たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

現実のロサンゼルスは消えていこうとしています

2025年01月12日 16時05分50秒 | 気になるニュースあれこれ

作品紹介 | 宙組公演 『宝塚110年の恋のうた』『Razzle Dazzle(ラズル ダズル)』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

 宝塚大劇場で上演中のキキちゃんの退団公演、座付き演出家の愛情たっぷり、楽しい仕上がりになっているようです。キキちゃん、朗らかに楽しく舞台に立っているようでほっとしています。

 芝居の舞台は1950年代のアメリカ、ロサンゼルス、ハリウッド。これまでもしばしば登場してきているので、耳に馴染んでいる地名。わたしも含めて戦後アメリカがなんだかとても素晴らしい国であるかのように洗脳されてきた日本人にとってハリウッド映画は胸ときめく憧れの場所でしたが、現実のロサンゼルスは今や自然発生的なものではない?山火事により燃え尽きようとしています。バイデン政権によりアメリカは相当こわれました。なかでも左翼が強いというカリフォルニア州かなりおかしくなっていましたがこんな日が訪れようとは。アメリカがおかしくなると世界中おかしくなるということもよくわかりました。正常に戻そうとしているのがトランプさん。

「HOLLYWOOD」が燃えている写真と映像、AIによる合成ではないかという声もあるようですがYOSHIKIが自分も非難しているとツィートしていますね。ロサンゼルスに豪邸をもちハリウッドにスタジオをかまえていたとはなんとも。

 カマラ・ハリス副大統領の後押しで市長になったという民主党のロサンゼルス市長が消防予算を削った為に高級住宅街の消火栓から水が出ない、コロナワクチン強制接種を拒否して消防士が大量に退職、行き過ぎた黒人差別禁止により黒人優先で消防士を一定数採用しなければならないなどにより、消防車はあっても消防士がいない事態となっているようです。掛谷先生がツィートしているようにポリコレ政治の末路が今のロサンゼルスの姿。ダイバーシティだのやっている日本は同じ轍を踏もうとしています。

 カリフォルニアには8か月雨が降っていない、今後も降りそうにない乾燥地帯。トランプさんはかねてより警鐘を鳴らしてきているそうです。

2025年1月11日ロサンゼルス在住の日本人警察官ゆりさん、

(163) ロサンゼルスが消えていく・・・ - YouTube

 

XユーザーのHideki Kakeya, Dr.Eng.さん: 「知識人の妄想に基づくポリコレ政治の末路。DEI(多様性・公平性・包括性)雇用では消防も警察もインフラも維持できない。文明的な生活を維持するためには、メリトクラシー(能力主義)への回帰が必要です。」 / X

「知識人の妄想に基づくポリコレ政治の末路。DEI(多様性・公平性・包括性)雇用では消防も警察もインフラも維持できない。文明的な生活を維持するためには、メリトクラシー(能力主義)への回帰が必要です。」

 

 


教育とカウンセリング①②講義メモ

2025年01月12日 12時54分20秒 | グリーフケア

パーソナリティの発達と病理①②③メモ(2)

2004年6月12日(土)教育とカウンセリング①②

清水幹夫

1)教育とは何か?

 教育⇒私たちはいろんな意味で使っている。

 Ex.あの人は高い教育を受けている、という場合は教育制度をいう。

 

 教育を人間形成という働き、と捉える。

 

2)なぜ私たちには教育が必要か?

