たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

最終章自分自身であること-⑤再挑戦するOL

2024年12月07日 00時09分06秒 | 卒業論文

 女性はこれまで企業の中で自立した職業人として育成されてこなかった。男性中心の日本型企業社会の中では二流の労働力扱いされてきた。すでに見てきたように、戦後の民主化の流れの中で、女性は個人の労働者として労働市場に登場することを当初から期待されていなかったのである。しかし、今日のように激しく変化する社会では、女性にも失敗を恐れず、より充実した人生を送ろうとする主体性が求められていると考えたい。女性もどう働き、どう身を守るかを学ばなければならない。

 「女性と仕事の未来館」の相談室には「毎日同じ仕事をしていて気がついたら年数ばかり経ち、昇進もできなかった。このままではリストラになりかねないが、転職を考えたくても自分の能力に自信がない」という漠然とした不安を抱えた相談が多く寄せられる。就職、再就職、転職あるいは社内での昇進・昇格時やリストラに遭遇した時など、誰でもまず自らの職業能力と向き合うことになる。一方、企業の側では厳しい経済環境の下で、自社のニーズにあった即戦力を求め、能力主義的人事管理を進めている。今や男女を問わず生涯を通じて職業能力の開発を意識せざるを得なくなっており、入社時の学歴や資格、専門知識のみでは長い職業生活を有意義に送る事はできない状況にある。[i]「女性には女性の仕事が適している」という呪縛から女性自身が解放され、やりがいのある仕事を求めていくことが必要である。これまでは女性が働くというとキャリアかそうでないかにはっきり二分されてきたが、総合職か一般職かを問う時代ではなくなりつつある。女性が職場で男性と平等の地位を得るためには、企業や政府レベルの社会全体の変革はもちろんのこと、女性の側の意識も変革しなければならない。日本の男性の、男女平等に対する意識変革が遅れているのは、裏返せば女性の側の努力が足りないとも言える。これまで女性は持てる能力を社会ではなく、家庭で発揮するように育てられてきた。だから、女の子を社会適応させる手順を変えることから始めなければならない。さらに男性中心社会の男女の役割に関する意識を変える必要がある。企業においては、終身雇用制を前提としていたため、新入社員のように学業を終えると、それからOJTやOff-JTによって職務遂行能力をつけてきた。しかし、最近では、高度専門職や派遣社員のように即戦力となる人材を採用するケースも増えてきている。したがって、職務遂行ニーズを充足させる教育の場は、企業内だけに限らなくなってきている。第五章にも記したが、社外の勉強会等にも積極的に参加し、多くの人々との人間関係を大切にしておくことも忘れてはならない。そもそも日本では、エキスパートになれるだけの専門性を学校では養成しない。一部の人を除いて、ほとんどの人が出身学部と職種が一致していないのが現状だ。それでも、男性の場合は多様な職域を経験しながらキャリアを積み上げていく機会が与えられるが、女性はそこのところが難しい。だから、キャリアの展望を描くことができないし、勤続年数が長くなればなるほど男女の格差は広がってゆく。

 しかし、成果主義の導入により、賃金制度が大きく変化してきている近年、公平になった分だけ女性にも賃金上昇のチャンスもあると考えられる。成果主義については、『日経ウーマン2002年7月号』には、次のような説明がある。成果主義を「仕事をしたら、その分だけ給料がほしい」という人は、成果主義的な考え方をしていると言えるだろう。ただし、「その分だけ」と言うからには、「仕事で成果を出しているか」が問われることになる。成果主義では、個人にどんな能力、知識、経験、技術があっても、それらが仕事の場で発揮されなければ、評価はされない。能力主義との大きな違いは「仕事の価値」に対して賃金を払うことだ。どんな仕事をし、どんな責任を負っているか、そしてどこまで目標を達成できたかにより、昇給や賞与に差がつく。「仕事の価値」に支払われるため、諸手当も、基本給に組み込む形で廃止する方向に向かっている。最近は、「仕事で、どのようなプロセスを踏んだのか」も評価がなされるようになってきている。潜在能力ではなく、仕事でどんな成果を生み出すかが問われているのは同じだが、成果を生み出せる実力をつけていくためには、結果ばかり見ていてはダメだという認識が広がりつつある。そのため、若いうちはこれまでのように「能力」を評価し、管理職以降に「成果」が問われる方向に進んでいるようだ。日本型雇用慣行の特徴であったこれまでの右肩上がりの年功型賃金は、「若い頃は低く抑えられる代わりに、年をとってからその分もらえる終身決済型」だと言われてきた。この「右肩上がり」が、今、モデルではなくなろうとしている。定昇(定期昇給・ベア(ベースアップ)だけでなく、昇格・昇進による昇給がこのモデルを支えていたが、運用が「年功的」になっていたという反省から、成果主義導入に伴い、納得性の高い昇給・昇進を実現していこうと企業は努力している。[1] 成果を生み出せる人が、高い評価を得ていく成果主義。しかし、成果を生み出せと言われても、事務職は数字で結果が見えにくい仕事である。そもそも「成果」とは何だろう? 『日経ウーマン』は引き続き、「数字ではっきり表れるものばかりが成果じゃない。自分なりに工夫したり、苦労して取り組んできた仕事で、それが結果的に会社に何らかのメリットを生み出したなら、それは立派な成果と呼べる」というコンサルタントの声を紹介している。自分なりに力を入れた仕事、それなら誰にでもあるはずだ。また、「一つの成果から次の成果を生み出していく能力は、今後強く求められる。自分なりの成果を見つけたら、その成果を生み出すまでの“行動”を振り返ることが大事」[ii]だ。

