行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

安保法成立でのマスコミ議論

2015-09-21 23:40:45 | Weblog

安保政策大転換でマスコミの報道は賛否で2分された。朝日、毎日は反対、読売、産経は賛成、日経はやや賛成といった案配か。ただ以下の日経秋田浩之編集委員の署名入り記事には正直ビックリした。
「友達が不意に暴力を受け、助けを求めてきたとする。放っていたら、自分まで命を奪われかねない場合にかぎり助けて良い。ざっくり言えばこれが新法の趣旨だ。反対は強いが、理にかなっている」解りやすくするため、たとえ話というのは良いがこれはあまりにも乱暴すぎるたとえだ。友達が何故暴力を受けるのかいろいろなケースが国会で論じられていた。イラクのように友達が間違って判断して戦争を起こした場合にも後方支援をすることになるから問題なのだ。ベトナム戦争では韓国が米国の要請で参戦して悲劇的な結果となった(集団的自衛権の典型例)。これも友達が誤った判断をして深入りしたことから始まったのだ。

自分の命が危ない場合は個別自衛権で友達を助けることはできるから集団的自衛権まで拡大することはないというのが反対論で、このあたりは防衛庁に入り、運用局長や官房長を経て内閣官房副長官補をしてイラク派遣に関わった柳沢協二氏の意見に私は賛成する。以下は20日の朝日に掲載された同氏のインタビュー記事だ。

■米軍の協力要請、断れない 元内閣官房副長官補・柳沢協二氏
 一発の弾を撃つこともなく、一人の犠牲者も出さずにやってきた自衛隊は、安全保障関連法により、殺し殺される憎悪の連鎖の中に確実に引き込まれていく。それはリスク以外の何物でもない。それを国民は感じていた。危険を冒してまで得る国益こそ議論されるべきだったのに、政府は自衛隊のリスクは増えないと議論の前提を否定してきた。安保法に対する国民の理解が深まらなかったのは当然である。

安保法は、我が国の安全保障にとって有害である。そもそも中国や北朝鮮による我が国に対する攻撃の脅威は、個別的自衛権で対処すべき問題だ。集団的自衛権は抑止力を高めず、かえって緊張を高め、日本に対する攻撃のインセンティブ(動機付け)を上げる。

自衛隊には駆けつけ警護や治安維持など「武器を使わなければいけない」任務が与えられ、ちゅうちょなく引き金を引くことが求められる。民間人へ誤射も増えるだろう。そこから、憎しみの連鎖が始まる。安保法の真の姿は、地球規模で米軍に切れ目なく協力するための法律だ。日本が米国の協力要請を断ることは不可能となった。米国の戦争に巻き込まれる可能性は高い。

日本を「一国平和主義」と批判する人もいるが、憲法9条を持つ日本が、米国などと横並びで軍事的に国際貢献する必要などない。米国に追随さえすれば大丈夫という単純化と強迫観念が安保法の本質だ。自衛隊は「戦争をしない」「人を殺さない」からこそ、多くの国民から支持を得てきた。国民の理解のない安保法によって人を殺せばどうなるか。国民の負託もなく、自衛隊に命をかけさせる。こんな不条理はない。

戦争とは何か。国家の意思で送り込まれた組織が海外で人を殺すことだ。その意味で、日本は「戦争ができる国」になったのだ。
だが、あきらめてはいけない。安保法に実効性を持たせるのは国会承認だ。来夏の参院選で巨大与党の勝利を阻止し、衆参の「ねじれ」を生じさせれば、国会承認は回避できる。今こそ、民意が試されている。

また同氏は自民党の政策研究会でも講演しているからちょっと長い文章だけど参照してほしい。

https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/national_security_act/125165.html

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