 教育が必要なようにできている。大脳にその秘密がある。

 哺乳類の脳は、大脳にすっぽりとおおわれている。

 「新しい皮質」とも呼ばれる「大脳皮質」は知性の働き。

 「古い皮質」は下等動物ほど多くもつ。遺伝子の中に組み込まれている。本能的な働きをつかさどる。例えば動物は生まれながらに歩くことができるなど、もって生まれてくる機能。

 人間の大脳は「古い皮質」は少しで「新しい皮質」を多くもつ。「新しい皮質」は刺激を与えないと発達しない。大脳皮質をはたらかせて学習していくのである。人間は生まれてから環境の中でいろいろな行動を身につけていく。

私たちは死ぬまで大脳皮質を働かせながら環境の変化に応じて生き方を獲得していくのである。

 

(補足)

大脳皮質(cerebral Cortex)

大脳半球の表面を覆っている灰白質の薄い層で、系統発生的に新しい新皮質、古い原皮質、もっとも古い古皮質が区別される。これらは細胞構築学的にも機能的にも異なっており、6層構造をなす新皮質を等皮質、それ以外を不等皮質と呼ぶこともある。高等動物では大脳半球表面のほとんどを新皮質が占めており、その機能から感覚野、運動野、連合野などがある。

 

『人間はどこまで動物か』(岩波新書)アドルフ・ポルトマン

 

人間は生まれてから一年の間にものすごいいきおいで大脳が発達している。人間は一年早く生まれてくるのでお母さんのおなかにいる時と同じスピードで発達する。

大脳の細胞は140億(大人も子供も)。再生はできない。大脳は他の細胞とつながりをもって発達していく。インターネットのネットワークのようにこわれても他とのつながりで回復していく。

幼い子供の脳には言語の文法を受け入れる基本機能がある。(モジュール)

人間は、大脳にいろんなスィッチを入れていく必要がある。

生まれてから5-6か月まではいろんな反射機能をもらっている(生きるために)

    ↓

   中脳

    ↓

   間脳

    ↓

   10月頃から「新しい皮質」が環境に適応していくように働き始める。

   母親を認識して、人見知りが始まる。

   母親と母親でない人をわけている。

   歩きはじめる-誰かが手伝ってあげなければ歩けない。

   人と人との関わりの中で人間らしい生き方を身につけていく。

   ここがしっかりしないと大脳皮質は発達しない。

  自閉症:人間関係がうまくとれない。

  ①おとなしい

  ②凶暴な動物的な行動をとる。

 初期の人間的な関わりの中で「新しい皮質」をはたらかせて人間になって     いく。乳幼児の人間的な関わりがうすいとカウンセリングは難しい。

 

3)教育の本質

 ①教育の価値観

「伝える」ということが、子供が人間らしくなっていく上で大切。

 ⇒文化・価値・知識等を伝える、教える

  日本の学校教育では、「伝える」ことが中心。

  教育の中に伝える・教えるというイメージがくみこまれている。

  「教育」という言葉は、中国から伝えられた。

  『孟子三楽』(紀元前):教育という文字の意を調べてみるといい。

  先生の言うことをそのまま受けつぐのが教育だと私たちは思っている。

  

  問題の原因

   ①大学の教員養成課程では、いかに知識を伝達するかが重視されてい る。なにをどのようにおしえるか、というトレーニングを行う。

   ②教員採用制度-試験をパスしないといけない。

   ③初任者研修

 

 ②教育の開発観

  その子供がもっている能力を見きわめてのばしていく。

  個を大事にする。

  大正時代に入ってきた考え方。新教育-ベスタロッチ・ルソー等

    さわやなぎまさたろう(成城小学校)

    おばらくによし(多摩川小学校をつくった)

  日本ではあまり大事にされていないのが現状。

  ①も②も大人が子供にしてあげる、という図式。

   ↓ 社会の多様性により(変化が激しい社会)さらに別の考え方がでてきた。

 

 ③教育の自己教育観

 自分で自分の必要なところを伸ばしていく。自分で自分を変えていく能力-この能力を赤ちゃんの時から身につける。

 1960年代に登場してきた考え方

 1957年;ソビエトが人口衛星を打ちあげた-スプートニックショック

  ↓

 アメリカはあわてて教育から見直しはじめた

 日本も追随して教育改革を行う

 系統だてて教えようとする。

 1970年代:ゆとりの教育

 1990年~:「総合の時間」の登場

 しかし、なかなか「たくましく生きる力」は育たない。

   ↓

 問題点:文部省は教えられると思っているが実は教えられるものではない。

 今の子供たちは親や先生がすぐ答えをおしえてしまう。困った経験をすることが少ないので、「たくましく生きる力」が育っていない。→カウンセリングが必要。

自分の力で自分が抱えている問題を解決していく力を身につける作業を手伝う。子供が答えをみつけるまでつきあう。

 

なぜ今自己教育観が必要か?

