「万延元年 遣米使節記念碑」(港区芝公園内)
前回 ペリー提督に触れたが
同公園内に
「万延元年 遣米使節記念碑」が
置かれている。
碑文には
「 西暦1860年2月9日
(万延元年正月18日)
親見豊前守正興一行は
日米修好通商条約批准書
交換の使命をおびて
江戸竹芝より米艦ポーハタンに搭乗
初の使節として米国に赴いた。
副使 村垣淡路守範正の詠にいう
竹芝の浦波遠くこぎ出でて
世に珍しき舟でなりにけり
遣米使節渡航より百周年にあたり、
日米両国民の友好親善の基礎を
築いたその壮途を
ここに記念するものである。
1960年6月
日米修好通商百年記念行事運営会 」
とあり
この万延元年遣米使節一行は
正使・新見豊前守正興(39歳)
副使・村垣淡路守範正(48歳)
目付・小栗豊後守忠順(34歳)
勘定方、外国方、通弁方、
医師、賄方など
総勢77人であった。
使節一行を乗せたポーハタン号は
1860年2月9日(安政7年1月18日)
品川沖を出港
ハワイ寄港を経て、約1ヵ月後に
サンフランシスコに入港。
その後、当時大コロンビアの
1州であったパナマを訪れ、
汽車で大西洋側の港(アスピンウォール、
現在のコロン)へと移動し、
そこで米艦ロアノーク号に乗船
同年5月15日(万延元年3月25日)
ワシントンに到着。
ブキャナン大統領との謁見や
日米修好通商条約の
批准書交換などを行った。
同年6月8日(4月19日)
ワシントンからニューヨークへ
同年6月29日(5月12日)
ニューヨーク出港
アフリカ西端の
ポルト・グランデ(現在のカーボベルデ)
アフリカのルアンダから喜望峰を経て
バタビア(現在のジャカルタ)
香港を経由し
同年11月10日(9月28日)
江戸に帰港した。
161年前のことであった。
*参照
・ウィキペデア
・「咸臨丸病の日本人」事例集
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