たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

キキちゃん

2024年09月02日 23時33分20秒 | 宝塚

宙組トップスター・芹香斗亜 退団会見のお知らせ | ニュース | 宝塚歌劇公式ホームページ (hankyu.co.jp)

「宙組トップスター・芹香斗亜が、2025年4月27日の東京宝塚劇場公演 宝塚歌劇百十周年紀念奉舞『宝塚110年の恋のうた』、ジャズ・スラップスティック『Razzle Dazzle(ラズル ダズル)』の千秋楽をもって退団することとなり、2024年9月3日(火)に記者会見を行います。」

 『ル・グラン・エスカリエ』、サンバのロングトーンも、「夢人」も「愛の旅立ち」もキキちゃんのソロ歌唱、それぞれちがってそれぞれ素晴らしくて心がふるえました。「ゴールデンデイズ」「未来へ」で宙組生たちに囲まれて真ん中に立っていたとき、退団を心に決めて舞台に立っていたということなんですね。

 わたしが認識できている範囲で高嶺ふぶきさん2作、久世星佳さん3作、匠ひびきさん1作、貴城けいさん1作、短期でのトップスター退団は過去にもありそれぞれの考えや事情があったと思います。キキちゃん、あとにひかえる生徒さんの学年を考えると長くはないのかなという感はありましたが、花組・宙組をとおして2番手を8年もつとめてようやくトップスターになった矢先の舞台に立つことができなかった時間を考えると非常につらいものがあります。『エクスカリバー』のラスト、孤高の王として立つ決意をして一人いただきに登っって物語は終わりましたが、物語そのままのようなトップスター人生となりました。タカラジェンヌとしての限られた時間を全うできるようにと祈ります。

 来年111年目の記念行事を劇団がやろうとしているなら、せめてキキちゃんの退団前にどこかでキキちゃんとちなつさんがトップスターとして並べる機会をつくってほしいと切に願います。スカイステージの番組でもいいです。みりおちゃん率いる花組の一時代を共に築き上げた二人が長い時を経てそれぞれトップスターとなった姿で一緒になれる機会がほしいです。

 いろいろな憶測、あることないことまた飛び交うことになるであろうことを考えると非常に辛いです。週刊誌に芸名を書き立てられた生徒さんたちは卒業の日までずっと汚名がついてまわってしまうでしょう。昨年6月に真風さんからキキちゃんへとバトンが渡された時の映像、楽天テレビでオンデマンド配信されましたがつらくてまともにみることができません。ずっと遠い日のことのように思えてしまいます。

 明日の会見では心ない質問がでませんように、これ以上傷つけられることがありませんように・・・。

 コロナ騒動で中止されていた劇団内の慣習を復活させた最初の大劇場公演が組長、副組長もかわった新生宙組、新トップコンビのお披露目であったという巡り合わせ、これはもう運としかいいようがありません。広く考えればコロナ騒動の犠牲者の一人だとわたしは思っています。


PCR検査が30億円の豪邸とロールスロイスに化けた

2024年09月02日 15時25分08秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月2日ディリースポーツ、

「にしたんクリニック」社長 渋谷の30億円豪邸を初公開 「イモトのWifi」で大打撃も奇跡のV字回復果たす/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

「美容クリニック「にしたんクリニック」や通信サービス「イモトのWifi」などを手がける「エクスコムグローバル」の代表取締役社長・西村誠司氏が、29日放送のフジテレビ系「オドオド×ハラハラ」に出演。東京・渋谷区内に建設した総額30億円の豪邸を初公開した。

 番組ではお笑いコンビ・オードリーとハライチ、プロフィギュアスケーターでタレントの村上佳菜子が西村社長の自宅を訪問。まずはガレージ前に、オーダーメイドした紫のロールス・ロイスが止めてあり、金額は8000万円だと明かされた。

 また、入口脇にある2本の木は、アルゼンチン産パラボラッチョの木(4000万円)と、イタリア産オリーブの木(3000万円)という豪華さ。家の中で5人を迎えた西村社長は、自宅の総額が30億円で、土地代が17億円、建物と植栽代が13億円であると明かした。

