フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-壕のなかの瞑想
「生涯忘れられないことがある。アウシュヴィッツに到着して二日目の夜、くたびれはてて泥のように眠っていたわたしは、音楽に目を覚ました。居住棟の班長が、棟の入り口を入ったところにある居室で、なにやら酒盛りをしているらしい。酔いの回った声で流行歌をがなりたてていた。ふいにしんとしたと思うと、ヴァイオリンが限りなく悲しい、めったに弾かれないタンゴを奏ではじめた・・・ヴァイオリンは泣いていた。わたしのなかでも、なにかが泣いていた。この日、24歳の誕生日を迎えた人がいたからだ。その人はアウシュヴィッツ収容所のいずれかの棟にいた。つまり、ここから数百メートル、あるいは数千メートル離れたところ、わたしの手の届かないところに。その人とは、わたしの妻だった。」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、70-71頁より)