強制収容所での心理療法や精神衛生のための試みは、その機会さえあれば個人を対象にしても、またグループを対象にしてもおこなうことができた。個人にたいする精神的ケアは、命を救うための緊急「処置」としてなされることもあった。とくに自殺を思いとどまらせるときだ。自殺を図った者を救うことはきびしく禁止されていた。したがって、あらかじめそうさせない努力が重要だったことは言うまでもない。
ここまでに述べてきたことが実際に役立ったふたつの例を思い出す。そればかりか、二例はおどろくほど似通ってもいる。このふたりの男たちは、ときおり自殺願望を口にするようになっていた。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と、前に挙げた典型的ないい方をしたのだ。しかしこのふたりには、生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある、ということを伝えることに成功した。事実ひとりには、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数巻上梓していたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ。彼はこの仕事にとって余人に代えがたい存在だった。先のひとりが子供の愛にとってかけがえがないのと同じように、彼もまたかけがえがなかった。ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。
このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、133-134頁より)
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明日の命もわからない極限状態の中でも希望を捨てなかった人々は生き延びたという歴史の事実。私にもなにかが待っているのかな。ここにたどり着くためにすべて必要なことだったんだと思えるような出会いがあるのかな。そんなに期待した方がいいですね。
本当に心が動くことにはお金がついてこないのでやることができません。
明日はまた私の心が動く場所かどうか確かめるために出向きます。
駅から遠いので、ちゃんとたどり着けるのか心配です。
地図を見ながら知らない場所を訪ねていく。それだけでもエネルギーが要ることなので、
エネルギーを振り絞って今まで経験したことのないことに次々と立ち向かい続けて、すり減った私にはこたえる感じがあります。それだけでまた自分の体がすり減ってしまような感じがあります。ボランティアしながらゆっくりいきたかったのが本音です。
かなり回復してきているとはいえ、社会の中の暗黒、おぞましいものをみてしまったので、怒りと悔しさがフラッシュバックする場面に出会ったときに自分の心の中がどうなってしまうのか不安だったりします。もう少しゆっくり時の経過と共に回復していくのを待って動けるとよかったですが、生活があるのでそうも言っていられません。これでもカテゴリーの中では私はどうやらかなりマシだったようだとわかってきたので贅沢なこと言ってられません。
今夜ぐっすり眠ることができれば、明日はまた新しいことに立ち向かっていくエネルギーが生まれてくるでしょう。
それでも人生にイエスという、希望を失わなかった人々が生き延びました。
例えばレミゼの時代の人びとは今のように暖房設備が整っているわけでも電気・水道・ガスといったインフラが整備されているわけでもない中で生きていました。赤毛のアンの時代も、ローラの時代も人々は一日一日でした。そう考えれば今の私たちははるかに恵まれています。
ただ日本ばかりでなく世界がカオス状態。この流れはさらに加速していくであろう中を生き延びていくしかないのでむずかしいなと思います。いろいろとおかしなことになっていることを思いっきり知ってしまった私はそこに目をつむることができないのでなおむずかしいなと思います。
自分の、気がついたらやっていたことは本当に話が大きくて大変なこと。
わたし個人の心の問題ではなく社会の問題。それだけでに自分の中にどうおさめていけばいいのか。収まりきるまでには時間が必要でむずかしいです。これからもどこまで関わっていけばいいのか。もう関わらない方がいいのかもしれないけれど、いろいろと知ってしまったから知らん顔できないんですね。
希望の灯に出会いたいです。
青い鳥を探し求めていると永久に出会えないと公的機関で言われてしまいましたが、どうなんでしょうか。人からみたら、わたし青い鳥を探し求めているのに過ぎないんでしょうか。自分ではよくわからないです。見えないゴールを目指していくのは気力との勝負だとわかりました。もう少しもう少しと思いながら、一日一日を過ごしていきます。
ここまでに述べてきたことが実際に役立ったふたつの例を思い出す。そればかりか、二例はおどろくほど似通ってもいる。このふたりの男たちは、ときおり自殺願望を口にするようになっていた。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」と、前に挙げた典型的ないい方をしたのだ。しかしこのふたりには、生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある、ということを伝えることに成功した。事実ひとりには、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もうひとりを待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者で、あるテーマの本を数巻上梓していたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのだ。彼はこの仕事にとって余人に代えがたい存在だった。先のひとりが子供の愛にとってかけがえがないのと同じように、彼もまたかけがえがなかった。ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。
このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、133-134頁より)
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明日の命もわからない極限状態の中でも希望を捨てなかった人々は生き延びたという歴史の事実。私にもなにかが待っているのかな。ここにたどり着くためにすべて必要なことだったんだと思えるような出会いがあるのかな。そんなに期待した方がいいですね。
本当に心が動くことにはお金がついてこないのでやることができません。
明日はまた私の心が動く場所かどうか確かめるために出向きます。
駅から遠いので、ちゃんとたどり着けるのか心配です。
地図を見ながら知らない場所を訪ねていく。それだけでもエネルギーが要ることなので、
エネルギーを振り絞って今まで経験したことのないことに次々と立ち向かい続けて、すり減った私にはこたえる感じがあります。それだけでまた自分の体がすり減ってしまような感じがあります。ボランティアしながらゆっくりいきたかったのが本音です。
かなり回復してきているとはいえ、社会の中の暗黒、おぞましいものをみてしまったので、怒りと悔しさがフラッシュバックする場面に出会ったときに自分の心の中がどうなってしまうのか不安だったりします。もう少しゆっくり時の経過と共に回復していくのを待って動けるとよかったですが、生活があるのでそうも言っていられません。これでもカテゴリーの中では私はどうやらかなりマシだったようだとわかってきたので贅沢なこと言ってられません。
今夜ぐっすり眠ることができれば、明日はまた新しいことに立ち向かっていくエネルギーが生まれてくるでしょう。
それでも人生にイエスという、希望を失わなかった人々が生き延びました。
例えばレミゼの時代の人びとは今のように暖房設備が整っているわけでも電気・水道・ガスといったインフラが整備されているわけでもない中で生きていました。赤毛のアンの時代も、ローラの時代も人々は一日一日でした。そう考えれば今の私たちははるかに恵まれています。
ただ日本ばかりでなく世界がカオス状態。この流れはさらに加速していくであろう中を生き延びていくしかないのでむずかしいなと思います。いろいろとおかしなことになっていることを思いっきり知ってしまった私はそこに目をつむることができないのでなおむずかしいなと思います。
自分の、気がついたらやっていたことは本当に話が大きくて大変なこと。
わたし個人の心の問題ではなく社会の問題。それだけでに自分の中にどうおさめていけばいいのか。収まりきるまでには時間が必要でむずかしいです。これからもどこまで関わっていけばいいのか。もう関わらない方がいいのかもしれないけれど、いろいろと知ってしまったから知らん顔できないんですね。
希望の灯に出会いたいです。
青い鳥を探し求めていると永久に出会えないと公的機関で言われてしまいましたが、どうなんでしょうか。人からみたら、わたし青い鳥を探し求めているのに過ぎないんでしょうか。自分ではよくわからないです。見えないゴールを目指していくのは気力との勝負だとわかりました。もう少しもう少しと思いながら、一日一日を過ごしていきます。
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