2012年の夏ということは、内藤晃先生公開レッスンに参加したのはもう四年半も前のことだったのですが、そこから進歩がないなぁと思うのは、
←ピアノ弾くって究極の脳トレ。
…頭の回転ですね(爆)
ピアノでどういう音色を出すかとか、フレーズのかたちとか、和声の移り変わりとか、さらにはもう若くないからあんまし期待してなかった部分ですが指が速く動くという面でさえ、ある程度の改善があったと思うのですが、それよりも頭ですよアタマ。
暗譜ができず楽譜ガン見で弾く習慣と関係あると思いますが、常に「楽譜を見る→変換→弾く」という直結した流れがメインになってしまっていって、刹那的というか(^^;; 先のことを準備してない演奏。
つい先日のレッスンでも、「準備が遅い」とびしばし指摘を受け、「ココ(シーンチェンジの直前の小節)では指ではこう弾きながら、頭ではココ(シーンチェンジの直後の小節)のことを考えて準備しておかないと」…ほんとそれですよ…
結局どの先生にどの曲を習おうが、言われる中で根本的な問題はおなじ。停滞感というのもまぁ同根ですね。
過去記事を掘り起こして読んでみたのですが→「乗客にブレーキを感じさせない演奏」
「乗客をどこへ連れて行き、どう感じさせるのか」ということ。運転する人は常に先のことを頭においてなかったら、危険なことこの上ない(^^;;
ここがいつまで経っても改善しないことについて、原因のひとつは、おゆき先生からよく言われるように
「練習が足りない」
ってことです。つまり、さっと必要な音が(頭の中で)出てくるように、さっと自分の思ったタイミングで弾けるように、暗譜するしないというか把握できてなきゃ話が始まらないので、そのためにはやっぱり練習ですよ。
(おゆき先生は、足りない生活時間の中で無理にもっと練習時間を増やせといっているわけではなくて、次から次へ違う曲を弾いてないでもっとじっくり取り組むようにと勧めているわけですが)
自分の中で比べれば、「難易度が比較的低い曲」「長い期間練習した曲」であればやはり停滞しにくいようです。当たり前ですが、「練習が行き届けば改善する」…確かにそのとおり。
でも、どうもそれだけでもないというか、ただ漫然と何度もそのへんを弾いてみた(練習してみた)ということではそのシーンチェンジがうまく乗り越えられないような気もするのです。というのも、確かに音はいちいち探さなくても並ぶようになった、しかし、結局「停滞なく並んだ」というだけのことで、そのシーンチェンジで効果的な演出というか案内人の役割は果たせていない。
結局、今の個所を弾きながら、先のことも考える、この併行タスクがうまくいかない(頭が回らない)ということが問題で、
どうも今までやってみた感じだと、ただ「何度も弾く」という練習では「併行タスク」ができるようにはならない。ただ、AやってBやってという順次進行が滞りなくやれるようになるだけ。
それよりは、頭の中を整理して、今弾いてるところの処理、先のことを想定しておくという作業、これを疑似的にでも併行させることを考えるほうがいい。
「疑似的」というのは、真の意味で併行してはいないんだけれど、Aの一部やってBの一部やってまたAの一部やって…みたいに細かくサンドイッチすることでいちおう併行しているかのように進ませる。もちろんこれをスムーズに流すためには「回数こなす」的な練習も必要なんだけど。
そういえば、おゆき先生が子どものときに受けた(音楽の)早期教育システムには、先生が弾くお手本を一小節遅れでマネして弾くという、同時通訳的な訓練があったと思うんだけど、プロの人はつまりそういう処理がネイティブでできるのね。脳が柔らかいときにそういう訓練をしなかった場合は、意識的に、えっちらおっちら、たどたどしく、外国語を学ぶみたいにやらないといけないんだわ、きっと。
ピアノって、同時にたくさんの音をタテにもヨコにも把握してなきゃいけなくて、しかも先のことと今のことも同時に把握してなきゃいけないんだから、頭がよく回らないとほんと弾けない。指よりこっちのハードルが高いのかも…