 さらに最上階のラウンジには“黄金のプール”を設置し、4000万円の滑り台も併設。徹底したゴージャスぶりを見せつけた。番組では「エクスコムグローバル」の事業についても紹介。海外向けのWifiレンタル行に着目し「イモトのWifi」で大ブレークしたが、コロナ禍で売り上げが98%減となったが、2019年に開院した「にしたんクリニック」で2020年にPCR検査をいち早く手がけたところ、業績がV字回復したことを明らかにした。」

 


横浜駅西口で女性が転落、歩行中の女性が巻き込まれる 搬送も2人とも死亡、商業施設の屋上から転落か

2024年09月02日 13時10分01秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年9月1日共同通信、

横浜駅飛び降りは千葉県の女子高校生(共同通信) - Yahoo!ニュース

 「JR横浜駅に直結する商業施設から女性が飛び降り、2人が死亡した8月31日の事故で、神奈川県警は1日、飛び降りたのは千葉県君津市の高校3年生(17)で、巻き込まれたのは横浜市の女性会社員(32)だったと発表した。」

2024年9月1日神奈川新聞、

横浜駅西口で女性が転落、歩行中の女性が巻き込まれる 搬送も2人とも死亡、商業施設の屋上から転落か | カナロコ by 神奈川新聞 (nordot.app)

「31日午後6時ごろ、横浜西区南幸1丁目の横浜駅西口前で、「女性2人が倒れている。血を流している」と通行人から110番通報があった。
 
 戸部署によると、10~20代とみられる女性が商業施設の屋上から転落し、施設前を友人3人と歩いていた20~30代とみられる女性にぶつかったという。2人はいずれも心肺停止の状態で病院に搬送され、その後、死亡が確認された。

 当時、商業施設の屋上は一般の人が入れる状態だったといい、同署は屋上から転落した可能性があるとみて詳しく調べている。」

 

日本の10代、20代、30代の死因の第一位は自殺、

誰がこんな社会にしたのだろうと思います。

夏休があけて学校にいくのがつらかったのか、横浜を選んだのは過去に来たことがある思い出の場所だったのか、千葉から横浜まで何を思いながら移動したのか・・・・・

転落した高校生もたまたま通りかかって巻きこまれたしまった女性もいたましい限り。これは巡り合わせとしかいいようがありません。もし自分が通りかかっていたらと思うとぞっとします。           

亡くなった二人に縁のある方々は自分が死ぬまでずっとこの事実を背負っていかなければならないし、たまたま目撃してしまった方々もずっと残っていくことになるだろうと思います。

 

わたくし事ですが、妹が家で首吊って死んでしまってから間もなく30年、

日本の10代、20代、30代の死因の第一位は自殺、

誰が日本をこんな社会にしたんや。

 


第六章OLを取り巻く現代社会-④人間の自動機械化現象-自我の喪失

2024年09月02日 01時23分16秒 | 卒業論文

 今日あらゆる社会的個人的関係は、血縁や地縁とも遠くなって市場の法則によって支配されており、直接的な人間的生活が失われているために、近代人の孤独感、無力感はますます強まってきている。個人の無意味さは、買手としての役割についてもいえるのであって、百貨店においては人間としての彼はなんら重要な意味をもたず、一人の買手、しかも抽象的な買手として意味を持っているに過ぎない。このように主張するフロムは、人間の自動機械化現象に注目した。

 フロムが示そうとしたのは、近代的産業組織における様々な要因が無力感や孤独感、不安や動揺を感ずるパーソナリティを発達させているということである。我々は自分の思想や感情を自由に表現できることを誇りとしている。そして我々はこの自由こそ、ほとんど自動的に我々の個性を保証するものであると考えている。しかし、思想を表現する権利は、我々が自分の思想をもつことができる場合においてだけ意味がある。外的な権威からの自由は、われわれが自分の個性を確立することができる内的な心理的条件があってはじめて恒久的な成果となる。我々はその目標に近づきつつあるのだろうか。否である。孤独となった個人は自動人形となり、自我を失い、しかも同時に意識的には自分は自由であり、自分にのみ従属していると考えるような強迫的な画一性に導かれる。[i]

