たんぽぽの心の旅のアルバム

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『徳川時代の宗教』より-第二章徳川時代の日本社会構造の概要-価値体系

2025年02月26日 12時01分03秒 | 日記

『徳川時代の宗教』より-第一章日本の宗教と産業社会

「徳川家康が敵の連合軍を決定的に破り、全日本における最高権威者として自己を確立した関ヶ原の戦(1600)は、徳川時代の始まりを示すのに便利な時点としてとりあげられてきた。それは、ちょうど最後の徳川将軍が没落し、明治天皇が直接支配を回復したこと(1868)が、徳川時代の終焉と明治天皇の支配の始まりを示すのと同じでる。もちろん、これらのできごとは、いずれも、継続的な歴史過程におけるたんなるモメントにすぎないが、しかし、この二つの事件をへだてている時代が、政治的にも、社会的にも、文化的にも、意味深いものであることは疑いのないところである。この時代は、平穏さと比較的に外国から孤立していた点で、それ以前およびそれ以後の時代とは、おそらく最も截然(せつぜん)と区別される。1868年にいたってついに休息時代が終わり、ふたたび16世紀のゆれ動く力が、思いもよらぬ世界に解き放たれたが、このような特徴や、この時代の政治的、社会的、文化的生活における一見静的な状態によって、268年間、日本は中空にただよい、生気のない状態にあったような感じがする。

 

 けれども、この時代を研究する者は、誰もそのような見解には同意しないだろう。国民的市場の確立、貨幣経済の勝利、拡大する都市化、通信制度の発達、武士階級の貧窮化と商人の富裕化、公家、僧侶や武士よりも、むしろ町人階級に適した新しい美術や芸術文化の興隆、天皇個人に焦点をあてた宗教的ナショナリズムの熱情の昂揚、一連の新宗教のセクトの普及などがあった。

 

 これらは、この時代に進行した著しい社会的文化的変化をしめすものであり、そうした多くの変化が1868年の維新とそれ以後に興隆した新日本を直接導いたものと考えられる。それにもかかわらず、多くの諸価値や考えと同様に、家族、政体や社会階級の多くの構造的特徴などが、この時代を通じて比較的不変であったことは、否定できないであろう。この不変ということが、これ以前と以後の時代からこの時代を区別するに足る重要なものである。けれども、現在の分析では、この不変ということにとらわれて、この時代にたえず生じていたおどろくほど重大な変化を見すごさないようにせねばならない。

 

 徳川時代の社会構造の概要を、まず私のみる価値体系の記述からはじめよう。(略)

 

 価値体系について述べた後に、社会体系の四つの機能的下位体系を論ずる。これらの機能的下位体系は、具体的構造であるよりはむしろ、分析的実体として考えられるものである。すなわち徳川幕府のような具体的構造は、機能的にはなによりも政治的であるが、同時に経済的、統合的、動機的な機能をもっている。したがって以後、これらの節で扱う具体的な事実上の資料は、それ自体の個別性を示すためではなく、基本的機能が、どのように働くかを例示するためにあげられたものである。最後の一節では、機能上の必要条件はもちろんのこと、土地、血縁関係、文化的伝統のような、状況上の既写の条件である具体的な構造単位にふれる。

 

価値体系

 

 われわれは、すでに、日本の価値体系の特徴が「政治」価値を優先すると主張してきた。この政治価値は、特殊主義と遂行という二つの類型変数の結合したもの、あるいは、社会体系の目標の次元に適合する諸価値として規定できるが、しかしこれは同じ事柄を二様に言いあらわしているにすぎない。たとえば、主要な関心が体系目標にあるというとき、そこにはすでに特殊主義の価値が暗に含まれている。家族であれ、藩であれ、全体としての日本であれ、当該集団の構成メンバーの一人が属しているのは特殊な体系ないしは集合体である。これらに献身することが、真理とか正義とかに対するような普遍主義的献身よりも優先する傾向をもつ。もちろん、徳川時代の日本でも、普遍主義や普遍主義への献身はあった。しかし、主張したいのは、特殊主義がなによりも優先したということである。

 

 集合体とそれに対する人の特殊主義的関係を重要視していることは、家長であれ、封建領主であれ、天皇であれ、集合体の首長のもつ非常に大きな象徴的な重要性に示されている。これは一つの代表的役割-首長は集合体を代表する-をもつ傾向をとり、多くの場合、執行上の役割をもたない傾向がある。実際の行政機能は、一番番頭とか家老等々にゆだねられてしまっている。

 

