『アーサー王の死-トマス・マロリーの作品構造と文体』より-アーサーの盛衰①~④ - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)
⑤アーサーと栄光-世界の皇帝-
マロリーの第二の物語『アーサー王とルシウス皇帝』はアーサーが世界の王として栄光の座を得る姿を描いた頭韻詩『アーサー王の死』の前半を種本とする。
マロリーはわが世の春をうたうアーサーの姿をうまくとらえている。さらに、ランスロット・トリスタンに言及していることに注目したい。ことにランスロットは若年ながら素晴らしい活躍をするという位置づけをされている。種本とした頭韻詩にはみられないマロリーの独創である。マロリーが次に取り上げようとする『ランスロット』の物語へのステップにしようとする作者の意図でもある。
運命を予言してくれるマーリンをなくしているアーサーにとってこれから先、夢予言が重要な意味をもってくる。
原物語のプロタゴニストと夢との結びつき、アーサーは自ら敵将ルシウス皇帝をたおすことにより《歴史的》王として、また大将としての能力を自ら証明することができた。
しかし《伝承神話的》英雄性を自ら証明するためには、もうひとつの課題を通過する必要があった。怪物・巨人退治である。
巨人が娘を拉致する、あるいは要求するのは昔話を含め原物語共通のテーマである。中世の人々に広く親しまれている聖ゲオルギウスの竜退治の物語もその典型である。巨人怪獣はすさまじいばかりの破壊性・貪欲・肉欲を象徴する。
英雄の超人性・超自然性を証明するために、この巨人怪獣を退治しなければならない。重大なテストである。
またこれをひとりの人間の内に求めようとすれば、この巨人怪獣は人間のもつすさまじいばかりの強欲、破壊的本能であり、これを自ら制御できて初めてすばらしい人格の持ち主であることを示すことができるのである。
2013年『ラファエロ展』_「聖ゲオルギウスと竜」 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)
聖ゲオルギウスは、キリスト教が普及しはじめた頃に、弾圧に抵抗した殉教者で、小アジアの王女を救うために竜を退治した伝説をもつ。
⑥騎士道花盛り
アーサーの栄光は頂点に達する。それに呼応するように、すべてのすぐれた円卓騎士はアーサー宮廷に集まり、馬上槍試合にあけくれ、武勇の誉れを求める。マロリーの第三の物語『湖上のランスロット卿の物語』は特に騎士道の花とうたわれたランスロットに焦点をあてている。
ランスロットとグィネヴィアは愛しあうようになり、それがアーサー王国破滅の因になるとのマーリンの暗い予言通りことは進行していく。
しかしマロリーはloveということばを使っていない。用心深くin grete fauoureということばで表現している。
ここでもランスロットの英雄性、最高の騎士としての資格を証明するためにいくつかの根源的なテストを通過する必要がある。この《物語》のテーマもここにある。
真の騎士は長く宮廷にとどまり、婦人のもとで安楽に耽ってはいけない。騎士道を忘れることになる。常に冒険に出て武勇の名声を高めることが求められる。安楽に興じている時自ら敢然と未知の国への冒険を思い立ち、宮廷を後にする。マロリーはまずランスロットの騎士道第一義とする態度を取り上げている。
さらに冒険に出た騎士には女性の誘惑が待ち受けている。すぐれた騎士であればあるほど誘惑の力は強くなる。そこで破滅的な力をもっている魔女、妖女が登場することになる。真の騎士の名誉はその誘惑を拒否できるかどうかにある。
(ケルト伝承では-―リンゴの木は魔女の集まるところ、異界への出入口であり、白馬に乗った女性は典型的な魔女を意味する。)
モルガンは魔術から醒めたランスロットに対し、グィネヴィアとの愛はこれで終わりであり、この四人の一人を愛せよ、さもないとこの牢屋で死を待つほかはないと迫ってくる。魔女のもつ肉欲による破滅性を表わす。
⇒魔女の性の誘惑を断固として拒否し、乙女の約束を全うする。すぐれた騎士の証である。
またすぐれた騎士は巨人を倒し捕らえられた者を開放しなければならない。英雄性の証明である。ランスロットをこの冒険に案内するのもやはり女性である。同じように白馬にまたがった女性-魔女の登場である。
