バスケ、バレーボール、野球などの、元々が団体で行うスポーツである場合は、わざわざ「団体戦」といういい方をしないけれど、
←3人のバランスが鍵!?
たとえば卓球のような、基本的には個人対個人で行うスポーツを複数人チーム対抗で行う場合は「団体戦」といいますね。
囲碁将棋の場合も同様です。
学生将棋は7人対7人の試合があって、3対3の状態で(つまり、7局のうちの6局に決着がついて)残された対局にはびっしりとギャラリーがついて、対局者にはたいへんなプレッシャーがかかるわけです。あのヒリヒリした感じ…(注: 私は見てただけです。女子は団体戦がなかったので)
何をいいたいかというと、そうやって、個人でやるものについても束ねて「団体戦」ていうのは可能なのですよね。確かに、言われてみれば。
今、
「全国大学生ピアノ選手権」
というのが行われていて、予選は済んで(録画審査)これから全国大会(リアル会場)だそうなのですが、これは3人のグループで出るコンテストです。なるほどその手があったか…
審査基準としては、演奏の良し悪しはもちろんなのですが、3人分の曲目を並べた結果のプログラムがどれだけうまく構成されているかも含まれるそうです。まぁ通常の(個人の)コンクールでもそれは同じことでしょうけど、複数人の考えや技量をうまく調整して良いプログラムを作るところがおもしろみ(難しさ)かもしれませんね。
イベントとしておもしろい、学生ならではの企画かなと思います。理屈上は、大人アマチュアがグループを作って参加するピアノ団体戦があってもおかしくはないと思いますがあんまりやりたい人がいなさそう…というか組む人を見つけるのが難しいでしょうね。強いていえば教室対抗!?(なんかそれって怖)
ところで、私はいわゆる「体育会系」(コーチや上級生のいうことが絶対であるとか、長時間拘束とか、内部での競争とか)がすごく苦手なのですが、それは自分がそういう場に身を置きたくないというだけのことで、たとえば今、「ハイキュー!!」なんて楽しんで見ているんですよね。自分と無関係・無縁な世界ということでまぁ、好きにやってちょうだい、というか、ぜんぜん気にならないのです。でも、前に家族が部活のブラバンを題材としたアニメを見ていたときはなんかもぅ、気持ち悪くて嫌で嫌で、お母さんの前でそんなアニメ見ないで!! といいたくなるぐらい嫌だった。音楽なのに体育会系というのが、もうとても我慢ならなかったんです(個人の感覚です)。
ブラバンとオケというのもだいぶカルチャーが異なるようで、体育会系度というものを測るとすればオケはブラバンほどではないようですが、それはなぜなのでしょう。いずれも団体で音楽を作るということでは共通しているのですが、やはりブラバンはコンクールに出ること前提なのが大きいでしょうか。
そうするとたとえば大学のピアノサークルも、団体戦のコンクールに出ることが前提になると、私の嫌いな体育会系の風土が培われていくようになるのでしょうか。
という、仮定の話でちょっと妄想してみたのですが…
たぶんですが、仮に毎年のようにコンクールに出る習慣ができたとしても、ブラバンでいうコンクールほどの存在感になることは考えられないと思います。
理由は、出る人数がたいしたことないのと、そもそも一人で弾けるピアノという楽器の性質上、出なくても、あるいは出ようとして選抜に落ちるなどして不本意に出られなくても、どうということがないというか、ほかの活動がいくらでもできるというのがひとつ。
あと、団体戦とはいえ結局のところ練習は自分ひとりでできてしまう、というかひとりでせざるを得ないわけで(練習会とかはともかく)、あまりお互いの干渉も生まれないですからね。
大学将棋部というのを思い出してみても、ピアノと違って勝負というものが本質である部活であり、7人というけっこうな大人数での団体戦に毎年参加していながら、ノリはちっとも体育会系ではなかったので、ピアノごときでそんな体育会系にはならないって気がします。結局は個人技なので。
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囲碁将棋の場合も同様です。
学生将棋は7人対7人の試合があって、3対3の状態で(つまり、7局のうちの6局に決着がついて)残された対局にはびっしりとギャラリーがついて、対局者にはたいへんなプレッシャーがかかるわけです。あのヒリヒリした感じ…(注: 私は見てただけです。女子は団体戦がなかったので)
何をいいたいかというと、そうやって、個人でやるものについても束ねて「団体戦」ていうのは可能なのですよね。確かに、言われてみれば。
今、
「全国大学生ピアノ選手権」
というのが行われていて、予選は済んで(録画審査)これから全国大会(リアル会場)だそうなのですが、これは3人のグループで出るコンテストです。なるほどその手があったか…
審査基準としては、演奏の良し悪しはもちろんなのですが、3人分の曲目を並べた結果のプログラムがどれだけうまく構成されているかも含まれるそうです。まぁ通常の(個人の)コンクールでもそれは同じことでしょうけど、複数人の考えや技量をうまく調整して良いプログラムを作るところがおもしろみ(難しさ)かもしれませんね。
イベントとしておもしろい、学生ならではの企画かなと思います。理屈上は、大人アマチュアがグループを作って参加するピアノ団体戦があってもおかしくはないと思いますがあんまりやりたい人がいなさそう…というか組む人を見つけるのが難しいでしょうね。強いていえば教室対抗!?(なんかそれって怖)
ところで、私はいわゆる「体育会系」(コーチや上級生のいうことが絶対であるとか、長時間拘束とか、内部での競争とか)がすごく苦手なのですが、それは自分がそういう場に身を置きたくないというだけのことで、たとえば今、「ハイキュー!!」なんて楽しんで見ているんですよね。自分と無関係・無縁な世界ということでまぁ、好きにやってちょうだい、というか、ぜんぜん気にならないのです。でも、前に家族が部活のブラバンを題材としたアニメを見ていたときはなんかもぅ、気持ち悪くて嫌で嫌で、お母さんの前でそんなアニメ見ないで!! といいたくなるぐらい嫌だった。音楽なのに体育会系というのが、もうとても我慢ならなかったんです(個人の感覚です)。
ブラバンとオケというのもだいぶカルチャーが異なるようで、体育会系度というものを測るとすればオケはブラバンほどではないようですが、それはなぜなのでしょう。いずれも団体で音楽を作るということでは共通しているのですが、やはりブラバンはコンクールに出ること前提なのが大きいでしょうか。
そうするとたとえば大学のピアノサークルも、団体戦のコンクールに出ることが前提になると、私の嫌いな体育会系の風土が培われていくようになるのでしょうか。
という、仮定の話でちょっと妄想してみたのですが…
たぶんですが、仮に毎年のようにコンクールに出る習慣ができたとしても、ブラバンでいうコンクールほどの存在感になることは考えられないと思います。
理由は、出る人数がたいしたことないのと、そもそも一人で弾けるピアノという楽器の性質上、出なくても、あるいは出ようとして選抜に落ちるなどして不本意に出られなくても、どうということがないというか、ほかの活動がいくらでもできるというのがひとつ。
あと、団体戦とはいえ結局のところ練習は自分ひとりでできてしまう、というかひとりでせざるを得ないわけで(練習会とかはともかく)、あまりお互いの干渉も生まれないですからね。
大学将棋部というのを思い出してみても、ピアノと違って勝負というものが本質である部活であり、7人というけっこうな大人数での団体戦に毎年参加していながら、ノリはちっとも体育会系ではなかったので、ピアノごときでそんな体育会系にはならないって気がします。結局は個人技なので。
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