 それで、一人一人の集合体に対する特殊主義的なむすびつきは、集合体の長に対する忠誠として象徴される。だから日本では忠誠を非常に重要としていることは、われわれが第一義としている価値の具体的な表現と考えられる。この忠誠は、その人物が誰であるかを問わず、集合体の長に対する忠誠であることに留意することが大切である。それは、人物自体に対するよりも、その人物の地位に対する忠誠である。集合体の長に対する深い個人的な愛着もあるかもしれないし、また実際にしばしばあったのであるが、しかしこのような愛着は忠誠に必要なものではない。このことは政治的合理化とも関連して重要な点である。それは、個人が全く個人的関係のない人物(たとえば天皇や将軍)に対する心からの中世の可能性を意味し、たんなる個人的影響の範囲をはるかに越えて、強力な政治的影響を及ぼしえることを意味している。それで、この一般化された特殊主義は、ある点では権力の合理化と拡大の過程において、機能的にみて普遍主義に相当する働きをなし得るのである。

 

 同様に、主要な関心が体系目標にあるという場合、われわれは遂行の価値を考える。体系維持よりむしろ第一に、体系目標に関心がむけられ、目標は達成されねばならぬとされる。かくして、遂行あるいは業績本位が、第一義的な価値となる。日本では身分が非常に重要なことから、私は以前、価値体系における素性あるいは所属を第一義とみなしたこともあった。事実、この価値が重要な意味をもっていることは疑いない。けれども、身分そのものが効力をもたないことを考えると、おそらく、遂行が第一義であることは、一層明らかとなろう。

 

 体系目標に役立つ遂行のみが、真に効力をもつのである。

 

 非常に重要な代表の役にある者、すなわち集団体の首長でさえ、より大きな脈絡では、至高者体系(superordinate system)にあって、目標達成のために働いている従属者なのである。天皇でさえも、祖先に対して自分の行動の責任をもっており、祖先を重んじなければならぬ。日本社会のいかなる分野でも、一つの傾向として、ひとたび達成されると、独自の身分を正当化するような身分的生活スタイルはない(たとえば、中国における紳士階級のもつ身分的生活とは違って)。遂行価値の重要なことは、家族に一層はっきり示されている。ここでは通常では所属本位が優越しているのだが、子供にはかなりきびしく遂行の義務が課せられ、すくなくとも、無能力や我儘のために廃嫡、勘当におびやかされる。逆にいえば、美術工芸などの師匠は、とくに才能のある弟子をしばしば養子にした。

 

 日本における忠誠は、たんなる受動的な献身ではなく、能動的な奉仕と遂行をいうのである。遂行を高く評価することは、業績を相対的に見くらべることなのであり、そしてかような比較を行う基準は、普遍主義的にならざるを得ない、ということに留意する必要がある。

 

 ここで留意しなければならないのは、目標達成が価値体系においては第一義的な関心事ではあるが、獲得すべき目標の内容が、比較的変り得ることである。もちろん、選択された目標は、集合体の権力と威信を増し、あるいは増すであろうと考えられる。しかし、集合体の権力と威信は、内部の平和と繁栄、戦争における勝利、帝国主義的侵略、泰平をもたらして他国民の模範となり、高度の文化を形成すること、などを通じて増大させることもできる。それで、目標達成価値、すなわち現在の意味では「政治」価値が優位を占めることは、選択された目標のもつ特別の内容にはかかわりがない。したがって、目標の内容が極端に突然変化しても、中心価値体系が、何か深刻な分裂を起こすような影響をうけるとは考えられない。

 

 前述したように、目標達成の次元を第一義とする中心価値は、当然、他の三つの次元にかんする諸価値に対して重要なかかわり合いをもっている。適応の問題にかんしては、集合体の目標を追求する場合に適応するような行動は最も高く評価される。ここでいう概念図式にしたがうと、軍隊はまさに政治体系の適応の権力である。したがって、日本においては軍隊が偉大な威信をもっていたことは、少しも驚くにたりない。軍隊は、体系の目標に従属的な適応行動の典型的なケースを示している。経済行動は、体系の目標に従属せず、むしろ下位体系の目標に従属するのであって、いいかえると、それは「利己的」といった点があるから、経済価値の経済行動とは違ったものとなっている。しかし、経済行動が体系目標を推進するとみなされ得る程度までは、これは全く正当とされる。一般に、働き自体は価値をもってはいないが、しかし集合体の目標に対する無私の献身のあらわれである働きは、価値があるとされる。けれども、仕事への動機づけは、かような社会においても、働くことがそれ自身価値があるとする社会と同様に、強い。

 