 変化が激しい社会なので状況に応じて自分を変えていく必要がある。自分をつくりなおし続ける。

 自分で考えて自分で乗り越えていくという資質を養う。

  ↓

 カウンセリングが必要になってくる。

 私というものに関心が向けられている。

 

心理学でも自己への関心が高まっている

 対面で子供を育てる(人間とチンパンジー)

  ↓

 お母さんとの信頼関係を築くように私たちはなっている。乳幼児期の人間関係はとても大切。

 

カウンセリングもひとつではない。意識に働きかけていく場合もあれば、無意識・行動にはたらきかけていく場合もある。

どういうカウンセリングが教育と結びつきやすいか?

 

清水先生の自己生成論

私というひとつのまとまり=自己

1)私らしくしていることは、その人の枠組み、外枠をとらえる時のチェックポイントになる。

2)スクリーニング機能-私というスクリーンを通して現実の世界を受けとめ固有の世界をつくっている、内なる現実。

3)受けとめた世界で私たちは行動している、その行動には意味がある。

4)行動している時、有機体が反応している、NOというふうに体が反応する時、問題が起こる。

5)有機体がNOといい始めたら、私たちは自分の枠組みを変えようとする力が働く。

その人の問題はそのひとの宝物

 

自己生成指向カウンセリングのポイント

(カール・ロジャースの影響を離れた先生の自己教育観)

その人が無理なく今体験していることにちかづいていく。

内なる現実。その人がいま直面している問題を乗り越えていく方法をその人自身が見出すことが自己生成につながる。このプロセスを支えていくのがカウンセリング。

まず心理学の全体像をつかむ。

私たちが心理学と呼んでいるものは現代心理学。

 

ブントの「実験心理学」が出発点

ギリシャ時代、人間に関しての記述が始まった。

科学的にものをとらえようとした。思弁心理学。

この頃の哲学をもとに心理学が始まった。

  ↓

以後、哲学の分野で心理学がとりあげられていく。

哲学的心理学。

  ↓

15-6世紀 経験主義

  ↓

17世紀おわり、自然科学の領域が発達してくると心の問題も自然科学のひとつとして発展させていこうとした。実験が行われるようになった。

 

ブントの心理学を批判しながら、新しい心理学が生まれてきている。

 

まず、フロイトが批判の矢を向けた。

精神分析学-フロイトは臨床心理学の原点

 ラッシセル・ベーカー『フロイト』講談社新書、宮城音弥訳

 

カウンセリングは自分を生かして人と関わる(清水先生)常に自分を見つめ直していく。

子供の頃が下地になる。人とコミュニケーションがとれないとカウンセリングはできない。

 

フロイトはユダヤ人、ウィーンで育つ(ドイツ語圏)

ヒステリーの研究から出発

五体満足なのに病的症状を訴える。

  ↓

催眠療法に関心をもつ

  ↓

私たち人間には自分の気付いていない世界がある。

無意識の世界に追いやる=抑圧

  ↓

催眠療法には無理があることに気づく。

自由連想法の発見-無意識の世界を自覚してもらう、わたしたちに普遍的にある。

根底には性欲がある。

リビドー、すなわち広義の性欲が心のエネルギー源とみなした。

 

夢-無意識の入口、“夢の解釈”が精神分析学の出発点となる。

自我が強い-無意識の世界の欲求を現実にあわせて調整する力が強い。

 

