アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

科学的証拠とは

2014年06月22日 | 生活
足利事件という有名な冤罪事件があるけど、私は「殺人犯はそこにいる」(清水潔著、新潮社)を読むまでほとんど内容を知らなかった。

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証拠とされたものは「自供」と「DNA型鑑定」だというが、「自供」はともかく(拷問まがいの自供強要で生まれた冤罪はほかにもある)、DNAいうたらそれはほんまに証拠だろう、とそんな印象を持ってしまうずさんな感覚の持ち主は私だけではないハズ(-_-;;

よく見ると、DNA「型」である。DNAはそりゃオンリーワンだろうけど、この鑑定は塩基配列全部確定とかそういう話ではなくて、「型」。ただしABO式の血液型なんていう雑駁なものとは違って、もっと細かい。だから、この事件で、つかまった菅家さんが犯人と同じDNA「型」だということについては「1000人に1.2人」の「型」だといわれていた。

もっとも、同じ型の別人は当然いるわけで、違う型であれば「犯人でない」ということはいえても、同じ型であるからといって、即犯人とはならない。まずここがひとつのポイントではある。

さらに、この事件のときはまだDNA型鑑定の「はしり」だったもので、このとき使われていた123塩基ラダーマーカーとかいうものは、後に正確性に問題ありってことがわかってきて、ある時点からはアレリックラダーマーカーというものが使われるようになった。精度が増したのはけっこうなことで、それならもういっぺんやってみればよさそうなものだけれど、国はこの鑑定の新旧対応は「紙の上」でつくといってなかなか譲らなかった。

旧「16-26」は新「18-30」に対応するというのである。もともと、新から旧に変えたのは、正確性に問題ありってことなのに、紙の上の読み替えで事足りるとするのはずいぶん乱暴な印象があるけれど、ともかく再審請求はなかなかなかなか通らなくて。

なにせ、天下の「科学警察研究所」のお墨付きだからね。

刑務所内から菅家さんの髪の毛を送ってもらった支援者が新しい方法で鑑定したら、菅家さんは「18-30」でなく「18-29」だという結果になったので再審請求したんだけど、結局五年も経って却下。理由は「それがほんとに菅家さんの髪の毛かどうかわからんじゃないか」ってことで(そんなこと、五年もかかって考えてたの?)。

結局、すったもんだの末、再鑑定に持ち込んだあと、最初は弁護側の鑑定結果をつぶそうとしてたけれど、検察側の鑑定でもとにかく犯人と菅家さんは別人ってことになったので、次は一転して足早に、とにかく無罪ね、ごめんなさいねということで…

何を通り過ぎたかったかというと、当時の鑑定。不正確な方法だったから、ちょいとずれるんならまだしも、なんかもっと間違いがあったみたい。これが白日の下に曝されるとほんとにやばい。だって古い鑑定で、もう死刑になった人もいるんだもの。

そもそも、なんで菅家さんが犯人にされてしまったかというと、当然だけど周辺の詳細な聞き込みから。ある駐在さんが「休みの日だけ隠れ家的な家に来て、家にはいっぱいビデオがある怪しいやつがいる」ってことに気づいて浮上したのが菅家さん。ほかにもそのレベルで怪しい人なんかいくらもいただろうけれど、その中で明確なアリバイがないまま一人だけ残ったのが菅家さんだったということだ。

で、疑った状態で、さらに聞き込みを進めるんだけど、何をどうやっても、目撃証言とかは出てこない。でも出てこない理由は「なぜでないかというと、菅家はさぁ、背が小さくて目立たないんだよな」と納得(?)

とにかく決め手は「隠れ家のような家の中が…ロリコンのビデオとかがたくさん置いてあった」。それで、しつこく尾行するんだけど、菅家さんは交通違反ひとつせず、前兆事案(小さい子に声をかけるとか)もない。それでも執念で、菅家さんが出したゴミからDNA型鑑定して、つかまえたというわけ。

要するに、DNAだけ。くだんのビデオだけど、後にこの本の著者がその山のようなビデオを一本ずつ調べたり、近くのレンタルビデオ屋さんでいつも菅家さんにビデオを貸していた店員に聞き込みしたりしたところ、菅家さんはまったくロリコンビデオをみておらず、彼の好みは…あんまり書きたくないんだけれど…「胸の大きい成人女性」(巨○)ね。まったく違うやん。

それで、その疑問を捜査関係者にぶつけると(「ロリコンビデオがありませんでしたが」)、「ああいう事件を起こしたんだからロリコンに決まってるじゃないか」。まったく話が逆転している。

さっき、目撃証言がまったく出てこなかったと書いたけれど、むしろ、菅家さんの自供に合わない(別の犯人を示唆する)証言ならいくつかあった。けど、検察側に有利な証拠じゃないので、裁判には出てこなくて伏せられてしまっていたのです(残記録、と呼ぶそうだ)。


結局どういうことかというと、DNA型鑑定は、れっきとした、「科学が実用の役に立つ例」だったはずなんだけれど、もちろんそれには限界があり、限界を正しく把握して活用するならよかったけれど、むしろ結論ありきで組織の力で捻じ曲げていくとほんとただのオカルト(魔女裁判)になっちゃうということ。

ところでこの本の著者(記者)は冤罪事件を追うことが目的だったのではなく、真犯人がつかまってほしいというのが当初からの強い強い目的だった。その目的にとって、冤罪でつかまってる人がいると邪魔なので、まずはそれを追いかけた、ということにすぎない。で、そこまでは成就したんだけれど。冤罪の人が17年刑務所にいて出てきたら、もうこの事件は時効。

あと、この幼女殺人事件は「連続」殺人事件だったんだけれど、この菅家さんが他二件の犯人でもあるとされ、されつつも、証拠不十分で(もともと証拠がうまくあるわけないんだけど)不起訴となっていた関係で、それらの事件も当然時効。

ということで、この本のタイトルである「殺人犯はそこにいる」に戻るわけで、この本はノンフィクションホラーなんです。

なんでそんなことになっちゃったかという話は、この本を読むとどんどん背筋がぞくぞくするほど怖いんです。何が怖いって、野放しになっている真犯人も怖いけれど、科学を捻じ曲げていく組織力がほんと怖い。とてもこんなブログ記事に引用できるものじゃないですから、ぜひ直接読んでみてください。

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コメント (2)
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