まぁ、ボケ防止には最適です(たぶん)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)

…頭の回転ですね(爆)
ピアノでどういう音色を出すかとか、フレーズのかたちとか、和声の移り変わりとか、さらにはもう若くないからあんまし期待してなかった部分ですが指が速く動くという面でさえ、ある程度の改善があったと思うのですが、それよりも頭ですよアタマ。
暗譜ができず楽譜ガン見で弾く習慣と関係あると思いますが、常に「楽譜を見る→変換→弾く」という直結した流れがメインになってしまっていって、刹那的というか(^^;; 先のことを準備してない演奏。
つい先日のレッスンでも、「準備が遅い」とびしばし指摘を受け、「ココ(シーンチェンジの直前の小節)では指ではこう弾きながら、頭ではココ(シーンチェンジの直後の小節)のことを考えて準備しておかないと」…ほんとそれですよ…
結局どの先生にどの曲を習おうが、言われる中で根本的な問題はおなじ。停滞感というのもまぁ同根ですね。
過去記事を掘り起こして読んでみたのですが→「乗客にブレーキを感じさせない演奏」
「乗客をどこへ連れて行き、どう感じさせるのか」ということ。運転する人は常に先のことを頭においてなかったら、危険なことこの上ない(^^;;
ここがいつまで経っても改善しないことについて、原因のひとつは、おゆき先生からよく言われるように
「練習が足りない」
ってことです。つまり、さっと必要な音が(頭の中で)出てくるように、さっと自分の思ったタイミングで弾けるように、暗譜するしないというか把握できてなきゃ話が始まらないので、そのためにはやっぱり練習ですよ。
(おゆき先生は、足りない生活時間の中で無理にもっと練習時間を増やせといっているわけではなくて、次から次へ違う曲を弾いてないでもっとじっくり取り組むようにと勧めているわけですが)
自分の中で比べれば、「難易度が比較的低い曲」「長い期間練習した曲」であればやはり停滞しにくいようです。当たり前ですが、「練習が行き届けば改善する」…確かにそのとおり。
でも、どうもそれだけでもないというか、ただ漫然と何度もそのへんを弾いてみた(練習してみた)ということではそのシーンチェンジがうまく乗り越えられないような気もするのです。というのも、確かに音はいちいち探さなくても並ぶようになった、しかし、結局「停滞なく並んだ」というだけのことで、そのシーンチェンジで効果的な演出というか案内人の役割は果たせていない。
結局、今の個所を弾きながら、先のことも考える、この併行タスクがうまくいかない(頭が回らない)ということが問題で、
どうも今までやってみた感じだと、ただ「何度も弾く」という練習では「併行タスク」ができるようにはならない。ただ、AやってBやってという順次進行が滞りなくやれるようになるだけ。
それよりは、頭の中を整理して、今弾いてるところの処理、先のことを想定しておくという作業、これを疑似的にでも併行させることを考えるほうがいい。
「疑似的」というのは、真の意味で併行してはいないんだけれど、Aの一部やってBの一部やってまたAの一部やって…みたいに細かくサンドイッチすることでいちおう併行しているかのように進ませる。もちろんこれをスムーズに流すためには「回数こなす」的な練習も必要なんだけど。
そういえば、おゆき先生が子どものときに受けた(音楽の)早期教育システムには、先生が弾くお手本を一小節遅れでマネして弾くという、同時通訳的な訓練があったと思うんだけど、プロの人はつまりそういう処理がネイティブでできるのね。脳が柔らかいときにそういう訓練をしなかった場合は、意識的に、えっちらおっちら、たどたどしく、外国語を学ぶみたいにやらないといけないんだわ、きっと。
ピアノって、同時にたくさんの音をタテにもヨコにも把握してなきゃいけなくて、しかも先のことと今のことも同時に把握してなきゃいけないんだから、頭がよく回らないとほんと弾けない。指よりこっちのハードルが高いのかも…
まぁ、ボケ防止には最適です(たぶん)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)