アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

宿題ひきうけ株式会社

2015年07月30日 | 小学生活
…ってタイトルの小説があったなぁと思いました(^^;;

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宿題代行業者が盛況だ、というネタがいくつかの番組で取り上げられたそうです。ま、季節の話題ですね。

そういう話を聞くと、思うところは人それぞれ、いろいろな感慨があるでしょうけど、私もね、ほら、現役小学生がいて、中学受験ブログなんぞ書いてるときには、あんまり宿題をディスることもやりにくいんで。学校のことなんかどうでもよくて、中学受験さえうまくいけばいいと思ってるんでしょとか思われるのも面倒だし。

学校どうでもいいわけはないんです。過ごす時間が長くて、そこで快適な小学校生活を送れるかどうかは子どもにとってめちゃ大きいことですから。

それに、別にどうしても宿題の時間をギリギリ削らなきゃいけないほど、中学受験勉強をツメツメにして「上」目指してたわけじゃないしね、うちの場合…

どちらかというと、

学校の先生が「やれ」といったからといって、
その課題が自分にとって役に立つか、やるべきかということを考えもせずに
やるという姿勢

そのものがイヤ。

もうちょっと細かくいうと、そういう姿勢を子どもに教え込むのがイヤ。教え込むことを是としている(少なくともそのような態度をとっている)自分がイヤ。

その本音を隠しているのがしんどかった…

今はもう子どもが小学生じゃなくなったから幸せです(^^;;

幸せになってから書いた記事(中学受験ブログ)→「小学校の宿題は「道徳」の課題である

そもそもの問題は、小学校の宿題が「ねじれ」ている…児童本人の勉強のためのものではない(部分が大きい)ことからくるので、その隙間に宿題代行業者が入り込むのはしかたがないといえばまぁ。

私が個人的に好む「道徳」の観点からいえば、やりたくない(それだけの時間を費やす価値がないと思う)宿題があるならそのままブッチしろよと思うのだけど、それは、

「時間」というものを、人の生命、人生の一部であるところのプレシャスなものであると考える一方、
波風立てるということに抵抗がないからであって、
(別に私は何も迷惑行動してないんで、先生が怒って波風立つってんなら波風は先生の責任でしょ)

集団の和を尊ぶという道徳に私より重きを置いている人にとっては、
親が代行するなり、お金で解決するなりするほうが正しいということになるのかもしれませんね。

価値観(道徳)人それぞれ。

ところで、「宿題ひきうけ株式会社」の小説も、やりたくない宿題の代行というところを入り口にして、いろいろ考えるうちに深いところに入り込んでいったって話ですね。ついややこしいところまで考察してしまうネタであるのは小学校の宿題の持つ「ねじれ」によるわけだから、ま、この歪みそのものが日本の文化である、と(独自ではないのかもしれないが)。

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コメント (4)
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