(さらに昨日の記事の続き)
「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)の中で、主人公つばさたちが、利用できそうな女の子を引っ張ってくるためのサークルとして立ち上げたのが「星座研究会」。
←コロナでそういうキャンパスライフも吹っ飛んでるかと思うとなんだかな
このサークル名は、実際の事件のものがそのまま使われています。もちろん中身については架空というか作者の創作ですけど、星座に合わせてその期間の誕生日の女子をメインに呼んで飲み会をしようという…要するにほぼ飲み会だけのサークルです。
「だってインカレって、異性と知り合いたい、仲よくなるために飲み会したい、って、ようするにこれが本音でしょ。本音のサークルを作るの、いいじゃないかと。でも、本音をラッピングしてやる必要があるわけすよ、対女子には。」というのが、譲治がつばさに趣旨説明したときのセリフ。
…インカレねぇ…
ただ単に複数の大学から学生が集まるサークルということなら、将棋部も、フルート同好会も、室内楽の会も「インカレ」といえます。そして学外から来るのは女子のみという点も「星座研究会」と同じだったけれど、違う点といえば、
・学内の女子もいること
・集まる目的が具体的にあること(フルートとか将棋とか)
この点が違うと、空気としてどう違うのかというと、「男」「女」という属性が先に立つのではなくて具体的な活動が、まずは基本としてあるということですね。
たとえば、ボワモルティエの五重奏をやろうってことであれば、いちおう譜面が読めてだいたい正しい音程とリズムが取れる人を五人集めて、中でもちゃんと吹けそうな人を1stに配置しようかなって話で、男とか女とか関係ない。もちろん、アンサンブルの練習をしているうちに、流れでごはん食べに行ったりもするだろうし、コンサートが終われば打ち上げもするだろうし、あるいは気が合えばフルートと関係なくボウリングとか行ったりするかもしれないですけど(昭和だな)。
そんなこんなで一年とか二年とか経ってみると、その中からいつの間にかカップルができてたりすることはある。あるし、ひょっとしたら元々、サークルに参加した目的が「結婚相手を探す」だったりする場合もあるかもしれないけれど…
…ってか、それ、私だよ…
私の場合、元々大学に入ること自体が「結婚相手探し」だったので、まぁあんまり人のことはいえないんですが、まずは人として親しくなって、友人といえるくらいになって、いろいろ遊んだり飲んだりする中で「この人だ」と思ったらそこで初めて男女としてカップルになったほうが、ハズレ(人として合わない)が少なくてよろしいのではと思うんですよ。
結果としては、サークルでなく学科で一緒だった人(よしぞう)と結婚したんですけど(この人、と決めたのは三年生の夏くらい)。サークルにもいい人いろいろいたな(^^;;
そもそも問題は、つばさ(たち)が、「女性をあまり対等な人間として見ていない」+「(自分は頭がいいから)頭が悪い人を支配していい」というような人間であることなんだけれども、それでもある相手に最初に「人として」会ってしまって、ある程度親しくなった後ではあの事件みたいな犯罪はなかなかしにくいでしょう。
「星座研究会」では、元々、東大生の男子が企画して、そこに指定の女子大の女子を呼んでくるという「男女別枠」として設定されているところが間違いの始まり、いや、始まりではないけれど助長していると思います。
この小説を読んで最初のうちは、こんな人たちいなかったよなぁと思ってしまったのですが、まぁ考えてみれば仮にそんなタイプがいたとしたら、私の目の前にはほとんど現れず、「男女別枠」なインカレサークルでもやっていたのでしょう。
そういえば当時(今もかな?)「男女別枠」のインカレサークルといえば、特定の女子大から女の子を呼んでくるテニスサークルとかがあったものですが、それはどんな雰囲気だったのでしょう。直接は知りませんが、しかしやはり「星座研究会」ではなくまずともかくテニスをするわけで、「人として」会ってしまいますからそこまでの事件は本質的に起こりにくいのではないでしょうか。
個人的には、人にいろいろな属性や特徴がある中でまずとにかく男女で分けて考えるという「男女別枠」があると、いろんな歪が生じやすいんじゃないかなと思うんです。じゃあ女子校ってなんなんだといわれるとアレですが、逆にもう女子しかいないから「男女で分けて考える」ことがなくてものすごく快適な世界なんですよ。それってどうなんだ。うむ。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)の中で、主人公つばさたちが、利用できそうな女の子を引っ張ってくるためのサークルとして立ち上げたのが「星座研究会」。
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このサークル名は、実際の事件のものがそのまま使われています。もちろん中身については架空というか作者の創作ですけど、星座に合わせてその期間の誕生日の女子をメインに呼んで飲み会をしようという…要するにほぼ飲み会だけのサークルです。
「だってインカレって、異性と知り合いたい、仲よくなるために飲み会したい、って、ようするにこれが本音でしょ。本音のサークルを作るの、いいじゃないかと。でも、本音をラッピングしてやる必要があるわけすよ、対女子には。」というのが、譲治がつばさに趣旨説明したときのセリフ。
…インカレねぇ…
ただ単に複数の大学から学生が集まるサークルということなら、将棋部も、フルート同好会も、室内楽の会も「インカレ」といえます。そして学外から来るのは女子のみという点も「星座研究会」と同じだったけれど、違う点といえば、
・学内の女子もいること
・集まる目的が具体的にあること(フルートとか将棋とか)
この点が違うと、空気としてどう違うのかというと、「男」「女」という属性が先に立つのではなくて具体的な活動が、まずは基本としてあるということですね。
