先回 一石橋の
名の由来につて触れたが
再度 触れてみる。
現在 一石橋の南詰に
かつての親柱が置かれている。
説明文には
「 中央区民文化財
一石橋の親柱
所在地 八重洲1町目11番先
(前段略)
木橋としては最後となった
明治6年(1873)の一石橋は
長さ14間、幅3間の橋でした。
大正11年(1922)に
東京市道路局によって
鉄骨コンクリート花崗岩張りの
モダンな橋となり、
堂々とした親柱四基をすえた
白亜の橋となったのです。
関東大震災にも落橋せず、
その後も交通上の重要な
橋として使われてきました。
平成9年には
大正11年の橋本体は
全て撤去されましたが、
威風堂々とした
花崗岩の親柱一基は残され、
当時の姿を忍ばせています。
平成14年に
中央区民文化財に登録されました。
平成15年3月
中央区教育委員会 」
説明文にある写真
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