帯坂 (左手のビルは日本棋院会館)
前回 前々回と
番町について触れましたが
番町と言えば
「番町皿屋敷」が話題になります。
五番町に旗本 青山主膳(播磨)の
屋敷があり、主膳の妾である
腰元のお菊が主膳の心を試そうと
青山家の家宝である
高麗絵皿を割ってしまう。
主膳は 自分を疑った
お菊を手打ちにするといって
屋敷に監禁してしまう。
お菊は縄付きのまま部屋を
抜け出して裏の井戸に身を投げた。
まもなく夜ごとに井戸の底から
「いちま~い
にま~い ・・・・」と
皿を数える女の声が
聞こえてきたという。
この話には様々なストーリーがあって
皿を割ったのは故意ではないとか
主膳に斬り殺され井戸の中に
放り込まれたとの話もある。
江戸時代に最初に上演されたには
播州姫路を舞台にした
歌舞伎狂言や浄瑠璃だった、
のちに江戸の番町を舞台として
皿屋敷が登場する。
そのお菊が髪をふり乱し、
帯をひきずりながら
ここを通ったという坂道
「帯坂」が 現在の
九段南4丁目と五番町の境にある。
坂の説明文には
「この坂を帯坂といいます。
名称は歌舞伎で有名な
番町皿屋敷の旗本、
青山播磨の腰元お菊が、
髪をふり乱し帯を引きずって
にげたという伝説によります。
また一名切通し坂ともいわれたのは、
寛永年間(1624~1643)
外堀普請の後に市ヶ谷御門へ
抜ける道として切り通されたので
その名がつけられたといいます。
昭和50年(1975)3月
千代田区 」
(資料:「江戸散歩・東京散歩」)