たとえば、ボワモルティエの五重奏をやろうってことであれば、いちおう譜面が読めてだいたい正しい音程とリズムが取れる人を五人集めて、中でもちゃんと吹けそうな人を1stに配置しようかなって話で、男とか女とか関係ない。もちろん、アンサンブルの練習をしているうちに、流れでごはん食べに行ったりもするだろうし、コンサートが終われば打ち上げもするだろうし、あるいは気が合えばフルートと関係なくボウリングとか行ったりするかもしれないですけど(昭和だな)。
そんなこんなで一年とか二年とか経ってみると、その中からいつの間にかカップルができてたりすることはある。あるし、ひょっとしたら元々、サークルに参加した目的が「結婚相手を探す」だったりする場合もあるかもしれないけれど…
…ってか、それ、私だよ…
私の場合、元々大学に入ること自体が「結婚相手探し」だったので、まぁあんまり人のことはいえないんですが、まずは人として親しくなって、友人といえるくらいになって、いろいろ遊んだり飲んだりする中で「この人だ」と思ったらそこで初めて男女としてカップルになったほうが、ハズレ(人として合わない)が少なくてよろしいのではと思うんですよ。
結果としては、サークルでなく学科で一緒だった人(よしぞう)と結婚したんですけど(この人、と決めたのは三年生の夏くらい)。サークルにもいい人いろいろいたな(^^;;
そもそも問題は、つばさ(たち)が、「女性をあまり対等な人間として見ていない」+「(自分は頭がいいから)頭が悪い人を支配していい」というような人間であることなんだけれども、それでもある相手に最初に「人として」会ってしまって、ある程度親しくなった後ではあの事件みたいな犯罪はなかなかしにくいでしょう。
「星座研究会」では、元々、東大生の男子が企画して、そこに指定の女子大の女子を呼んでくるという「男女別枠」として設定されているところが間違いの始まり、いや、始まりではないけれど助長していると思います。
この小説を読んで最初のうちは、こんな人たちいなかったよなぁと思ってしまったのですが、まぁ考えてみれば仮にそんなタイプがいたとしたら、私の目の前にはほとんど現れず、「男女別枠」なインカレサークルでもやっていたのでしょう。
そういえば当時(今もかな?)「男女別枠」のインカレサークルといえば、特定の女子大から女の子を呼んでくるテニスサークルとかがあったものですが、それはどんな雰囲気だったのでしょう。直接は知りませんが、しかしやはり「星座研究会」ではなくまずともかくテニスをするわけで、「人として」会ってしまいますからそこまでの事件は本質的に起こりにくいのではないでしょうか。
個人的には、人にいろいろな属性や特徴がある中でまずとにかく男女で分けて考えるという「男女別枠」があると、いろんな歪が生じやすいんじゃないかなと思うんです。じゃあ女子校ってなんなんだといわれるとアレですが、逆にもう女子しかいないから「男女で分けて考える」ことがなくてものすごく快適な世界なんですよ。それってどうなんだ。うむ。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
小説ではなくて、実際の事件で「つばさ」に当たる首謀者の一人は、
私の母校(共学高校)出身だったそうです。
あの学校は、
「男女枠」をあまり考えないヤツでもフツーに暮らせます。
中には「男女枠」な思考の人もいたのかもしれませんが、
学校側がそういうフレームワークではないので、
文化祭や体育祭では男女関係なく荷物運びや段ボール集めもしますし、
男性だから、女性だから、これをやれ、ということもない。
でなかったら、私が3年間過ごせる訳がない(笑)。
でも、そういう高校からでも、あの事件の犯人が出たりする。
多分彼は、高校の時には、
「頭が悪い女性には何したっていい」という態度で過ごしてはいなかっただろうと思います。
そんな態度取ったら、頭がいいチャキチャキの女子同級生に叩き潰されるしね(実例あり)。
でも、そういう事件の犯人になっちゃう。
私自身の感想に、
「頭がいいヤツは頭が悪いヤツを牛耳ってもいい」
という考えの人もいる、という実例を書きましたが、
そういう人だって、中学のクラスメートにはいろんな人がいたはずで、
だから、いろんなタイプと「人として」と知り合ってたはずです。
でも、高校入学時点で、そういう考えになっちゃってる。
小説のつばさくんも、
最初は美咲ちゃんと「人として」知り合ってかわいいと思って、それで付き合ったのに、
どんどん「人」として見なくなってますよね。
つばさくんタイプの人は、知り合った人が「見えてない」んだろうなあ、と思います。
多分、
「テニス」サークルに入っても、周囲の不評が高まって出禁になったりとか、
「音楽」サークル入っても、思う通りにできなくて辞めたりとか、
そうなるんじゃないかな。
なので、フレームワークとしての「男女枠」の問題と言うより、
そもそも何でその根底に「男女枠」を持ってるのか、というか、
「なぜ星座研究会みたいな会を作ろうと思いついたか」というか、
「なぜ、人として知り合ったはずの人が見えていない人がいるのか」みたいな問題なんだろうなーと思います。
高校はいくら難関校でも、その肩書を活かしてぶいぶいいわせる(?)ことはできないだろうけど、東大ならある程度なんとかなっちゃったからいろいろ勘違いしたんかな(知らんけど)
> 「テニス」サークルに入っても、周囲の不評が高まって出禁になったりとか、
> 「音楽」サークル入っても、思う通りにできなくて辞めたりとか、
それはあるかもしれない。東大生特に男子だと人付き合いが苦手な子はけっこういるだろうけど、その苦手さが単に陰キャなだけで、他人を利用しようとか下に見るとかそういうんじゃなければ、自分が興味のあることのエリアでなんでも深堀りすれば楽しめて、出会いサークルを作る必要もないんじゃないかな。