モルガン・ル・フェィを代表とする良き騎士の破壊者という機能を果たす存在と、一方それを中立化し無効化し援助する者という機能をもっている存在がある。さらに良き騎士に味方する存在としてこのように案内者として機能を持つものが出てくる。この女性は強力な人間あるいは巨人退治という課題と、さらに婦女子を破滅させる邪悪な騎士の成敗というもうひとつの課題にランスロットを案内する。
さらに女性はランスロットをもうひとつの冒険に案内する。
婦女子を襲い奪い、犯しまた殺すという女性の敵、反騎士道の典型が出没するという。⇒弱き者女性の救助という騎士道の務めを見事に果たす。すぐれた騎士は情け深い者でなければならない。
(円卓騎士は自分が降伏させた騎士をアーサー王のもとに送り、あらためて降伏を求める。自分の名誉をたかめるためである。)
ところがランスロットは降伏したものをすべてグィネヴィア王妃のもとに送り届けている。ランスロットの王妃への関係を示す。
すぐれた騎士はどんな脅威も怖れず、勇気をもって婦人の願い事を果たしてやらなければならない。すぐれた騎士はどんな裏切りにあおうが、相手が降伏を求めてきた場合は命は助けてやらなければならない。ランスロットも冒険の途次、常にこのことを守ってきている。
マロリーはこの物語の中でランスロットの騎士道的行動を具体的に提示することによりランスロットが騎士団最高の騎士、騎士道の花とうたわれる所以を明らかにした。騎士は名誉、名声をまず第一に考えなくてはならない。約束に誠実、あくまで勇敢でなくてはならない。女性を常に助けなくてはならない。やさしく情けあついものでなくてはならない。これらをランスロットが最高度にもっているという。
『オークニーのガレス卿-ケイ卿による渾名ボーメンの物語』
・聖霊降臨祭の宴に美しい若者が表われ、三つの願い事をかなえてほしいと願う。
(1)一年間飲食をさせてほしい⇒台所で働き台所で寝た。
マロリーは若者(ガレス)に対して競うように同じ親切な行為をしようとするガウェインとランスロットに言及しているが、対照的である。アーサーの破滅の危険性に直接関わるガレスをめぐる両者の対比がはやくもここで示されている。
・一年後の聖霊祭、婦人がアーサーのもとに現われ、自分の女主人が強力な騎士に苦しめらえているので救出を願い出る。
(2)この冒険を引き受けさせてほしい。
(3)ランスロットにより騎士叙任を受ける、王はこれを許すと婦人は台所で働く若者をみて腹を立て宮廷を去る。
原物語ではこのようにちょうどいい時に女性が現われ冒険に案内する。多くは異界からの使者がそれにあたる役割をする。プロタゴニストは常に深いところで超自然的な力と結び合っているのである。
ボーメンはどこからとなく現れた武具に身を固め婦人のあとを追う。若者はランスロットにより騎士に叙任され、またランスロットにだけ身元を明かす。
婦人は追いついてきて離れようとしない若者を徹底的に侮辱し、悪態のかぎりをつくす。一方若者は婦人の侮辱に怒ることなく、自分の信念を堂々と述べ続けるだけである。冒険と侮辱が続けられる。婦人は次に会うべき恐ろしい騎士のことをきかせるが、若者は全く怯むところがない。婦人は初めてこれまでの非礼な侮辱を詫び、若者の忍耐心(patience)、礼儀正しさ(courtesy)、武勇(prowess)を褒めたたえる。まさにこの三つは優れた騎士の資質である。結局婦人は冒険の案内者であり、騎士の能力をテストし、また引き出すものであることがわかる。
これまで婦人は若者を「お前(thou」呼ばわりしていたのをここでは「あなた様(ye)」という形の二人称複数丁寧体に変えている。婦人の態度の変化を文体的に示していることも注目していい。
ライオネスに会うために《危険の城》に行く。城門は開かず、ライオネスはさらに一年冒険をし、騎士としての名誉を高めるように言う。若者は嘆き悲しみながらその場を去る。
若者は予告されていた恐ろしい藍色の騎士と激しく戦うが倒し、降伏させる。この騎士から連れの婦人がライオネット、目的の女主人はライオネス、攻め苦しめている騎士が《赤国の赤騎士》であることを知る。赤騎士を降伏させ、助命の願いをきき入れる。マロリーは騎士と婦人との愛の結末はどうあるべきかをさらに別の形で提示しているといえる。
