あかない日記

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咸臨丸

2021-03-09 | 出来事・行事


(咸臨丸難航図・横浜開港資料館)Webから

 

前回の遣米使節記念碑文に

「 日米修好通商条約批准書
交換の使命をおびて江戸竹芝より
米艦ポーハタンに搭乗

初の使節として米国に赴いた。」

とあり 使節団一行は
“米艦ポーハタン”に搭乗とある。


当方は 咸臨丸で
赴いたものと思っていたが

咸臨丸は 
ポーハタン号の“護衛艦”として
共にアメリカへ渡り
サンフランシスコまでを
往復しただけであった。


使節団が ポーハタン号により
サンフランシスコに着き

そこから ワシントンまで進み
大統領との謁見や
日米修好通商条約の
批准書交換などを行っている。

 

つまり 咸臨丸一行は

○軍艦奉行
 木村善毅摂津守
(1830-1901・30歳)

○艦 長
 勝 麟太郎
 (1823-1899・38歳)
○通弁主務(通訳)
  中浜万次郎
(ジョン万次郎/1827-1898・33歳)
○教授方  8名

また 木村摂津守従者として
福沢諭吉
(1835-1901・26歳)も乗船していた。

○その他
 水夫、大工、
水焚き(料理人)医者等
 日本人総勢 96人。

○米国側
 ブルック大尉ほか
 アメリカ人船員
 11人が乗船した。

(往路:38日間)
万延元年(1860)1月19日
 遣米使節より1日遅れて浦賀を
 日本人による操作で出港する。

   2日目はジョン万次郎を除く
   日本人すべてが船酔いで
 倒れてしまう。

  そのためサンフランシスコまでの
   航海は米国側が操作を行い
  また航海術を経験している
  中浜万次郎の助力が
  大きかったという。

  ポーハタン号がハワイに
  寄港する間も単独で航海を続け、

  37日間の航海を経て
  ポーハタン号より12日前の

同年2月25日
   サンフランシスコに入港
   日本からの日米修好使節団は
   熱烈な歓迎を受ける。

(復路:45日間)
同年3月19日
 サンフランシスコを出港
 途中ハワイへ寄航(4/4~7)

同年5月5日
   浦賀に帰着。

 

○咸臨丸  
 江戸幕府の軍艦
 オランダで建造
 安政4 (1857) 年進水
 同年長崎に到着
 10万ドルで購入

 長さ 49m 幅 7m
 三マスト
 100馬力の蒸気機関
 内車型汽帆併用船

*参照 
 ・ウィキペデア
 ・「咸臨丸病の日本人」事例集

 

 

 

 

 

 



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