新精神分析学派

 フロイトの精神分析を批判

 環境要因を大切にする

ユングの分析心理学

 (スイス、白人)

 生い立ちから理解する

 宗教派の家庭に育った

 4歳の時、母親が分裂病になる

 父親は牧師だが、外面はよくても家では不安定

 愛情を受けられない、満たされない思いを読書で満たした、読書力があった

 勉強ができすぎた為周りから孤立、孤独

 ビジョン(空想)をよくみる、空想家、全知全能の神があらわれる

 精神科の医者になる

 ブロイラー(当時の有名な精神科医)の指導を受けながら、分裂病の患者と関 わる

言語連想の研究を行った

分裂病の患者は自分と同じビジョンをもつことに気づく、

ビジョンはどんな内容でもその人にとって重要な意味をもつ、成長に関わりがある、自分がビジョンによって孤独をのりこえた、フロイトの『夢の解釈』を読む

 

1907年、フロイトに初めて会う、ビンスワンガーと一緒に行く

1915年までフロイトとの交流は続く、

フロイトに破門され各地を旅行した時、人類共通の無意識があることに気づく

→遺伝子に組み込まれた集合的無意識 

 

『元型と象徴』(1919年)分析心理学の原点、ペルソナ・アニマ・アニムスセルフ

 

精神分析学との違い

 自分の中にある元型を表に出すのが治療。

 象徴化される、このプロセスが治療。

 遊戯療法-日本では児童に面に活用される。

 箱庭療法(河合隼雄)、コラージュ(杉浦)

 終わったあとでお話をする、解釈はしない、分析もしない。

 コミュニケーションを大切にする。


接遇ってなんだったのでしょうね

2025年01月12日 01時08分39秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの内科医の端くれさん: 「駅のサンドイッチ屋さんに、マスクした若い女性店員が立っていた。 お客さんが商品を選ぶ、袋につめて会計する。 ほとんど言葉は交わさない。視線も合わさない。 これならロボットでいいよなと思った。 いやむしろ、ロボットの方がいいよなと思った。 マスクをしているのは感染リスクを下げるため。」 / X

「駅のサンドイッチ屋さんに、マスクした若い女性店員が立っていた。 お客さんが商品を選ぶ、袋につめて会計する。 ほとんど言葉は交わさない。視線も合わさない。

これならロボットでいいよなと思った。 いやむしろ、ロボットの方がいいよなと思った。 マスクをしているのは感染リスクを下げるため。 それならロボットがいい。

表情を見せてコミュニケーションをとろうなんて気はお互いにない。 それならロボットがいい。 サービス業のマスクって、もっと真剣に考えるべきじゃないのか。接遇って何だったのか。

人間が接客する意味を考えないと、そりゃロボットに置換されていくよな。

でもまあ日本社会ってそれでいいということなのかな。」

 

 たしかに接遇という言葉が流行った時期がありました。トヨタとか大企業の研修にひっぱりだこのすごい女性講師がいるとかテレビで流れていました。そこまでするのかという内容だったと思います。コロナ騒動から未だに続くマスク接客、デパートもスーパーもコンビニもファーストフード店もほぼほぼマスク。たまーに素顔の方がいらっしゃいます。それだけでさわやかに感じます。接遇の心は何だったのでしょうね。たしかにロボットの方がマシなのかもしれません。

 街にでるとおかしな人が増えたなあと思います。帽子かぶってマスクで顔をおおっている人みるとぎょっとします。コロナ騒動まではテロリストか犯罪者にしかみえなかったはずですが、エセ専門家たちに間違ったコロナ対策を強要された結果、不審者だらけが当たり前であるかのような社会になってしまいました。顔を隠さないではいられなくなった大人がこんなにもいるとは、こんな社会が健全であるはずはなく、子どもたちの心身の成長への影響は甚大だと思います。かなり危険な社会だと思います。一刻も早くこんなおかしな社会は終わらせるべきだと思います。どうしたら終われるのか・・・。