あかない日記

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製絨所所長 井上省三

2020-12-14 | 人物忌


  東京都荒川区南千住6

 

12月14日は 製絨所所長
井上省三 が亡くなった日

井上省三 は 
官営工場千住製絨所初代所長で
旧長州藩士 萩藩厚狭毛利氏家臣
奇兵隊隊長として 倒幕に活躍していた。

1871(明治4)年
 北白川宮能久親王に随行して
 ドイツのベルリンに留学

   兵学から工業に転向し猛職技術を修得
1875(明治8)年
 帰国し 内務省勧業寮へ配属

   その後 再度の欧州留学を行う
1879(明治12)年
 官営千住製絨所の初代所長に就任

1886(明治19)年
 病死 享年42

”日本毛織物工業の父”
とも呼ばれている。

説明文には

「 井上省三(いのうえせいぞう)君碑
 この碑は、官営工場千住製絨所初代所長
 井上省三の功績を後世に伝えるものである。

 
 省三は、長州(現山口県)出身で、
 木戸孝允に従って上京、後にドイツに留学し
 毛織物の技術を修得した。

 
 明治12年の千住製絨所の開業、
 日本羊毛工業の発展に尽力したが、

 明治19年に42歳の若さで死去。
 
 明治21年に製絨所の職員・職工の有志が、
 省三の偉業をしのびこの碑を建立した。

 上部の題字と撰文は、省三と同郷で、
 交遊のあった、
後の外務大臣青木周蔵と
 東京農林学校(後の東大農学部)
 教授松野礀による。

         荒川区教育委員会 」

もう一つの説明文には

「明治12年(1879)この地に官営の
 千住製絨所が設立された。

 それまで輸入に頼っていた
 羊毛製品の国産化を意図して
 建てられたもので、初代所長には
 ドイツで毛織物の技術を学んだ
 井上省三(1845〜1886) を迎え、
 ここに日本の羊毛 工業が始まった。

 
 昭和20年操業が停止するまでの
 70年間、大規模な毛織物の製造が
 行われ日本の羊毛工業の発展に寄与した。

 
 地域の人々から「ラシャ場」と
 呼ばれた赤煉瓦洋風建築のこの工場は、
 荒川区が近代工業地帯として
 発展するきっかけとなった。」