たんぽぽの心の旅のアルバム

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第六章OLを取り巻く現代社会-⑪モラトリアム

2024年10月02日 08時07分27秒 | 卒業論文

 若年層ほど企業定着率が低いことを「あること」との関連で考えてみたい。先に「前のめりの時間意識」で、青い鳥幻想について記した。この幻想が、現代では「自分らしさ」「本当の自分」、あるいは「個性的なライフスタイル」などといった標語となって、華やかなコマーシャリズムの世界から私たちの不安な心に語りかけている。こうした標語に惑わされ、「自分探し」へと駆り立てられるのはOLばかりではない。第五章で、20代後半の女性の転職率の高さに注目したが、若年層ほど継続就業率が低いことは男性にも顕著な現象である。『平成9年就業構造基本調査の解説』の年齢階級別の転職率をみると、男女ともにおおむね年齢層が低いほど転職率が高くなっており、特に25歳未満の男女では10%を超えている。1992(平成4)年と比べると、男女ともに多くの年齢層で低下しているが、「15~19歳」では男性1.8ポイント、女性1.7ポイント上昇している。(表6-1、図6-1) 転職率を男女別に見ると、男性3.8%、女性5.3%となっている。また、転職者について転職理由別の構成比をみると、男女ともに「労働条件が悪かったから」(ともに17.9%)が最も高く、次いで、男性は「収入が少なかったから」(13.0%)、「自分に向かない仕事だったから」( 12.7%)、また、女性は「自分に向かない仕事だったから」(11.8%)、「収入が少なかったから」(11.5%)などとなっている。[1] 

 「フリーター」と呼ばれる若者は、年々増える一方で、文部省の学校基本調査によれば、1999年春の4年制大学卒業者のうち、就職も大学院進学もしなかった人は過去最高の10万6,000人で、全体の19.9%を占めた。就職難の影響だけでなく、企業に縛られずに自分の都合に合わせて仕事ができ、また気軽に仕事を変えられるところに魅力があると思われる。[2] 大学院に進学する若者も増えている。2000年に博士課程に在籍していた学生は62,388人。1991年の29,911人に比べ、2倍以上の伸びだ。修士課程の学生も同様に大きく増えている。こうした背景には、文部省の専門知識を持った人材の養成という答申によるところが大きい。だが、今の日本にそうした人材を求めるのは難しい。戦後の豊かさの中で育った若者は、厳しい受験戦争を経て大学に入る。彼らにとって大学とは、学ぶ場所ではなくリラックスするところだ。「3、4年前から何もすることがないから大学院に来たという学生が増えている」と、関西のある国立大学大学院の教授は言う。「私は彼らを『豊かな失業者』と呼んでいる。彼らにとって大学院は『自分探し』の場所のようだ。[3] 雇用情勢が厳しいにもかかわらず、やっと入った会社を3年以内で辞めていく若者も多い。『週刊東洋経済』の2001年3月3日号の記事によれば、「七・五・三」と言われる。就職しても、中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割が会社を辞める。若者の大離職時代がやってきた。特に最後の「三」、大卒離職者の増加が目立つ。2000(平成12)年版労働白書によると、四年制大学を卒業し、厳しい戦線を潜り抜けて就職した若者の33.6%が、三年以内に辞めていく。「MBAを取りたいから」といった目的を持って去る者。「やりたいことができない」「つまらない」「人間関係が面倒」そういい残し、なんとなく辞めていく者。“一生一社”の時代はとっくに終わった。大企業がつぶれ、親がリストラされる現実も見ているだろう。少子化で親の援助を受けやすくなっていることも一因するかもしれない。それに、彼らは「自分らしさ」を大事にしている。組織の論理で動く会社という場所に失望するのもわからなくはない。[4] 彼らは、きちんとした職業教育も受けないまま、「就社」したために、画一化された会社人間になっていくことに抵抗し、組織の中でやりたいことを見つけられないまま、早々に見切りをつけてしまったのではないだろうか。日本企業では採用時に企業の説明を十分に行わない。なぜ入社3年はこの仕事なのか。それが将来のキャリアにどうつながるのか。マイナス情報も含めての提示がないのである。日本的経営システムの下では、転職するときに初めてキャリアとしての「就職」のスタートラインに立つのかもしれない。近年、女性に重く偏っていた非正社員化の傾向は、男性にも及んでいる。最近、派遣社員となって働く男性が増えてきた。リストラの荒波を受けた中高年者が、派遣会社の門をたたくケースもあるが、独立や資格取得までの間、当座の収入を得る手段など、主体的にこのコースを選択する場合もある。派遣労働は、今まで女性に与えられたフレキシブルな労働の一つのパターンと考えられてきたが、このコースに男性も参加し始めている。こうした傾向は定年にはほど遠い20-30歳代の男性にも広がっている。派遣労働は男性にとっても働き方や生き方の選択肢の一つになりつつある。[5]『週刊SPA2002年5月14日号』には、20-30歳代の4人の派遣社員の男性が紹介されている。雇用条件、収入面で「正社員」と差が就く彼ら「派遣社員」の拠りどころは、社員として働いても派遣で働いても、営業である限りやる仕事は同じ、マイナス面はわかりにくい。(28歳) プロとして派遣されているという意識もあるし、派遣先もそう見てくれている。(30歳) 会社にしがみついていかなきゃいけない年配の人を見ると派遣のほうが身軽(26歳) 派遣といっても、会社を盛り上げるために業務に携わっている。周囲の扱い方が問題。(34歳) 彼らには安定という幻想がなくプロフェッショナルとしての意識も高い。彼らの表情は朗らかだ。[6]

