たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

みりおちゃんファンイベント

2025年01月11日 16時45分43秒 | ミュージカル・舞台・映画

みりおちゃんファンイベント

青の洞窟

 

明日海りお FCイベント2024 〜Precious Party〜 | 研音 - KEN ON

【THE FINAL Special Ver.】に古川雄大、加藤清史郎、有澤樟太郎がゲスト出演!

 

2024年12月20日(金)17時30分~渋谷公会堂

 ゆんとのデュエットはWロミオによる『ロミオとジュリエット』より「エメ」、ゆんロミオがここで聴けるとは。みりおちゃん、『ガイド&ドールズ』の時はまだちょっと苦しかった高音がきれいにでていて10代のジュリエットの透明感、清らかさ、一途さが伝わってくる歌声。自分がロミオをやったのはもう10年ぐらい前、Wロミオで歌ってみたかったっていってたかな。(月組『ロミオとジュリエット』は2012年)

 ゆんのソロは『モーツァルト』より「僕こそ音楽(ミュージック)」、研音イベント、帝国劇場『モーツァルト』に続いて2024年3回目の「僕こそ~」でした。熟成されていく歌声、ルドルフで帝国劇場デビューした時の声の細さを思うとうそのようです。「まだ歌うんですか?って言われますが、まだまだ歌います」とゆん。

 清史郎君との車の運転免許の話で清史郎君が「みんなでドライブ行きましょう」と言うとみりおちゃん「古川さんは来てくれないと思う」からの続きで、駐車の仕方教えますよってゆんが言ったとき、みりおちゃんはマンションなどの立体駐車場、ゆんはショッピングモールなどの広い駐車場をイメージしていたみたいでズレてかみ合っていないところがまた楽しい二人の会話。

 10月から古川さんに会ったら言いたいことがあったとみりおちゃん。なにかと思ったら知らない間に『スパイファミリー』の再演が決まっていたという話。以前コンサートで出られるかもといった話を二人でしていたのかな。「オーディションの話も全くこなかった、知らない間に平方元基さんとか決まっていた」とゆん。

 やる気がないわけじゃないとゆんが何度か言っていたのはリハーサルの時そう見られがちということでしょうか。3階席からみると歌う時以外は猫背なんだなあと。最初に登場したとき「明日海りおさんのファンのみなさま、その他のファンのみなさま、元気ですか?」と呼びかけて盛り上げていた姿はすっかりコンサートに場慣れしていてミュージカルではわからない顔にちょっとびっくり。ベテランの風格でした。終演後ゆんのファンクラブと思われる方々が楽しそうに集っていました。席かたまっていてゆんがその方向をしっかりみていたようです。私の席周辺は清史郎君扱いの方々がかたまっていたっていうことでしょう。圧倒的に女性でしたが若い方からわたしのような年配者まで客席はみんな楽しそうであったかい雰囲気でした。帰りのエレベーターでカート使っているおばあちゃんと一緒になって、誰かが送迎してくれるからなのでしょうが来れるんだって思いました。

 スペシャルすごいゲスト3人とのセッションが終ったあとで歌ったのが『レ・ミゼラブル』より「オン・マイ・オウン」、自分が出演していない作品の曲を歌うのはどうかと思ったけれど挑戦してみたかったという話でした。自分が帝国劇場で観劇した歴代エポニーヌの孤独な姿が頭の中でリフレインする歌声でした。マリウスが優しければ優しいほどエポニーヌには辛い。劇中では描かれていませんが清史郎君が演じたガブローシュはエポニーヌの弟。こうしてみりおちゃんと清史郎君が同じ事務所所属となり同じ舞台に立っていて、そのおかげでみりおちゃんのファンイベントを楽しむことができているのはなんとも不思議な巡り合わせと感じたひとときでした。

 悲しいかな、時間がたつと記憶が薄れてくるのでおぼえている範囲での記録。

 グッズ売り場の前にディスプレイされていたクリスマスツリーと雪だるま、クリスマスオーナメント、写真撮ってもよかったみたいですがお手洗いに並んだあとで急ぎ会場をでなければならなかったし見過ごしました。でも目で楽しんで心の中のフォルダに断片が残っているから十分かな。今一番に思うことはみなさまお体は大丈夫でしょうか。とにかく無事に元気でいてほしいということ。『落語心中』チケットぴあで当選したので自分もそれまで生きていなければなりません。

 


不安神経症との闘い

2025年01月11日 13時19分15秒 | 日記

左足の甲が燃えるようにいたい、右の股関節も膝もいたい、いやだけどトアラセットをのんだので大丈夫。不安神経症に打ち勝って、無事に往復できますように。日比谷公園の大噴水にお別れも告げなければ・・・。


