たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』二度目の観劇からの日々

2015年07月01日 22時53分10秒 | ミュージカル・舞台・映画
観劇日記というほどのまとまったものは書けそうになくて断片的に徒然に・・・。

朝方といっても遅い時間ですが、一人の女性がはかなく身まかっていく夢を、なんだか漂うような眠りの中でみていました。今年の半分が終わりました。見えないゴールを目指して気力を振り絞りながら走り始めた日々ですが、本当に気力との闘い。心のエネルギーが回復してきたとはいえ、これまた半端ではないエネルギーがいるのですごく厳しいです。自分の生活を守るという最大の壁をわたしクリアできるのでしょうか。このままどこにもたどり着けないような気がして全く自信がありません。想いがあってもそれでごはんを食べることができなければやることはできない。以前からたちはだかっているいちばんの壁。居場所探しなどときれいなことを言っていられない追い詰められ感になってきそうでこわいです。

シシィとフランツが出会った場面。
「皇帝に自由などないのだ。義務の重さに夢さえ消える。自分の幸せあきらめなくては」と語るフランツに、「夢はそこに。わたしがつかめる」と夢と希望にあふれ瞳を輝かせて歌うシシィ。
この場面と晩年の二人のすれ違いを歌う「夜のボート」とが同じメロディラインになっているのが、時の移ろいを感じてせつなくなります。
少女時代の、溌溂とした野性味あふれる、エネルギーに満ちたシシィから、ルドルフが亡くなった後、死を待ち望むかのように耐えがたい孤独の中を漂うように生きるシシィへと、花ちゃんの演じ分けはすばらしかったとあらためて思います。

フランツと姉のヘレネのお見合いに付き添った場面の、生き生きと輝くような笑顔。フランツが好きにならずにはいられなかったことを観客に納得させられます。
木登りをしていて落下し、トートと初めて出会った場面の、遠くを見つめる瞳で漂うように
トートに誘われていく演技も好きです。
トートもフランツも一目でシシィを好きになってしまいます。それぐらい魅力的な少女時代のシシィ。

花ちゃんシシィの屈託のない笑顔が宝塚時代と変わりません。安心感・・・。

結婚式の場面で不吉に忍び寄ってくるトートの影に、あがないきれなくなっていくシシィの人生の移ろいを丁寧に演じられていました。
全身全霊で見事にシシィの一生を体現されました。
すごいエネルギーを消耗されているだろうと思いますが、なんだか凛とした横顔もドレス姿も本当に皇后がそこにいるような感じでした。

長い人生の旅路を終えて、やっと自分の下にたどり着き胸に飛び込んできたシシィを抱きとめる井上さんトートの手は、喜びに震えながらゆっくりとシシィを包み込んでいきました。タカラヅカっぽい恋愛模様で麗しいです。城田さんトートはどんなふうに演じられているのかな。

舞台は進化していきます。次回の観劇までにわたしも進んでいたいです。
どうなっていくのか一日一日の枠で、今日も生かされていることを感じながらの毎日です。
今日はすっかり疲れてしまったけれど、一晩眠って明日になればまたエネルギーが湧いてくるのかな。

とりとめもないですが今日はこれで終わりです。
史実は今のわたしたちと無関係ではないので知っていくとより深まり、また見方も変わります。

写真は東宝の公式フェイスブックよりお借りしました。

古川さんルドルフと山崎さんルキーニ。
ルドルフがアルバイトでミルクの場面に登場するのを見逃しています。
次回は見届けなければ・・・。






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