たんぽぽの心の旅のアルバム

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フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-いらだち

2025年01月07日 19時18分21秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活

「ここまで、収容所で被収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルにまで突き落とし、被収容者を、意志などもたない、運命や監視兵の気まぐれの餌食とし、ついにはみずから運命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情の消滅や鈍磨について述べてきた。

 感情の消滅には別の要因もあった。感情の消滅は、ここまで述べてきた意味における、魂の自己防衛のメカニズムから説明できるのだが、それだけでなく肉体的な要因もあった。いらだちも、感情の消滅とならぶ被収容者心理のきわだった特徴だが、これにも肉体的な要因が認められる。

 肉体的な要因は数あるが、筆頭は空腹と睡眠不足だ。周知のように、ふつうの生活でも、このふたつの要因は感情の消滅やいらいらを引き起こす。収容所での睡眠不足は、居住棟が想像を絶するほど過密で、これ以上はないほど非衛生だったために発生したシラミにも原因があった。

 このようにして生じた感情の消滅といらだちに、さらなる要因が加わった。すなわち、ふだんは感情の消滅といらだちを和らげてくれた市民的な麻薬、つまりニコチンとカフェインが皆無だったのだ。そうなると、感情の消滅にもいらだちにもますます拍車がかかった。

 そしてさらにこうした肉体的な要因からは、被収容者独特の心理状態、ある種の「コンプレックス」がしょうじた。大多数の被収容者は、言うまでもなく、劣等感にさいなまれていた。それぞれが、かつては「なにほどかの者」だったし、すくなくともそう信じていた。ところが今ここでは、文字通りまるで番号でしかないかのように扱われる(より本質的な領域つまり精神性に根ざす自意識は、収容所の状況などにはびくともしなかったのは事実だが、どれだけ多くの人びとが、どれだけ多くの被収容者が、そうした確乎とした自意識をそなえていただろうか)。ごく平均的な被収容者は、そうしたことをさして深く考えることも、それほど意識することもなく、なりゆきにまかせてとことん堕落していった。

 堕落は、収容所生活ならではの社会構造から生じる比較によって、まぎれもない現実となる。わたしの念頭にあるのは、あの少数派の被収容者、カボーや厨房係や倉庫管理人や「収容所警官」といった特権者たちだ。彼らはみな、幼稚な劣等感を埋めあわせていた。この人びとは、「大多数の」平の被収容者のようには自分が貶められているとは、けっして受けとめていなかった。それどころか、出世したと思っていた。なかにはミニ皇帝幻想をはぐくむ者もいた。

 少数派のふるまいにたいし、恨みや妬みでこりかたまった多数派は、さまざまなガス抜きという心理的反応で応じた。それは、ときには悪意のこもったジョークだったりした。

 たとえば、こんなジョークがある。ふたりの被収容者がおしゃべりをしていて、話題がある男におよんだ。男はまさに例の「出世組」だった。ひとりが言うには、「おれは知ってるぞ、あいつは・・・市でいちばん大きな銀行のただの頭取だったんだ。なのにここでカボー風吹かしやがって」

 収容所生活には、食事の配り方に始まって、下の下に落とされた多数派と出世した少数派のいざこざの種はいくらでも転がっていたが、いらいらが爆発し、頂点にたっするのも、決まってそんなときだった。先に挙げたさまざまな肉体的要因から引き起こされたいらだちは、当事者全員の恨みつらみの感情という心理的要因が加わることによって、いやがうえにも高まった。

 このようにしてたかまった興奮が被収容者同士の乱闘騒ぎに終わっても、別段驚くにはあたらない。怒りの感情を殴打というかたちで解放するという反応は、打擲(ちょうちゃく)が日常茶飯と化し、その光景をいやというほど見せつけられていたことによって、いわば道をつけられていたのだ。

 空腹で徹夜をした者が憤怒の発作に襲われると、「手がぶるぶる震え」、「体ごとぶつかっていきたい」衝動に駆られるのだが、わたしも何度となくそんな経験を余儀なくされた。一時期、わたしたち医師は徹夜をした。発疹チフス病棟にあてられたむき出しの土の床の棟では、暖をとるために火を焚くことができたのだが、おかげで夜中にストーブの火が消えないよう、だれかが見張らなければならなかったのだ。そこで、まだ少しでも体力のある者には、ストーブ番という夜勤が回ってきた。真夜中、ほかの者たちは眠っているか、熱に浮かされているかするなかで、病棟の小さなストーブのそばに地べたに寝転がり、自分の「勤務」時間のあいだ、炎を見守っている。そして、どこかからくすねてきた練炭の熱で、やはりくすねてきたじゃがいもをあぶる・・・それは、実際はどれほど悲惨だろうと、収容所で経験したもっとものんびりしたうるわしいひとときだった。

 ところが、徹夜し、疲労がたまると、つぎの日は感情の消滅といらいらがいっそうつのるのだ。解放間近のころ、わたしは発疹チフス病棟に医師として配属されていたわけだが、そのほかにも、病棟の班長の役もこなさなければならなかった。それで、あんな状況では清潔もなにもあったものではなかったのだが、収容所当局にたいして、病棟を清潔に保つ責任を負っていた。病棟に目配りを怠らないためと称してしょっちゅう点検するのは、衛生のためというよりたんなるいやがらせでしかなかった。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、104-107頁より)

 

 


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