館。
コロナで3月からクローズとなっていたのが、8月27日からようやく再開したようです。
2週間ほどイギリスに滞在しました。わたしにとっては人生最長の旅。若い頃に戻りたいのかと聞かれるとわからないですが、とにかく若かったです。叶うことはありませんが、もし今の自分で旅をすることができるのなら、心に映る景色が全く違うように思います。
「1992年5月24日(日)晴
一週間ぶりに戻ってきた大都会ロンドン、来たばかりの時にはあまり感じなかったが田舎街をめぐって再びきてみると、歴史と伝統を背負いながらもけん騒と慌ただしさをもった雑多な街だ。おそろしくさえ感じる、物価も高いしね。
昨夜泊まったホテルは失敗だった。一応眠れたけど落ち着かなかった。
最初にドアを叩いた25£の部屋を断ってしまったのを後悔している。
ちょっぴりリッチな気分にひたりたくて『地球の歩き方』をたよりに今夜は34£の部屋。ウッ高い、でもせっかく来たのだから一泊か二泊ぐらい、いいじゃんね。
それにつけても思い出されるのはハワース(『嵐が丘』の舞台)のB&Bの居心地のよさだ。
ツインルームに一人で泊まって二泊で25£、夜食のクッキー、昼食用のトースト、グレープフルーツ付の朝食、夕食にはサンドイッチも作ってくれて、何かあったらTELしなさいと出かけるときにはメモを渡してくれたし、十分にお礼が言えなかったのが残念だ、本当に。
バスと列車の時刻もていねいに説明してくれた。
あの寒々としたヒースの丘と重なり合って、今回の旅の中でいちばん印象に残ることになるかもしれない。
おじさまが勧めてくれたヨークにも二時間余りだけど立ち寄ってみた。ミンスター寺院の鐘をききながらぼんやりしているひとときがよかった。城壁も歩き、中世をそのまま抱えたような街の趣を少しばかり感じた。
昨日の朝もくもっていて寒かったが、昼間は本当によい天気だった。今日ももちろん快晴、さて明日はー。
明日ロンドンは休日だときいていたことを戻ってくるまで実感していなかった。大韓航空の窓口がお休みだと帰ることができない、ちょっと心配だ。ガイドブックをみてみれば行くところはいっぱいあって尽きることのないロンドン。疲れているので今日はあまり歩かないことにしている。博物館のみ。
こうしてここまでなんとか無事に過ごしてきた。後数日どうなることだろう。
ロンドンでの孤独な夜を感じたくて思い立った旅だ。まだそれは果たしていない。
ひとつひとつのことをこなしていくのに夢中ですっかり忘れていた。
観光めぐりをしているだけで結局たいしたことはしていない。
それでもやはり来てよかったのだろう。
多くの課題を残して、またいつか来たい。
夜になっても暑い。
ちょっぴりリッチな部屋に泊まって、ちょっぴりリッチな気分、
疲れているので今日は大英博物館に行ったのみ。
とても全部見きれるものではない。古代エジプトとギリシャのみ。
紀元前の世界を楽しむことができた。英文の説明が読めないのはなさけないけどねー。
帰国便の予約の再確認について心配、JTBにTELしてみたら明後日でも大丈夫だろうというのだが明日ヒースローのJALにTELしてみよう。どうにもならないかもしれないけど、いやだけど帰国日が延びてしまうぐらいの気持ちをもってー。
明後日はBakerStreetへ行こう、マダムタッソー美術館と日本料理を楽しみにして。
日本ならばどこにでもある自販機、すぐにあるコンビニ、不便している。
ジュースを一本買うのに何十分も歩きまわったりして。
わたしが方向音痴だっていうこともあるけど、そういった不便もまた楽しだ。
黒髪、どんなに西洋のマネをしても自分は日本人だとしみじみ思う。
昨夜のホテルにセーターを残してきた。ほんの少しだけ肩の荷物が軽くなった。
最後の一枚のはがきを誰に出そうかまだ決めていない。
RuskinHotel泊、34£」
大韓航空のチケットを予約したとき、三日前だったかな、帰国便を自分で航空会社に電話して確認することを忘れないよう繰り返し言われたこと、あわせてロンドンの休日に注意するよう言われたことを忘れて焦っていましたね。翌日大韓航空に電話をしたら日本語で対応してくれて事なきを得たことを思い出しました。今なら飛行機で何時間もかけて移動せずともインターネットでいくらでも写真をみることができるし、映像でバーチャル体験をすることもできますが、その場を自分の足で歩かなければわからないものがあるのは舞台・絵画との出会いも旅も同じなのだと今だから思います。
28年前、セーター1枚ごときよりもはるかにはるかに重く、この世にいる間おろすこともできないものを背負わなければならない人生になるとは知らなかった頃の一人旅。この年月どうにかこうにか無事に生き延びてきたのか、ここまで生き延びてきたのか・・・。
ガイドブックはまたゆっくり読み返したい。
こちらはたぶん城壁の街ヨーク。
ぼんやりとした記憶で、マクドナルドに入りました。
マクドナルドっぽくない、街全体と調和するような外観だったことを思い出します。
街並みをこわさないために法的な規制があるのかもしれません。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643
2020年9月の記事ですが、時系列にそってたどり直すためにこちらも再投稿します。