 こうした企業定着率が低い若年層をどう捉えるか。フリーターという言葉は、10数年前、『フロムエー』の編集長道下裕史によって作られた。その時の定義は、「いつまでも夢を持ち続け、社会を遊泳する究極の仕事人」だった。一つの会社に縛られることなく、限られた人生の中でいろいろなことを経験したい、本当に自分がやりたいことを探す時間がほしいという彼らには、日本型企業社会に通念だった働き方は通用しない。「フリーター」という呼称は、雇用形態だけではなく、彼らのライフスタイルも表す。リクルートフロムエーの『フリーター白書2000』はフリーター人口を344万人と試算している。(この数字には派遣社員も含まれる)フリーターになってからの平均月収は11万円で、61%が親と同居している。フリーターの多くは親と同居しているから収入が低くても暮らしていける。親から反対されても現実の生活を考えれば親元にいることのメリットは捨てがたい。このリポートによれば、フリーターのほとんどの者は、今後ずっとフリーターを続けていくとは考えていない。多くの者がフリーターである時期は過渡期であると認識していて、将来は何らかの定職に就くことを考えている。フリーターには、定職に就くとしたら「本当に自分がやりたい仕事をしていきたい」という、やりたいことへのこだわり意識が強くある。今はまだやりたいことの方向が見出せない者にとっては、それをみつけるためにも時間が必要である。またやりたい仕事が見えている者でも、すぐにはやりたい仕事に就くことができないために、準備を重ねる時間を確保するためにフリーターの道を選択したという者もいる。いずれにしても、フリーターにとっては、やりたいことに向かうためには自分の時間が大切である。フリーター達の多くにとっては、将来は自分がやりたい仕事をしていくのが望みであり、そのために今のところは安定した収入や生活のためにやりたくない仕事に就いて貴重な自分の時間を割いていくという“妥協”をしようとは思わない。“現在”フリーターでいることは、自分の時間が確保できるという点で、定職に就くよりもメリットがあるといえる。しかしいつまでもフリーターをしていても、“将来”はフリーターであることのデメリットの方が大きくなるだろうと漠然と感じている。フリーターには、将来は手に職を持って自分の力を頼りに仕事をしていきたいという志向が強い。就社よりも職業選択を第一と考えるのだ。フリーターの大半が将来は自分のやりたいと思った仕事ができて、人並みの生活ができればよいというところに落ち着く。人並みの生活ができるという点は彼らのイメージの中でも重要であり、家族がいて、住まいがちゃんとあって、車は持って、ある程度の物質的欲求は満たされる生活が望みである。