 統合価値は、強いものではあるが、しかし目標達成価値に従属する傾向ある。集合体では、調和が維持されねばならない。それは、集合体の構成員間の争いは、その集合体の長に対して不忠義であるばかりでなく、集合体の目標の円滑な達成を妨げるからである。かくして、調和、進んで妥協すること、非攻撃性などとが高く評価され、一方、論争好き、闘争好き、過大な野心、あるいはその他破壊的な行動は、強く非難される。摩擦をさけるために、日常生活の多くは、型式化されている。多数のこまごまとした行動規定に忠実に同調することは、あらゆる争いを最小に食いとめ、集合体の生活の円滑な機能を確保する傾向をとる。調和と一見それ自身のためとも見える集合体の維持を強調することが著しいので、ある時代に、ある集団には、統合価値は目標達成価値に優先するかのように見えるのである。

 

 そうはいっても、支配的な類型は、目標価値が優先していることを示しているように思われる。集合体の首長と顕著な体系目標に対して忠誠が強く望まれることから、調和への関心を圧倒し、古い社会様式に穴をあけ、古い集合体を分裂させ、旧習にしばられた行動を破棄するように動機づけられる。この能力によって、中心価値を破壊させずに、かなり急激な社会変化を推進させることが可能になった。この中心価値によって日本は、体系-維持-統合価値を優先させ、これらの価値自身を目的するような社会とは異なることになった。

 

 最後に、「文化的」価値の分野は、二つの異なる価値群を含んでいるとみられる。その一つは、すでに論じた主要な価値に密着し、従属しているもの、他の一つは、ある点ではこの価値を補足するものではあるものの、これとは明確に異なる領域と考えられるものである。

 

 第一の群の例は、学習、研究あるいは学問を重んずる価値である。この価値は、文字、書物、師匠や教育一般への尊敬に関連しているが、それ自身が目的なのではない。むしろ、行為にえる結果より評価される。学問のための学問は、後にみるように、軽蔑される傾向がある。たんに博学な人物、尊敬に値しない。むしろ勉学は、実践に繋がるべきものとされる。真に学問のある人は、真に忠を尽くし、孝行の人となる。

 

 宗教にかんしても、これと同様な考え方がなされる。もちろん宗教から宗教自身を目的とする性格を、完全にうばい去ることはできないが、しかしそうした方向にむかう傾向は確かにある。いいかえれば、宗教的目的と世俗的目的、宗教価値と世俗的目標達成の価値を融合する傾向である。この点にかんしては、さらに詳しく宗教にかんする節で述べることにする。宗教を、それ自身のためよりはむしろ、行為の結果で評価しようとする傾向の一例は、ある時代における武士階級の禅宗への愛着である。この時代の禅は、自分の主君に対する忠誠をあらわす自己犠牲的な遂行の行為を助ける一つの修行体系とみなされた。主君に対する忠誠は、中心価値として存続しており、宗教はそれに従属し(あるいは包摂され)ている。

 

 文化現象を、それ自身における目的より、むしろ行為の手段として評価するこの一般的な傾向によって、実践に反対するような理論はどんな形ででも強調することを禁止すべきであると考えられた。哲学にせよ、科学にせよ、理論の追求は、伝統的な日本では、著しく発展したとは思われない。しかし一方、行為において顕著な結果をもたらす文化現象に対しては強い尊敬の念が払われた。このことは、接触することが困難かつ危険であった時代においてさえも、西欧が書く日本人が比較的強くひきつけられたことを説明する助けとなる。最初に学んだ科学が医学であったことは、興味深い。オランダの医書を学んだ18世紀の日本の医者達は、その理論的な精密さよりも、むしろ、知識の正確さとその実際的な応用面に感銘をうけた。

 

「文化」価値の、別の第二の群は、審美的-情緒的価値と呼び得よう。前述の価値とは反対に、これらは、中心価値に従属するというよりは、むしろ、それ自身目的である傾向がある。けれども、これらの価値は、いくつか明確に隔離した関係ときびしく規制された条件のもとにおいてのみ、表現を許されるものである。けれども、これらの価値の重要性を過小評価することはおそらく誤りであろう。多くの個人にとり、また集団にとってさえも、これらは、ある時期には、おそらく第一義的であったのであり、これらの存在は、おそらく常に、中心価値体系にある種の脅威を与えたであろう。これらの価値の中心には、集合体の目標ではなく、むしろ個人的な体験がある。それらは、個人的な表現と悦楽の範囲に限られている。このことは、自然や芸術の美的鑑賞、茶の湯の繊細な儀式、演劇での代償的興奮、遊楽街の洗練されたエロティシズム、さらにまた、愛とか友情といった感傷的で豊かな人間関係に見られる。日本文化では、このような行動は正当なものであり、実に高く評価されている。

 

