皇帝シャー・ジャハーンは
タージ・マハルのカ完成後
対岸に黒い大理石を用いた使った
自分の霊廟も建設することを構想していた。
もし実現すれば ヤムナー川を挟んで
白と黒の霊廟が建つことになり
イスラーム建築の原則である
対称性(シメントリ)に則し
それこそ 南北に対称形が 果たされただろう。
しかし もうその頃には 国歌財政は傾き 夢は破れ
更に 実の息子アウラングゼーブ帝に
幽閉されてしまった。
そして その死後は 廟を建てられることなく
タージ・マハルの地下墓室に
王妃の棺の横に そっと置かれてしまった、
北岸の胸壁と望楼は
その基礎工事の名残とも言われる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます