千代田区九段北 靖国神社 境内
12月6日は
剣客 斎藤弥九郎が亡くなった日
斎藤弥九郎は 幕末の剣術家。
1798(寛政10)年
越中国(富山県)氷見郡仏生寺村の
郷士の長男として生まれる。
1812(文化9)年
志をたて江戸へ神道無念流の
岡田十松吉利に入門
同門の江川太郎左衛門
藤田東湖らと親交を結んだ。
1826(文政9)年
29歳で独立し 江川の援助で
九段下俎橋畔に道場 練兵館を開いた。
1835(天保6)年
江川が伊豆韮山の代官になると
その手代として文武の指導
道路河川の改修,品川御台場の
築造などに当たった。
1838(天保9)年
道場を 三番町に移した。
このころ渡辺崋山とも知り合い
思想的に尊王攘夷派へと
傾いていった。
長男の 新太郎(2代弥九郎
1828~88)が萩で長州藩士の
剣術指導をしていたことから
練兵館には長州や薩摩の
志士が多く集まり
門下三千余人ともいわれた。
1868(慶応4)年
明治政府に出仕し
会計官権判事となって大坂に赴任
1871(明治4)年
死去 享年74
境内の説明文には
「 幕末志士ゆかりの練兵館跡
この練兵館(れんぺいかん)は、
神道無念流(しんとうむねんりゅう)の剣客
斉藤弥九郎(さいとうやくろう)により、
それまで俎(まないた)橋付近にあった
練兵館が 天保9年(1838)の火事で
類焼したため、この地に再建され、
その後約30年間隆盛を誇った。
練兵館には、高杉晋作、
桂小五郎(木戸孝允)、
品川弥次郎など幕末の志士が
多数入門し、特に桂小五郎は
剣の腕前も優れ、
師範代もつとめている。
また、伊藤俊輔(伊藤博文)も
出入りしていたといわれる。
なお、この練兵館は
千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、
桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館
とともに、幕末三道場といわれている。」
(NHK「英雄たちの選択]から)