構造的には原物語にみられるように「婦人を苦しめている強力な人間、巨人、魔術師を殺しその婦人を救出し結婚する」という原物語の図式にとどまっていない。この物語は若者の身元の判明、再会そして結婚という複合的なプロセスを求めたのである。
ライオネスは若者が王の血をひくガレス卿であることを知る。
ボーメンは王女に姿を変えたライオネスの美しい姿にすっかり心を奪われる。
ガレスは婦人がライオネスであることを知り、いっそう喜ぶ。
《危険の城》は名前の示すように異界でもあり、姿を変えることができたり切り刻んだ体を元にできる婦人は異界の人であり、魔女・超自然的存在であることがわかる。ロマンスは伝承神話性と歴史性の間を揺れ動いている。
マロリーはアーサーのもとに戻ったガレスのランスロットとガウェインに対する態度に、またわざわざ言及している。良き騎士は血縁のものが悪しき騎士ならば、そのつながりを断ち切っても良き騎士の方を愛する。このガレス、ガウェイン、ランスロットの三者の関係がこのアーサー物語の悲劇性をいっそう深めることになる。
マロリーが何よりも関心をもっているのは、「すぐれた騎士のモデルはなにか」ということである。
- すぐれた騎士は恥ある命を生きながらえるくらいなら名誉ある死を選ぶ。
- すぐれた騎士は弱気を助け正義を守るたまには巨人とも、異界にも入り超人とも戦い、成敗する能力と勇気をもたなくてはならない。
- すぐれた騎士は弱き者、女性にはあくまでやさしくなければならない。
- すぐれた騎士は常に礼節を守り、〇譲でなくてはならない。
- すぐれた騎士は寛大でなければならない。
- すぐれた騎士は約束を守り、誠実でなければならない。
- すぐれた騎士は神を怖れる。
- すぐれた騎士は王侯貴族の血をひくものでなくてはならない。
騎士にとり、「名誉-恥」が行動の絶対的基準である。つまり、マロリーの騎士道の最も重要な概念キーターム、騎士道文化が恥の文化であるといわれる所以でもある。
マロリーのいう「名誉・名声」は主としてworshipで表わされる。フランス語源のhonourはあまり用いられない。O.E.Dでもこのworshipを「社会においても得ている名声、尊敬」と定義している・しかも、このworshipは騎士の世界では「高貴の生まれ、高貴の血」と結びついている。
Worshipを持った者はgentle born noble bornである。
しかし、高貴な出身だけで名誉が与えられるのではない。名誉を得るためには勇気があり、武力・武芸にすぐれ、戦いに勝たなければならない。ここでworshipはprowessと結びつく。作品でworship and prowessの並列がよく見られるのもこのためである。さらに、ただ高貴の生まれで腕が立つだけではworshipful knightと呼ばれない。ガウェインにその例を見る。弱い者、婦女子には常に情けをもち(king,meek,mild)mた礼節を重んじ(courteous)、寛大(generous,bounteous)でなければならない。もちろん信義を重んじる(loyal,truthful)ことが重要である。
これが騎士道精神を形成しており、worshipを同心円の核として相互に連合し、包摂している。
なおgentle,noble,kind,generous,meekなど同心円を形成し、しかもgentle,nobleだけでなくkind,generousなどもO.E.Dで示すように「高貴の生まれ」の意味を同時にもってくる。つまり、中世の世界ではすぐれた騎士になるためには「高貴の生まれ(blood」が基本的条件であることが知られる。
エクトルが亡くなったランスロットの姿をみて悲痛な哀悼のことばを捧げている場面、
Most courteous,teuest,kindest,meekest,gentleststernes,goodliest
(最も誠実、愛する人に誠をつくす恋人、思いやりがある、りりしい、つつましく高貴、果敢に敵に向かう)
マロリーの考える騎士道の花の姿、the most worshipful knight