 第五章の「パラサイト・シングルの労働観」では、山田昌弘に沿って、基本的な生活コストを負担することなく親に依存しながら生活する「いいとこ取り」のパラサイト・シングルだから、「仕事を通して自分を生かす」ことを求めることができることを記した。フリーター暮らしは「生活費の心配をしないぜいたく」なのだ。フリーターでも個の確立が条件になる。かりに「こうなりたい」という目的意識があったとしても、親のスネをかじっているようでは、ただの甘えに過ぎない。[7] その日暮らしの刹那的な生き方をしているフリーターは甘やかされた「パラサイト・シングル」と映る。山田は、パラサイト・シングルは日本経済を食いつぶし、日本社会の活力をそいでいる、と考えている。そんな若者は親から引き離し、自立して生活させるべきだ、というのが山田の持論だ。この主張に共感する大人は少なくない。ここでは、こうした主張とは異なって、「目的意識」をもちながらフリーターを続ける若者を、モラトリアム期にある者として捉えてみたいと思う。彼らには、黒井千次が述べるところの、「働きがい」の喪失に困惑する「労働無関心層」という面が見てとれる。

 あなたの人となり-個性や人格-は、多くの外的・内的な要因から形作られていく。外的要因は社会文化的なもの、つまり、「環境、家庭、職業」などで、内的要因は「遺伝、体質、気質」などである。この二つの要因が影響しあって「自分らしさ」が出来上がっていく。一般には子供の頃に出来上がった性格は一生のものと考えられがちだが、そうではない。外で起こった出来事がニーズや価値観を揺り動かし、バランスを狂わせるようなことは、むしろ大人になってからの方が多いともいえる。人生には様々な転機が訪れるのである。そうした転機を自分が成長し、次の段階へと進むことを促すサインと受け取れず、多くの人が悩む。次々とふりかかってくる変化や精神的な悩みは実は混沌としたものではなく、人生にはある一定の周期があり、それぞれにその段階に応じた課題がある、とキャロル・カンチャーはと述べている。[8] カンチャーはこのライフ・サイクルという考え方に基づいて、こうした周期の変わり目、次の段階へ移るための不安定な時期を変動期と呼ぶ。こうした時期にある人間を「モラトリアム人間」(猶予期間にある人間)と呼ぶ。小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』から引用したい。この著作の出版は1981年だが、20年を経て先行きの不透明な現在、次のような傾向はさらに強まっていると考えられる。

 企業の中では、今の職業を一生の仕事にするかと問われて、イエスと答えない青年が珍しくなくなったし、何を専攻するかときかれて、もうしばらく広くいろいろと勉強してからと答えるのが、大学院生や研究者の一般的風潮になってしまった。形の上では就職しても、その企業職員としての自分を本当の自分とは思わず、本当の自分はもっと別の何かになるべきだ、もっと素晴しい何かになるはずだ、と思いながら、表面だけは会社の仕事をつつがなくこなし、周囲に無難に同調するタイプのサラリーマン。すでに形の上で結婚し、子供さえできていても、それで本当の自分の身がかたまったと思っていない男女。みんなが、その実人生においてお客さまで、自分が本当の当事者になるのは、何かもっと先ででもあるかのように思っている。このお客さま意識、換言すれば、当事者意識の不在は、実は、現代のわれわれが、共通の社会的性格として互いに共有する「モラトリアム人間」に特有な社会意識である。[9] 社会的性格という概念を見出したのは、E・フロムである。ある社会集団の心理的反応を研究するとき、そこにその集団の成員の大部分に共通する性格構造を見出すことができる。この集団の成員の大部分がもっている性格構造の本質的な中核であり、その集団の共同の基本的経験と生活様式の結果から発達してきたものを、フロムは社会的性格と呼んだのである。フロムはある地域社会の成員に共通する基本的パーソナリティを考えるのでなく、その社会を構成する各社会層、各下位集団の成員に、それぞれ社会的性格が成り立つと考える。それぞれの時代、社会で暮らす人々の心の中には、彼らの共通の経験、共通の欲求に由来し、それぞれが無意識のうちに共有する人間のあり方=人間像が潜んでいるのである。フリーターの存在を肯定的に捉えるならば、フロムの言う「あえてあろうとする」若者であると考えたい。フロムの次のような記述によって、フリーターが「自分探し」をしていること、モラトリアム期にあることを説明できるのではないだろうか。