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時々思い出すイギリスへの旅、つまらない昔語りです。ロンドンの大英博物館を訪れたのは旅日記を振り返ってみると、1992年5月24日のことでした。断捨離で残した写真はこの一枚のみ。まだ断捨離ということばが一般的になる前、片付けということがいわれ始めた頃に他は処分してしまいました。こんな巨大な彫像やら石造りの神殿?やらずらりと並んだミイラが納められている棺などなど、どうやって運んだのかしら、よく運んだもんだと思った記憶があります。植民地時代の略奪品の宝庫といえばいえる?でしょうか。ロンドン、美術館と同じく入場は無料でした。日本語のガイドブックを購入しました。2.5£。たぶん人生最初で最後だった大英博物館。
コロナで3月からクローズとなっていたのが、8月27日からようやく再開したようです。
2週間ほどイギリスに滞在しました。わたしにとっては人生最長の旅。若い頃に戻りたいのかと聞かれるとわからないですが、とにかく若かったです。叶うことはありませんが、もし今の自分で旅をすることができるのなら、心に映る景色が全く違うように思います。
「1992年5月24日(日)晴
一週間ぶりに戻ってきた大都会ロンドン、来たばかりの時にはあまり感じなかったが田舎街をめぐって再びきてみると、歴史と伝統を背負いながらもけん騒と慌ただしさをもった雑多な街だ。おそろしくさえ感じる、物価も高いしね。
昨夜泊まったホテルは失敗だった。一応眠れたけど落ち着かなかった。
最初にドアを叩いた25£の部屋を断ってしまったのを後悔している。
ちょっぴりリッチな気分にひたりたくて『地球の歩き方』をたよりに今夜は34£の部屋。ウッ高い、でもせっかく来たのだから一泊か二泊ぐらい、いいじゃんね。
それにつけても思い出されるのはハワース(『嵐が丘』の舞台)のB&Bの居心地のよさだ。
ツインルームに一人で泊まって二泊で25£、夜食のクッキー、昼食用のトースト、グレープフルーツ付の朝食、夕食にはサンドイッチも作ってくれて、何かあったらTELしなさいと出かけるときにはメモを渡してくれたし、十分にお礼が言えなかったのが残念だ、本当に。
バスと列車の時刻もていねいに説明してくれた。
あの寒々としたヒースの丘と重なり合って、今回の旅の中でいちばん印象に残ることになるかもしれない。
おじさまが勧めてくれたヨークにも二時間余りだけど立ち寄ってみた。ミンスター寺院の鐘をききながらぼんやりしているひとときがよかった。城壁も歩き、中世をそのまま抱えたような街の趣を少しばかり感じた。
昨日の朝もくもっていて寒かったが、昼間は本当によい天気だった。今日ももちろん快晴、さて明日はー。
明日ロンドンは休日だときいていたことを戻ってくるまで実感していなかった。大韓航空の窓口がお休みだと帰ることができない、ちょっと心配だ。ガイドブックをみてみれば行くところはいっぱいあって尽きることのないロンドン。疲れているので今日はあまり歩かないことにしている。博物館のみ。
こうしてここまでなんとか無事に過ごしてきた。後数日どうなることだろう。
ロンドンでの孤独な夜を感じたくて思い立った旅だ。まだそれは果たしていない。
ひとつひとつのことをこなしていくのに夢中ですっかり忘れていた。
観光めぐりをしているだけで結局たいしたことはしていない。
それでもやはり来てよかったのだろう。
多くの課題を残して、またいつか来たい。
夜になっても暑い。
ちょっぴりリッチな部屋に泊まって、ちょっぴりリッチな気分、
疲れているので今日は大英博物館に行ったのみ。
とても全部見きれるものではない。古代エジプトとギリシャのみ。
紀元前の世界を楽しむことができた。英文の説明が読めないのはなさけないけどねー。
帰国便の予約の再確認について心配、JTBにTELしてみたら明後日でも大丈夫だろうというのだが明日ヒースローのJALにTELしてみよう。どうにもならないかもしれないけど、いやだけど帰国日が延びてしまうぐらいの気持ちをもってー。
明後日はBakerStreetへ行こう、マダムタッソー美術館と日本料理を楽しみにして。
日本ならばどこにでもある自販機、すぐにあるコンビニ、不便している。
ジュースを一本買うのに何十分も歩きまわったりして。
わたしが方向音痴だっていうこともあるけど、そういった不便もまた楽しだ。
黒髪、どんなに西洋のマネをしても自分は日本人だとしみじみ思う。
昨夜のホテルにセーターを残してきた。ほんの少しだけ肩の荷物が軽くなった。
最後の一枚のはがきを誰に出そうかまだ決めていない。
RuskinHotel泊、34£」
大韓航空のチケットを予約したとき、三日前だったかな、帰国便を自分で航空会社に電話して確認することを忘れないよう繰り返し言われたこと、あわせてロンドンの休日に注意するよう言われたことを忘れて焦っていましたね。翌日大韓航空に電話をしたら日本語で対応してくれて事なきを得たことを思い出しました。今なら飛行機で何時間もかけて移動せずともインターネットでいくらでも写真をみることができるし、映像でバーチャル体験をすることもできますが、その場を自分の足で歩かなければわからないものがあるのは舞台・絵画との出会いも旅も同じなのだと今だから思います。
28年前、セーター1枚ごときよりもはるかにはるかに重く、この世にいる間おろすこともできないものを背負わなければならない人生になるとは知らなかった頃の一人旅。この年月どうにかこうにか無事に生き延びてきたのか、ここまで生き延びてきたのか・・・。
ガイドブックはまたゆっくり読み返したい。
こちらはたぶん城壁の街ヨーク。
ぼんやりとした記憶で、マクドナルドに入りました。
マクドナルドっぽくない、街全体と調和するような外観だったことを思い出します。
街並みをこわさないために法的な規制があるのかもしれません。