たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-31より

2024年08月30日 00時02分58秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-17より

「リヨ-ヴィンは兄の話を聞きながら、なんといったものかと考えていたが、結局、うまい返事が思いつかなかった。どうやら、ニコライも同じことを感じていたらしい。彼は弟に仕事のことをいろいろとたずねた。リヨ-ヴィンも自分のことを話すのはうれしかった。それならなにも虚勢をはる必要がなかったからである。彼は自分の計画や行動を、兄に話して聞かせた。

 兄はじっと耳をすましてはいたが、どうやら、そんなことには興味がないらしかった。

 このふたりは肉親であり、互いにきわめて近しい間がらだったので、ほんのちょっとした動作や、声の調子だけでも、ふたりにとっては、言葉で表現しうる以上のことを語ることができた。

 いまや、このふたりには、一つの共通した思いが支配していた。それは、ほかでもなく、ニコライの病気とその死期が切迫しているという思いであり、それは他のいっさいの思いを圧倒していた。しかも、ふたりのうちどちらも、あえてそれを口に出す勇気はなかったので、心にかかっている唯一のことを口にした以上、もうなにを話しふけて寝る時刻になったのを、このときほどうれしく思ったことはなかった。彼はどんな赤の他人を相手にしているときでも、どんな公式的な訪問の際にも、今夜のように不自然で、わざとらしくつくろっていたことはなかった。自分が不自然にふるまっているという意識と、それに対する慙愧(ざんき)の念が、なおさら彼を不自然なものにするのだった。彼は死に瀕している愛する兄のために、涙を流したかったにもかかわらず、これから自分の生き方について語る兄の話に耳を傾けながら、相槌をうたなければならないのであった。

 家の中は湿っていて、暖炉を焚いている部屋は一つしかなかったので、リヨ-ヴィンは自分の寝室に仕切りをして、兄を寝かせることにした。

 兄は床についたが、眠ったのか、眠らないのか、ときどき病人らしく、寝返りををうっては咳ばらいをしていた。咳ができないときには、なにかぶつぶつつぶやくのだった。ときには重々しく溜息をついて、「ああ、神さま!」といったり、また痰で息がつまりそうになると、いまいましそうに、「えい、悪魔め!」と舌うちした。リヨ-ヴィンはそれが耳について、長いこと眠れなかった。彼の頭に浮んだ思いは、種々雑多であったが、どんな思いも帰するところは、ただ一つ-死ということであった。

 すべてのものにとって避けることのできない終末である死が、今はじめて抗しがたい力をもって、彼の前に現われた。そしてこの死は、彼の前に夢うつつの中でうめきながら、つい習慣から、神と悪魔をかわるがわる無差別に呼んでいる愛する兄の中にひそんでいる死は、けっしてこれまで彼が考えていたように、縁遠いものではなかった。そうした死は彼自身の中にもいるのだった-彼はそれを感じた。それはきょうでなければあす、あすでなければ30年後のことかもしれなかったが、それでも結局は、同じことではないか! では、この避けることのできない死とは、いったい、なにものであろうか、彼はそれを知らなかったばかりでなく-かつて一度も考えたことがなかった。いや、それを考えるすべも知らなければ、考えるだけの勇気もなかったのである。

《おれは今働いている。なにかをしでかそうと欲している。しかし、すべてのものには終りがあるということを、死というものがあることを、すっかり忘れていたのだ》

 彼は暗闇の中でベッドの上に起きあがり、上体をかがめて、膝をついたまま、はりつめた思いに息さえ殺しながら、じっと考えこんだ。しかし、彼がはりつめた思いになればなるほど、ますます次のことがはっきりしてくるのだった。すなわち、それは疑いもなく、そのとおりなのであり、人生におけるたった一つの小さな事実-死がやってくれば、すべては終りを告げるのだから、なにもはじめる値うちはないし、しかも、それを救うことも不可能なのだ。自分はこの事実を忘れていたのだ。ああ、それは恐ろしいことだが、事実には違いないのだ。

《それにしても、おれはまだ生きてるじゃないか。もうこうなったら、なにをしたらいいのだ。いったいなにをしたらいいんだ?》彼は絶望的な調子で叫んだ。彼はろうそくをともして、用心ぶかく立ちあがり、鏡のところへ行って、自分の顔や髪の毛をながめはじめた。ああ、鬢(びん)には白いものがまじっていた。彼は口をあけてみた。奥歯はだめになりかけていた。彼は筋骨たくましい腕を出してみた。いや、まだ力はたくさんある。しかし、今あすこに横たわって、むしばまれている肺の一部でやっと息をしているニコライだって、かつては健康な肉体をもっていたではないか。ふと、彼は昔のことを思いだした。ふたりは子供の時分いっしょに寝ていたが、フョードル・ボグダーヌイチが戸の外へ出て行くのを待ちかねて、お互いにまくらを投げあい、大きな声できゃっきゃっと止めどなく笑いころげたものである。フョードル・ボグダーヌイチに対する恐怖さえも、この生の杯の縁をあふれて沸きたつ幸福の意識を、おさえることはできなかった。

《それなのに、今ではあのひん曲ったような空洞な肺だけが・・・いや、このおれも、なんのために、どんなことが自分の身に起るか、それさえ知らないでいるのだ》

「ごほん!ごほん!えい、悪魔め!なにをそこでごそごそやってるんだい、眠れないのかい?」兄が声をかけた。

「ええ、どうしてだか、眠れなくって」

「おれのほうはよく眠ったよ。このごろはもう寝汗もかかないよ。ちょっと、シャツにさわってごらん。汗をかいてないだろう?」

 リヨ-ヴィンはシャツにさわってから、仕切り板の向うへもどり、ろうそくを消した。が、それからもまだ長いこと寝つかれなかった。いかに生きるべきかという問題がようやくいくらかはっきりしてきたかと思うと、たちまち、解決のできない新しい問題-死が現われてくるのだった。

《ああ、兄さんは死にかけている。きっと、春まではもたないだろう。じゃ、いったい、「どうやって救いの手をさしのべたらいいのか?兄さんにはなんといったものだろう? この問題についておれは、なにを知っているというのだ?》」

 

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、208-212頁より)

 

 

 

 

 


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