 若い世代の中に育ちつつある、大多数の人々の態度とは全く異なった態度、これらの若者の間に見出される消費の型は、隠された形の取得や持つことではなく、自分のしたいことをするがその報酬として何も<長続きのする>ものを期待しない、という純粋な喜びの表現なのである。これらの若者は遠くまで、それもしばしば苦労しながら、出かけていっては、好きな音楽を聴き、見たい場所を見、会いたい人々に会う。彼らの目標が彼らの思っているほど価値があるかどうかは、今は問題ではない。たとえ十分な真剣さや準備や集中力を持っていないとしても、これらの若者はあえてあろうとしているのであって、報酬として何かを得るかということや、何を守ることができるかということには、関心を持たない。彼らはまた、哲学的、政治的にはしばしば単純ではあるが、年上の世代よりもはるかに誠実であるように見える。彼らは市場で売れそうな<物>になるためにたえず自我にみがきをかけるようなことはしない。彼らは故意にせよ無意識にせよ常に嘘をつくことによって、自分のイメージを保護するようなことはないし、大多数の人々がするように、真実を抑圧するために精力を費やすこともない。そしてしばしば、彼らはその率直さによって年長者に感銘を与える。彼らの中にはあらゆる色合いの政治的、宗教的方向付けを持った集団もあるが、また特定のイデオロギーや教義を持たず、自分についてはただ<模索している>だけだと言うであろう者も多くいる。彼らはまだ自分をも、また実際生活の指標を与える目的をも見出してはいないかもしれないが、持つためや消費するためでなく、自分自身であるために模索しているのである。[10]「あろうとする」若者は妥協してはたらいたりはしないのだ。

 「モラトリアム」とは、支払猶予期間、つまり戦争、暴動、天災などの非常事態天下で、国家が債務・債権の決算を一定期間延期、猶予し、これによって、金融恐慌による信用機関の崩壊を防止する装置のことをいう。エリクソンがこの言葉を転用して、青年期を「心理社会的モラトリアム」の年代と定義した。青年期は、修行、研修中の身の上であるから、社会の側が社会的な責任や義務の遂行の決済を猶予にする年代である、という意味である。モラトリアム期に青年たちは、社会的自我=アイデンティティを培い、確立するために、様々な社会的実験や遊び、時には冒険を許容する。青年たちは様々の人間の生き方、思想、価値観に同一化しては、その実験者になる。次々に所属集団を変え、様々の関わりの中でいろいろな役割を試験的に身につける。そしてこの実験や練習を通して、自分に適うもの、適わぬものの吟味、取捨選択を積み重ねていくが、この試みは生活領域のすべてにわたって行われる。青年たちはモラトリアムを楽しみ、自由の精神を謳歌し、疾風怒濤や青春の彷徨を繰り返しながら、実験や冒険を続け、やがては最終的な進路、職業の選択、配偶者の決定をはじめ、そのすべてに自分固有の生き方=アイデンティティを獲得する準備を整える。旧来の社会秩序の中では、モラトリアムは一定の年齢に達すると終結するのが当然の決まりであった。青年からオトナになれば、「これが自分だ」と選択したオトナの人生に自分を賭け、一定の職業、専門分野、特定の配偶者、社会組織、役割としっかりと非可逆的に結び合い、安易なやり直しのきかないことを覚悟した倫理的な人生が始まる。猶予は失われ、社会的な責任が問われ、義務の決済が迫られる。つまり「心理社会的モラトリアム」は「自己定義=自己選択=アイデンティティ」と一対をなす概念であり、旧来の社会秩序に根をおろした確固たるオトナ社会の存在を前提として始めて、本来の目的を達成することができる。かつて、オトナ社会から半人前とされたモラトリアム期は様々な禁欲を強いられそのため多くのフラストレーションに悩まされた。一人前になるためにはそれらを耐え忍ばなければならなかったので、モラトリアム期は早く抜け出したいものであった。しかし、現代社会においては、本来なら社会的現実と対立するはずの猶予状態そのものが次第に一つの新しい社会的現実の意味をもつようになった。モラトリアム心理の質的変化が起こったのである。「新しいモラトリアム心理」はより広く、より潜在的な形で、現代青年の心理の中に日常化していった。この変化の背景には、青年たちの自己主張を促す社会全体における青年期の位置づけ、価値の上昇と豊かな社会の中での若者が、消費者として大きな比重を占め、オトナ社会の側が、彼らの存在権を様々な形で尊重し、その自己主張に拍車をかけることとなった。心理的にはモラトリアムでありながら、物質的な満足は得られる、日々の暮らしは比較的楽に送れるようになった青年たちには、実際には親や先輩に依存している未熟な自分と、空想の中では自信過剰の自分の際立った分裂が起きている。近年、青年期はますます延びる傾向にある。この要因として、モラトリアム期間中に継承されるべき技術・知識の高度化による修得期間の長期化と、青年期=モラトリアム時代の居心地の良さを、小此木は指摘する。長期のモラトリアムを必要とする分野がますます多くなったことと、居心地のよさとが相俟ってふんぎりがつかない青年が増え始めた。モラトリアム延長の願望は、表面的には社会人になったようにみえる若いサラリーマンの内面の潜在心理にも広く見出され、この種の自己限定の回避・延期心理を実社会の中に持ち込む“青年”が多数派になり始めている。[11] さらに、小此木の次のような記述は、近年の「フリーター」という新しいライフスタイルを送る若者の増加を十分に説明できると思う。