 フロムによれば、近代の個人には、シニシズム[ii]と単純さの結合がきわめて典型的に見られる。その本質の結果は彼が自分自身の思考や決断を行う勇気を失わせることである。また、我々の批判的な思考能力を麻痺させるもう一つの方法として、世界について構成された像を全て破壊する、ということがある。様々の事実は、それらが汲み入れられた全体の部分としてのみもつことのできる特殊な性質を失い、単に抽象的な量的な意味しかもたないようになっている。それぞれの事実は他の事実と全く同じものであって、問題は我々の知っていることが多いか少ないかということだけである。ラジオ、映画、新聞で聞いていることに我々は純粋に関係することができなくなる。我々は興奮することがなくなり、我々の感情や批判的な判断は妨害され、ついには世界に起こっている事柄に対する我々の態度は、平板な無関心な性質のものとなる。「自由」の名のもとに生活はあらゆる構成を失うのである。それは多くの小さな断片から作られ、それぞれたがいに分離し、全体としての感覚はみじんもみられない。個人はちょうど積木をもった子供のように。これらの断片を持って独りぼっちにされている。しかしちがっているのは、子供は家とはどんなものであるか知っており、したがってかれが遊んでいる小さな断片にも家の諸部分を見つけ出すことができるのに反し、大人はその「断片」を手にしながら、「全体」の意味がわからないのである。かれは途方にくれ、不安になり、その小さな無意味な断片を見つめ続けているだけである。

 近代人は自分の欲することを知っているという幻のもとに生きている。実際には、人が本当になにを欲しているかを知るのは多くの人の考えるほど容易ではない。我々の願望が、どこまでも我々自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるのに我々は気がつかない。我々は自ら意志する個人であるという幻のもとに生きる自動人形となっている。この幻想によって個人は自らの不安を意識しないで住んでいる。しかし幻想が助けになるのはせいぜいこれだけである。根本的には個人の自我は弱体化し、そのため彼は無力感と極度の不安とを感ずる。彼は彼の住んでいる世界と純粋な関係を失っている。そこでは人であれ、物であれ、全てが道具となってしまっている。そこでは彼は自分で作った機械の一部分となってしまっているのである。彼は他人からこう考え、感じ、意志すると予想されると思っている通りのことを、考え、感じ、意志している。彼はこの過程のなかで、自由な個人の、純粋な安定の基礎ともなるべき自我を喪失している。[iii]

 フロムの表現を用いるならば、ホワイトカラー労働者も、自らはそれを支配できない機械の大なり小なりの歯車になりさがっているのである、と山岸健は述べる。今日、社会的世界は、ますます不透明な世界となりつつあり、しかも、こうした世界の断片化がすすみ、一種の錯乱状態が生じてきているのだ。人間は位置喪失といった状況におかれ、おのれ自身の顔を識別できなくなっている。人間の存在は、根底から流失の危機に脅かされているのである。全ての面にわたり、抽象化と断片化が見られるとは言えないだろうか。[iv] 

 日本型企業社会において、OLに対して優位な立場にある男性ホワイトカラー労働者は、一見主体的であるように見えながら、会社という集団を優先させた生き方は、「個」が後ろに隠れてしまっており、被差別者の自由を享受するOLに対して、決して能動的であるとは言えない。山岸が述べるように、巨大な官僚制機構の中の歯車の一つなのである。いつでも取り替えがきく一片の歯車に過ぎないという点では、OLと同様である。OLは、働きがいを見出しにくいことを繰り返し記してきたが、ここで、しばらく、サラリーマンの労働からの疎外について考えてみたい。

 

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引用文献

[i] E・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』266頁、現代社会科学叢書、昭和26年。

[ii] シニシズム;既存の価値や規範の体系に懐疑的・嘲笑的な態度をとり、私的世界に閉じこもる傾向。(有斐閣『社会学小辞典[新版]』)

[iii] E・フロム、前掲書、277-280頁。

[iv] 山岸健『日常生活の社会学』32頁、日本放送出版協会、1978年。