東京から稚内へ、2時間弱のフライトで着く、そこからフェリーで利尻島へ1時間40分、日本最北地域へは以外と時間はかからなかった。しかし、厳しい気候のため観光シーズンは4か月、バスも宿泊ホテルも短時間勝負のためかおもてなしの心が感じられ、思いで深い旅行となった。
利尻へ渡る前、稚内のノシャップ岬を訪れ、遙か彼方樺太(現サハリン)を視界に収めることができた。終戦直後、8月20日ソビエト軍による中立条約を破棄した侵攻で樺太住民は大混乱に陥り、最後まで電話交換台を守った9人の女性は青酸カリをあおり自決した。
ノシャップ岬にはその彼女たちの霊を祭った祈念碑があり、毎年8月に慰霊祭を行うと聞いた。この地域に来ると歴史的にもロシアとの関わりが多く、樺太からの引き揚げ者もいる。引き上げる際、40キロの距離であるが、小船の転覆で多くの住民が犠牲となった。戦前の稚内港は樺太への玄関口で賑わっていた。桟橋には防波堤も当時のまま残っており、当時を偲ぶ展示物も公開されている。沖縄の悲劇は多く語られているが、おかしなことに樺太の悲劇についてはこの地域だけに限定されている。