日本の送電にも外資が入り込もうとしています

2025年01月11日 12時46分31秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年12月25日

送電網の公募、外資が初の名乗り 北海道と本州間 - 日本経済新聞

「日本の各地域を結ぶ送電網の増強計画に、外資企業が初めて名乗りを上げたことが分かった。電力会社が加わる国の認可法人「電力広域的運営推進機関(広域機関)」が25日に開いた会議で明らかにした。

広域機関は25日、北海道と本州を日本海側の海底ルートでつなぐ「北海道本州間連系設備(日本海ルート)」の公募に応募した事業者名を公表した。

北海道電力東北電力、東京電力系の送配電会社を含む連合と、英国に拠点を持つフロンティア・パワー・リミテッドを含む連合の計2陣営が名乗りを上げた。広域機関によると、15年の設立以降で外資企業が意思表明したのは初めて。

国内の送電網は現在、大手電力グループが各エリアで運営している。家庭や企業、工場への電力の安定供給に欠かせない基幹インフラで、経済安全保障上も重要視されている。広域機関は今後、各事業者の意向を確認しながら、25年以降に事業者を決定する方針だ。」

 

 日本政府は、わたしたちの命綱である送電網までも外資の参入を許そうとしています。電気、ガス、水道、鉄道、道路、民営化がいいことのであるかのように洗脳されてきましたが、命を支えるインフラが利益追求であってはなりません。小泉政権下の郵政民営化でわたしたちは見事に騙されました。

 参政党はインフラへの外資の参入に警鐘を鳴らしています。先達がつくりあげ守ってきた日本の郵便事業を再び公営に戻すよう訴えています。日本を守るためには本当の保守議員を一人でも多く国会に送ることしかありません。日本を売り渡す自民党公明党立憲民主党共産党社民党維新は壊滅させましょう。れいわ新選組、国民民主党ははて?

 


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-運命-賜物(たまもの)

2025年01月11日 12時45分14秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-いらだち

「ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。

 このような問いかけを、人生の実相からはほど遠いとか、浮世離れしているとか考えないでほしい。たしかに、このような高みにたっすることができたのは、ごく少数のかぎられた人びとだった。収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭(きょうじん)なのだということを証明してあまりある。

 それはなにも強制収容所にはかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。病人の運命を考えてみるだけでいい。とりわけ、不治の病の病人の運命を。わたしはかつて、若い患者の手紙を読んだことがある。彼は友人に宛てて、自分はもう長くないこと、手術はもう手遅れであることを知った、と書いていた。こうなった今、思い出すのはある映画のことだ、と手紙は続いていた。それは、ひとりの男が勇敢に、プライドをもって死を覚悟する、というものだった。観たときは、この男がこれほど毅然と死に向き合えるのは、そういう機会を「天の賜物(たまもの)」としてあたえられたからだと思ったが、いま運命は自分にその好機をあたえてくれた、と患者は書いていた。

 またかなり以前、トルストイ原作の『復活』という映画があったが、わたしたちはこれを観て、同じような感慨をもたなかっただろうが。じつに偉大な人間たちだ。だが、わたしたちのようなとるに足りない者に、こんな偉大な運命は巡ってこない、だからこんな偉大な人間になれる好機も訪れない・・・。そして映画が終わると、近くの自販機スタンドに行き、サンドイッチとコーヒーをとって、今しがた束の間意識をよぎったあやしげな形じょ上的想念を忘れたのだ。ところが、いざ偉大な運命の前に立たされ、決断を迫られ、内面の力だけで運命に立ち向かわされると、かつてたわむれに思い描いたことなどすっかり忘れて、諦めてしまう・・・。なかには、ふたたび映画館で似たり寄ったりの映画を目の当たりにする日を迎える人もいるだろう。そのとき、彼の中では記憶のフィルムが回りはじめ、その心の目は、感傷をこととする映画製作者が描きうるよりもはるかに偉大なことをその人生でなしとげた人びとの記憶を追うことだろう。

 たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、わたしは心をゆさぶられずにはいられない。

 この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴やかだった。

「運命に感謝しています。だって、わたしはこんなひどい目にあわせてくれたんですもの」

 彼女はこのとおりにわたしに言った。

「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」

 その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。

「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです」

 彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花房をふたつつけた緑の枝が見えた。

「あの木とよくおしゃべりをするんです」

 わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄(せんもう)状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。

「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって・・・」」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、113-117頁より)

 

 


日本はこういう国なんだというのを取り戻す、世界に振り回されない

2025年01月11日 00時53分07秒 | 気になるニュースあれこれ

2025年1月10日CGSチャンネル、

参政党神谷代表と安藤裕さんの対談

(156) 混乱する世界情勢 今こそ日本らしさを取り戻す|安藤裕 - YouTube