フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-発疹チフス収容所に行く?
「もちろん、群集から離れることはときには必要だし、また可能でもあった。苦しみをともにする仲間と46時中群れて、日常のこまごまとしたことをつねにすべて共有していると、この耐えざる強制的な集団からほんのいっときでいいから逃れたいという、あらがいたい衝動がわきおこることは、よく知られた事実だ。ひとりになって思いにふけりたいという、心の底からの渇望、ささやかな孤独に包まれたいという渇望がわきおこるのだ。
バイエルン地方の別の収容所、言うところの病囚収容所に移されてからのことだ。わたしは、発疹チフスが猛威をふるっていたその収容所で、ようやく医師として働けるようになったのだが、そこでときおり、渇望して孤独に、すくなくとも数分引きこもる幸福にあずかった。
発疹チフス病棟は土の床の掘っ立て小屋で、そこにおよそ59人の、高熱にうかされ、譫妄(せんもう)状態にある仲間が重なりあうように横たわっていたが、その裏手、収容所を囲む二重の鉄条網の棚の隅に、ひっそりとした一角があった。そこには杭や木の枝で仮設テントのようなものが張られていて、この小規模収容所で「くたばった」死体が、毎日半ダースほど投げこまれた。また、下水溝に通じる竪穴があって、木の蓋がしてあった。
ちなみに、この下水溝は3人の仲間の命を救ったことがある。解放の直前、(たぶんダッハウへの)大規模な移送団が編成されたのだが、そこから3人の仲間が脱走する計画をたてた。3人はこの下水溝にもぐりこみ、収容所じゅうをくまなく捜しまわる監視兵から身を隠した。その大騒ぎのあいだ、わたしは竪穴の蓋にことのほか平静をよそおって腰かけ、鵜の目鷹の目で捜しまわる監視兵のことは、つとめて無視を決めこんだ。
はじめ監視兵たちは、ここがあやしいとにらみ、蓋をあげてみようと思ったらしいが、思い直して通りすぎていった。わたしが、嘘などついていません、と言いたげなまなざしをして、他意のないしぐさでそこにおさまり、ごく自然な小石を鉄条網に投げるという、一世一代の演技をやってみせたからだ。
ひとりの監視兵は、一瞬立ち止まったものの、すぐに疑いを晴らして、警戒を解いた視線をわたしから逸(そ)らし、先を急いだ。わたしはただちに穴の中の3人に、最大の危機は去ったと教えてやることができた。」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、83-86頁より)