(昨日の記事の続き)
「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を読んだとき、まずどうしても違和感があったのが…
←この話だけで長くなっちゃったよ
主人公(主犯)を含む数人の「東大生」が、すごく東大生っぽくないというか、「そういうやつはおらんかった」としか思えないこと。
別に、品性下劣な人がいないとかそういうことを言いたいのではないんだけど、「良い」にしても「悪い」にしても、方向性というかキャラクターが、すごくありそうもないことに思えたんです。
もっとも、そういう事件があったことは事実なわけで、そしてこの小説にあるのはその事実から発想した架空の人物なので、私が納得行くも行かないもないんですが…
主人公の「つばさ」は、面倒なことを深く考えて時間を無駄にしたりしない、要領がいいタイプとして描かれています。
高校生になったとき、ややマイナーなスポーツの「パドルテニス」(創設したばかりの部)を選んだことについても
「この部なら毎日遅くまで練習もないだろうから塾にも通いやすいし、先輩のシゴキもなく、なのにいちおう運動部だから、内申点も高くなるんじゃ…」
とありますし、受験で理科一類を選んだことも
「理一の数学は、他の理系学部とは若干傾向がちがう。スタンダードな問題を速くミスなく解くことが求められる傾向が強い。つばさが最も得意とする。」
とあります。
そしてこれまで、挫折もなく深く悩み考えることもなく「つるつるぴかぴかの」自尊心を持っている、ことになってます。
これとは逆に、私が大学生になってまず感じたことは、「要領の悪い人が多い」だったのですが(笑)
気になることをとことん突き詰めて、考える。議論する。
要領のいい人なら、全体をサーーとひととおり大穴が空かないようにしておいてから、時間の許す範囲でバランス良く仕上げるとかね(私はそのタイプ)、そういうのがなくて、バランス悪く、深い。
そんなふうに過ごしてきたから、コンプレックスや、悩みや、挫折や、いろんなものもややこしく抱えていて、とてもじゃないけど「つるつるぴかぴか」どころではない。
なんでそういう人が集まりやすいかといったら、たぶん東大の入試に特徴があるからです。「スタンダードな問題を速くミスなく解くことが求められる」共通一次試験(当時)はありますがその配点は控えめで、あまり影響しない。二次試験は、「本質を深堀り」タイプのオール記述式で、難易度も比較的高いため、どこかボコ穴があってもその代わりにどこか得意なところがあれば合格できる。まぁ理三だけは、取らなきゃいけない点数のレベルが違うからあまり穴があっちゃまずいでしょうけど、ともかく問題は理一から理三まで同じ。
つまり、小説に書かれている上記の内容は実際の入試とはあまりにもかけ離れています(内申関係ないし)。もちろん小説の意図としては別に現実と合わせるつもりもなかったんだろうけれど。
でも、まったく架空の話でよかったのなら、わざわざリアルの大学名を使わず、「T大」や「東都大学」(よく使われる架空の大学名)とかでもよかったはずです。しかし著者あとがきにこういう記述があります:
「人社会での他者との接触の一つに学歴があります。日本社会では、東大を「1」とする秤(のような感覚)があります。そのため本作では、東京大学は実名で出しました。」
この小説のテーマである、いやな感情、いやな気分、それを演出する舞台装置として、「東大」という記号が使われている。
「東大」という記号はあちこちで使われています。テレビ番組のタイトルとして、本の題名として、見出しとして、さらにはピアニストの肩書に至るまで、いろんな方面から便利に利用されている「記号」です。それを支えているものは…
大学入試です。それ以上でも以下でもない。大学に入ったあとに、価値ある学問を究める人もいるでしょうし、中には東大ならではのこともいろいろあるかもしれませんが、それを言い出したらほかの大学でもいろいろな優れた研究が行われているでしょうし、バラバラすぎて簡単な比較の基準がありません。
問題の内容と難易度に特徴がある入試で測られた学力により、スパーッと切られて入学してくる。それ以外のルートが(ほぼ)ない。附属からエスカレーターとか、指定校推薦とか、ちょっと比べにくい(学力以外の)基準で入ってくるルートがない。推薦はごく少数あるけど、よけいたいへん(東大王の鈴木光ちゃんは推薦だそうだ)でどうせ一般入試でも合格するだろう人しか入れない。
なので、実名で「東大」を使うならば、少なくとも入試のところだけは、現実を踏襲するのがよかったんじゃないのかなぁと私は思ったんですけどね。
そしてその「東大」の学生が、あのような犯罪をした、という道筋を描き出してくれたら…実はもっとさらに怖い小説になったような気がします。
(既に十分怖いんですがw)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)を読んだとき、まずどうしても違和感があったのが…
←この話だけで長くなっちゃったよ
主人公(主犯)を含む数人の「東大生」が、すごく東大生っぽくないというか、「そういうやつはおらんかった」としか思えないこと。
別に、品性下劣な人がいないとかそういうことを言いたいのではないんだけど、「良い」にしても「悪い」にしても、方向性というかキャラクターが、すごくありそうもないことに思えたんです。
もっとも、そういう事件があったことは事実なわけで、そしてこの小説にあるのはその事実から発想した架空の人物なので、私が納得行くも行かないもないんですが…
主人公の「つばさ」は、面倒なことを深く考えて時間を無駄にしたりしない、要領がいいタイプとして描かれています。
高校生になったとき、ややマイナーなスポーツの「パドルテニス」(創設したばかりの部)を選んだことについても