 しかし、そこには、つねに奢侈(しゃし)的な、もしいい得るなら感覚的快楽主義へと次第に堕落する可能性があり、とくに自己の趣味を満足させる余裕のある階級では、そうである。そのような状況では、個人の目標充足が、中心価値である集合体の目標充足にとって代ることになるので、この傾向に対して感情は最も強く反発せざるを得ない。かような快楽主義は「利己主義」の本質であり、これはちょうど忠誠が最大の美徳であるのに対して、最大の悪徳とされる。かような結果をふせぐために、審美的・情緒的諸価値は、むしろ著しく制限された領域にとじ込められ、消費分野においても、ほとんど禁欲的な激しさが高く評価される。けれども、快楽主義的傾向の強さは、洗練された、感受性のつよい、そしてしばしば、最も価値ある渋味の発達のうちに明らかに示されている。この渋味は、ある種の人々の仲間(金持の町人)では、その反対のもの(快楽主義的傾向)をなくすというより、むしろこれをあらわすのに役立っているのである。

 

 これまでのところ、伝統的な日本人の生活において非常に重要な家族について、ほとんどなんら触れるところがなかった。それは、私の見解によると、家族が小さな政治体であるからである。事実、日本社会全体の価値体系について前述したことは、すべて家族にもあてはまる。家族では、忠誠のかわりに、子としての親に対する恭順(孝)が最高の徳であるが、しかし、その機能は同じである。それは、集合体の首長にたいする態度と同じ態度、また集合体の目標に対する同一の中心的関心をいう。われわれは、家族という用語を使って、核家族はもちろん、系譜家族(直系家族ともいう)をも包含するつもりである。日本の家族は、代々の祖先からたえず継承されてきたものとして考えられる。両親に対する尊敬の念は、祖先に対する尊敬という、よりひろい観念のなかに包摂される。日本家族の構造上の特徴、すなわち系譜は、本家分家という用語で相互に結びあっている。本家は直接に祖先を継承する系列にあり、分家は次男以下の家である。広義では、家族と国家は同一であり、皇室はすべての日本人の家族を分家とする本家ということになる。けれども、孝行の価値の第一の焦点となるのは家族であり、それは、理念型からみると、両親、家を相続する長男、長男の妻と子供によって構成されている。

 

 支配的な価値体系において大切なことは、孝行が忠誠に従属すると強調する点である。すなわち政体は、家族に優先しており、忠誠と孝行が矛盾した場合には、まず第一の義務は、自己の家族より、主君につくさねばならない。これは、これと反対の場合が真実とされる中国と、あざやかな対照をなしている。けれども、この両価値は、たがいに矛盾するものとは考えられていない。むしろそれらは、相互に補強しあうものと感じられている。孝子は、忠臣たるべく、家族は、社会道徳の訓練の場なのである。さらに、家族は個人であるよりも、むしろ社会の単位とする傾向がある。家長の地位は、家族においては中心的であるが、外部にむかっては、国家の最末端に位置し、「公的」な役割を果している。家族は、政体に対立せず、その中に統合され、ある程度まで政体によって貫徹されている。それは、異なる価値体系の支配する場ではなく、むしろ本質的には、同一の価値体系の働く場なのである。

 

 以上、われわれは社会体系のレベルで重要な諸価値を考えてきた。そこではこれらの諸価値の制度化がある意味で社会構造を決定している。われわれは、これらの諸価値の制度化がある意味で社会構造を決定している。(略)

 

 この節で論じた諸価値は、徳川時代を通じて非常に恒常的なものであった。もし、何かを付け加えるとすると、徳川時代に起こった多くの宗教、倫理、教育の運動の影響を信ずることができるなら、時代のすすむにつれてこれらの諸価値は、次第に強烈になり、一層広範囲に伝播することになったのである。武士階級は、すくなくとも理念型からみると、これらの諸価値をもっともよく表しているが、しかし、徳川末期には、これらの諸価値は、すべての階級の間に完全に一般化されることとなった。また一方、都市では武士と商人の両階級の間に快楽主義的諸価値が顕著な進展を見せた。けれども、それらの快楽主義的諸価値は、みかけだけでさえ正当性を得るには到らず、すべての階級のモラリストの攻撃にたえずさらされていた。明治時代(1868-1911)には、中心価値を放棄するどころか、むしろ、それは最高頂に達し強化されたとする現実感がともない。そしてそれらの中心価値は、近代を通じて、おとろえずに生き残った。近代では、これらの諸価値が、部分的に分裂したために生じた緊張、また、それらの諸価値を回復しようとする試みにかんする議論については、この研究の範囲外のものとなろう。」

(R.N.ペラー著・池田昭訳『徳川時代の宗教』岩波書店、1996年8月20日第一刷発行、51-65頁より)

 

 

 

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