たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-脱走計画

2025年01月02日 10時51分25秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-運命のたわむれ

「自分はただ運命に弄(もてあそ)ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こうしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることをひるんだのも理解できるだろう。

 収容所生活では、決断を迫られることがあった。それも、予告もなくやってきて、すぐさま下さねばならない決断であって、それが生死を分けることもしばしばだった。だから、運命が決断の重圧を取り払ってくれることが、被収容者にとってもっとも望ましいということにもなったのだ。

 この決断回避がもっともあらわになるのは、被収容者が数分のあいだに脱走するかしないか、判断を迫られるときだった。いつも数分が運命の分かれ目だった。決断を迫られた被収容者は、心の地獄を味わった。脱走すべきか、とどまるべきか。危険を冒すべきか、やめておくべきか。

 わたしも、精神的にギリギリのところでこうした地獄の業火(ごうか)を体験したことがある。前線が近づくにつれて、脱走のチャンスは増えた。収容所の外にある棟で医療にたずさわっていた仲間が、脱走をくわだてた。仲間はわたしに、いっしょに逃げよう、と強く迫った。そして、被収容者ではないある患者を複数の医師の立会いのもとで診断するという口実をもうけ、わたしが専門医として同行しなければならないことにして、わたしたちはまんまと収容所をあとにした。」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、94-95頁より)

 

 

 


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