 時代は大きく変わりつつある。この環境変化に対応して生き抜いていくためには、個人の側もまた企業の側も能力の向上を図らなければならない。企業を構成する要素には、人・物・金といったハード面の資源と、情報・技術・組織といったソフト面の資源があるが、このうちでも人の力が経営を大きく左右することはいうまでもない。これらの経営資源を有効に活用して大きな成果を生むのも人の力に他ならないからである。そこで、企業の存続発展にとって人材の開発は、重要な企業活動の一つといえる。事業内教育訓練は、企業目的を達成するために、従業員の能力を計画的かつ体系的に育成する企業活動である。その活動は、業種や企業規模の如何を問わず必要なことである。そこで、もう一度振返って企業目的とは何かを再確認しておくことが大切である。それは、

①企業業績を高めて収益を上げること。

②より良い製品とサービスを顧客に提供すること。

③従業員とその家族の生活安定と、従業員の仕事の生きがいや人間的成長といった自己実現欲求を充足させること。

④地域社会に対する貢献や奉仕などの社会的役割を果たすこと。

などをあげることができる。特に現代社会においては、企業の立場を中心に考えるばかりでなく、従業員個人の立場を尊重することと、社会的貢献が大事なことといえるだろう。能力開発といった観点では、個人が自分の成長への高い意欲を持っていることを重視すべきであろう。またそこに企業側のニーズと個人側のニーズの接点を見出すこともできる。[iii] 

 日本の大学ではきちんとした職業教育がなされていないという点も問題である。日本的経営システムの下では、入社するのが最大の目的であり、すでに触れているが企業は大学に職業教育を全く期待していない。私たちは、ビジネス社会や企業の成り立ちを知らないまま「就社」してきた。職業選択能力を向上させる機会をあたえられることもなく、職業選択についての意識が不明確なまま仕事ではなく、会社を選んできたのだ。しかし、これからはどこの会社でも通用する職業人として自立していくために、入社後を捉えたキャリアとしての「就職」をすることが重要だと思われる。組織の構造をしっかり理解し、自分はその中で何がしたいかを考える力を身につけていかなければならない。

 リスクを伴うことを承知で、企業を離れ、大学で学び直すという道を選ぶ女性もいる。東京の大手出版社を辞め北海道の大学の獣医学部で学ぶ34歳(2002年時点)は、組織であぐらをかくのではなく、自分の力で走りたいと考えて新しい道へと足を踏み入れた。「何のために生きているのか突き詰めたい、いつ死んでもおかしくない自分をつくろう」と進学を決意したのだ。[iv]

 キャロル・カンチャーは次のように述べている。人間は、保守的な生き物です。変化を恐れ、現状を維持するために、莫大な時間とエネルギーを費やしている人はたくさんいます。慣れ親しんだ決まりきった毎日のほうが安心感があるのは、人間の本性ですから、仕方がありません。変化にも、エネルギーが必要です。同じエネルギーなら、変化に費やすべきです。また、人生、キャリアの展開には、ダイナミックな変化にあえて挑戦することによって、新たなエネルギーを与えることも必要なのです。現状を維持するためのエネルギーは、周囲で起こっている変化の原因と本質を理解するためのエネルギーでもあります。しかし、それだけでは、日々変化する今日の社会についていくことはできません。人生の転機に、自ら考え、意志決定してリスクに立ち向かう能力は、まさに今日の急激に変化する世界において、自分のキャリアを創造するために必要な能力です。リスクを冒すことなくして、成長も活力も真の喜びもありえません。カンチャーはさらにこう述べている。成功は結果ではなく、満足感のある一日一日の積み重ねなのです。失敗か成功か、完全にどちらかなどということはありえません。[v] 

 第五章で、女性は20代後半から生き方が分化し、専門職と事務職の一部には、仕事に前向きに挑戦しようとする女性がいることを記した。OLの中にも「スペシャリスト志向」を見ることができるのである。仕事に対する意欲を、ヒエラルキーを登ることよりは多様な事業展開の中のある部門のスペシャリストになる方向に注ぐ。こうして若いOLの一定層は確かに銀行や証券会社、デパートや消費者向けメーカー、そして自治体の中で、ある領域の営業、開発、企画のできるような知識や技能を備える努力を始めている。性別職務分離の支配の中でも女性の活躍できる空間を懸命に求める、「被差別者の自由」を享受する層の限界を知悉した甘えのないOL像といえるだろう。この「スペシャリスト志向」は、退職と結びついていることも考えられる。女性がある部門のプロとなる空間が企業内に見つけられなければ、退職して大学で学び直す、留学する、資格を取るための勉強をする、「起業」を計画するなどの道が探られよう。今日、OLの退職理由に占めるこの種の「再挑戦」は、統計には現われないもののかなり多いはずである。[vi] このようにしてスペシャリストへの道を歩む女性が日本型企業社会の中で、どのように自立していくのか。これからの課題であろう。女性たちの挑戦は始まったばかりだ。

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引用文献

[i] 『女性と仕事の未来館 報告書 No.3 働く女性が拓く未来』21頁、2001年。

[ii] 『日経ウーマン 2002年7月号』64-65頁、日経ホーム出版社。

[iii] 郷田悦弘(ごうだよしひろ)『始めよう能力開発』1-2頁、中央職業能力開発協会、平成元年。

[iv] 『AERA2002年1月21日号』8-9頁、朝日新聞社。

[v] キャロル・カンチャー著、内藤龍訳『転職力-キャリア・クエストで成功をつかもう』11頁、30頁、光文社、2001年。

[vi] 熊沢誠『女性労働と企業社会』154-155頁、岩波新書、2000年。

 

 

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