 社会変動の進行と共に、旧来の社会秩序を支えてきたいくつもの基本的な境界が次第にあいまい化し、アノミー化が進む。そのプロセスの中から、はじめは潜在的に、やがてはより顕わに、組織帰属型の人間と無帰属型の人間といった、より新たな社会心理境界が、少なくとも生活感情や暮らし方の次元では次第に出来上がっているように見える。かつて社会的人間とは帰属型の人間を意味し、無帰属型人間は実社会から落ちこぼれた困り者とみなされていたが、今や後者が前者と同等、いや時には優位の立場に立って、新しいタイプの社会的人間としての自己を主張し始めている。「新しいモラトリアム」期の青年たちは、根無し草的な自己の存在を肯定し、そのような自己のあり方を公然と主張しようとする。彼らは実社会に対し局外者でいながら、中産階級意識を保つことができる。彼らは、自分のおかれている社会的現実には心的な距離=隔たりがあり、そこには主体的にかかわっていないし、かかわるほどの積極的な力も関心も乏しい。実社会の流れに能動的にかかわらないだけに、長期的な見通しを欠き、その時その時の一時的・暫定的なかかわりを優先する気分派である。[12] こうした記述に沿えば、フリーターはあくまでも、社会の中でお客様的存在だといえるだろう。主体的に社会に関わっていないのに中流階級意識を維持できる。やはりこうした点については、パラサイトという視点と切り離して考えることはできない。必要な時に最低限の仕事をして稼ぎ、金が尽きるまで遊ぶ。刹那的なフリーターには、将来のキャリア形成への意識はあっても具体的で有効な取り組みがない傾向も見られる。フリーターの就業職種は限定されており、フリーターとしての就業経験が基本的なソーシャル・スキルの形成以外の職業能力形成に結びついている場合は少なく、フリーター就業が長期に及べばキャリア形成の貴重な時期を逸するおそれがある。日本労働研究機構のフリーターの意識と実態の聞き取り調査によれば、専門的な知識・技術の習得に役立った例は少ない。[13]

 フロムは、私の個人的な見積もりでは、持つ様式からある様式への変化に真剣に専念している若者の数は、あちこちに個別に散在する一握りの人間にはとどまらない。私は信じている。かなり多くの集団や個人があることを目指して進んでいることを、彼らは大多数の人々の持つ方向付けを超越した新しい傾向を代表していることを、そして彼らは歴史的な意義を持つ人々であることを、[14]と述べている。近年の日本の「目的意識」をもった「あろうとする」若者たちは社会を動かしていく力になるのだろうか。

 

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引用文献

[1] 総務庁『日本の就業構造 平成9年就業構造基本調査の解説』63-64頁、(財)日本統計協会、1999年。

[2]NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第五版]』147頁、日本放送出版協会、2000年。

[3] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』27頁、TBSブリタニカ。

[4] なぜ彼らは会社を辞めるのか『週刊東洋経済2001年3月3日号』31頁、東洋経済新報社。

[5]  藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』333-334頁、ミネルヴァ書房、1995年。

[6] 「村上龍のbye – bye Japanese-Black-bird」『週間SPA2002年5月14日号』64-75頁、扶桑社。

[7] 増える大学院生研究は「自分探し」『ニューズウィーク日本版 2001年6月6日号』35頁。

[8] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』33頁、2001年、光文社。

[9] 小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』15-16頁、110頁、1981年、中公文庫。

[10] E・フロム著、佐野哲郎訳『生きるということ』109-110頁、紀伊国屋書店、1977年。

[11] 小此木、前掲書、17-38頁。

[12] 小此木、前掲書、40-41頁。

[13] 日本労働研究機構『調査研究報告書 NO.136 フリーターの意識と実態―97人へのヒアリング結果より』10頁、2000年7月。

[14] E・フロム、前掲書、111頁。

 

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