「この部なら毎日遅くまで練習もないだろうから塾にも通いやすいし、先輩のシゴキもなく、なのにいちおう運動部だから、内申点も高くなるんじゃ…」
とありますし、受験で理科一類を選んだことも
「理一の数学は、他の理系学部とは若干傾向がちがう。スタンダードな問題を速くミスなく解くことが求められる傾向が強い。つばさが最も得意とする。」
とあります。
そしてこれまで、挫折もなく深く悩み考えることもなく「つるつるぴかぴかの」自尊心を持っている、ことになってます。
これとは逆に、私が大学生になってまず感じたことは、「要領の悪い人が多い」だったのですが(笑)
気になることをとことん突き詰めて、考える。議論する。
要領のいい人なら、全体をサーーとひととおり大穴が空かないようにしておいてから、時間の許す範囲でバランス良く仕上げるとかね(私はそのタイプ)、そういうのがなくて、バランス悪く、深い。
そんなふうに過ごしてきたから、コンプレックスや、悩みや、挫折や、いろんなものもややこしく抱えていて、とてもじゃないけど「つるつるぴかぴか」どころではない。
なんでそういう人が集まりやすいかといったら、たぶん東大の入試に特徴があるからです。「スタンダードな問題を速くミスなく解くことが求められる」共通一次試験(当時)はありますがその配点は控えめで、あまり影響しない。二次試験は、「本質を深堀り」タイプのオール記述式で、難易度も比較的高いため、どこかボコ穴があってもその代わりにどこか得意なところがあれば合格できる。まぁ理三だけは、取らなきゃいけない点数のレベルが違うからあまり穴があっちゃまずいでしょうけど、ともかく問題は理一から理三まで同じ。
つまり、小説に書かれている上記の内容は実際の入試とはあまりにもかけ離れています(内申関係ないし)。もちろん小説の意図としては別に現実と合わせるつもりもなかったんだろうけれど。
でも、まったく架空の話でよかったのなら、わざわざリアルの大学名を使わず、「T大」や「東都大学」(よく使われる架空の大学名)とかでもよかったはずです。しかし著者あとがきにこういう記述があります:
「人社会での他者との接触の一つに学歴があります。日本社会では、東大を「1」とする秤(のような感覚)があります。そのため本作では、東京大学は実名で出しました。」
この小説のテーマである、いやな感情、いやな気分、それを演出する舞台装置として、「東大」という記号が使われている。
「東大」という記号はあちこちで使われています。テレビ番組のタイトルとして、本の題名として、見出しとして、さらにはピアニストの肩書に至るまで、いろんな方面から便利に利用されている「記号」です。それを支えているものは…
大学入試です。それ以上でも以下でもない。大学に入ったあとに、価値ある学問を究める人もいるでしょうし、中には東大ならではのこともいろいろあるかもしれませんが、それを言い出したらほかの大学でもいろいろな優れた研究が行われているでしょうし、バラバラすぎて簡単な比較の基準がありません。
問題の内容と難易度に特徴がある入試で測られた学力により、スパーッと切られて入学してくる。それ以外のルートが(ほぼ)ない。附属からエスカレーターとか、指定校推薦とか、ちょっと比べにくい(学力以外の)基準で入ってくるルートがない。推薦はごく少数あるけど、よけいたいへん(東大王の鈴木光ちゃんは推薦だそうだ)でどうせ一般入試でも合格するだろう人しか入れない。
なので、実名で「東大」を使うならば、少なくとも入試のところだけは、現実を踏襲するのがよかったんじゃないのかなぁと私は思ったんですけどね。
そしてその「東大」の学生が、あのような犯罪をした、という道筋を描き出してくれたら…実はもっとさらに怖い小説になったような気がします。
(既に十分怖いんですがw)
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
いえいえ私が知ってる数人はみんな素敵な方ですよ。お嬢様かどうかは知らんけど
> 仮名の「東都女子大学」だと、そのイメージがうまく出せないんだろうな、と。
そうですね。実在のイメージに乗っかりつつ、でも創作の中としてかなり無理のある変更をしている感じになっています。
> つばさくんは、その「一部分」を全部集めて、
あぁ~それはちょっとわかる気がする…
実在の彼らはどんな人生を送っているのでしょうね。「事件」に至ってしまったあとはなかなか「良識ある大人」路線に乗せるのが難しいかもしれません。
つばさくんの新彼女は私の母校の東女大の学生ですが、あんな頭が良くて育ちも品もいいお嬢様なんていねーよ(笑)。
いや、頑張って探せばいるかもしれないけれども。
しかし、私より0.8世代くらい前まではそういう女性も母校に多かったようです
世間一般にはその頃のイメージを今でも保ってる人も多くて、
そのイメージを表すのに実名の「東京女子大学」を使いたかったんだろうなあ、と思います。
仮名の「東都女子大学」だと、そのイメージがうまく出せないんだろうな、と。
私自身の感想にも書きましたが、「頭がいいから頭が悪い人を支配していい」みたいな感覚を持つ人はいるもので…で、本当にたまたま東大を志望して入ってたりする。
「つばさくん」ではないけれど「つばさくんの一部分」を持っていた人たちはいますが、
つばさくんは、その「一部分」を全部集めて、
そういうタイプの人が東大行ったら、みたいなイメージのシンボルなんだろうな、と思います。
だから、多くの東大生の実態とは合わないでしょうね。
「つばさくんの一部」を持っていただろう人たちも、今は良識ある大人になっているので、
つばさくんも、事件まで至らなければ、40年たったら良識ある大人になっていたかもね…
と思うと、それも結構ホラーだな、と思うのでした。