アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

チェンバロで弾くバッハ

2013年12月08日 | ピアノ
ゆかりちゃんを囲むチェンバロの会を企画中でして、会場候補のスタジオの下見に行ってきました。

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けど、ただ見てもつまらないからやっぱり弾かせてもらわないとね。ということで、レッスンの形でお願いして行ってきました(^-^)v

美しい装飾の施された日本製チェンバロ(AKIRA KUVBOTA 1984)で、鍵盤は二段です。楽器はけっこうな長さあって、それに比して幅が狭い!! と感じます(ピアノを見慣れているからね)。

ちょっと触ってみると、チェンバロと聞いてイメージするよりとても硬い弾き心地です。なにしろしょっちゅう触るものではないのであまり自信がないのですが、前にshigさんたち主催のチェンバロの会があったとき、それと、五年くらい前? にチェンバロの会をしたときと、いずれももっと鍵盤は軽く、わ~トリルいくらでも入っちゃうよ~的な感じだったと思います。

ピアノは鍵を下まで押したときに弦を叩きますが、チェンバロは押し下げていく途中で弦をはじくわけです。その、はじくところの手ごたえが「よいしょ」。油断してると叩き損ね、いや、はじき損ねます。うちのピアノのほうがずっと軽い。

というわけでしっかり押し下げるように心がけながらイタコンの二楽章、三楽章を弾いてみますと。二楽章は、チェンバロの会に合わせて慌てて譜読みしていった二年前と違ってわりとしっかり音が頭に入ってますので、あのときよりは滞りなく音が並んでいきます。チェンバロの響き自体は綺麗で、ほわーんといい気持ちになります。弾いてみると、狭いと思った鍵盤数(音域)に、曲がぴったり収まっていることに気づきます。

曲の終わりのほうで、低い「ラ」の音が断続的に響きますが、これってぴったりこのチェンバロの最低音。ピアノで弾くのとなんか感慨が違います。「いちばん」低い音が力強く鳴り続いて、曲をしっかり支えてくれているように聞こえます。

三楽章も弾いてみましたが、鍵盤が硬いのでこれは弾くのがたいへんです。せっせせっせと弾いているとだんだんくたびれてきます。ところで、弾いているうちに思うのですが、響きというか音色がふだんと違うから新鮮で、楽しいですが、あらためて考えるととても単調な感じの演奏になっています。つまり、ピアノで弾くときについているニュアンス、強弱とか、ペダルとかがチェンバロでは出ませんし、微妙な間やテンポのゆれなどについても、弦をはじくのが硬くて自分の思っていたタイミングとややずれているためか、いつものノリ(というものがあればですが)が崩壊します。そうするとつまらない演奏になります。

それでいよいよ、最初のテーマ部分を取り出して、まず右手だけ…1オクターブを弾くときの跳躍の仕方とか、八分音符を二つずつまとめて弾くこととか、拍の頭を強調すること(強調するというのは、つまりは長めに弾くこと?)とか、ポイントを教わったり、先生の弾き方をマネしたりすると、おぉ~♪ちょっとチェンバロっぽくなった!?

そして、左手も、同様に改善を試みまして、よしゃーこんな感じ。と思うが、両手合わせてはまったく弾けない。神経の回路がそのようにできていないので、両方ともCPUの占有率ハンパないみたいです。片手ずつしか無理ですね。

チェンバロを「ほんとうに」習う場合は、もっと古い時代の曲で、シンプルなものを題材に、楽譜(妙~にパラりとした)を読み解いていく方法を勉強して、あれこれ考えて弾くらしいですが、今回は継続して習う予定じゃないので、ためしに、えー作曲者をメモしてくるの忘れた…17世紀のどこかだったか、誰とかさんの曲を見せてもらいました。

小節線がなく、音符は白玉(全音符)ばっかりです。スラーがついているのは押さえたままにしろというしるしだそうなので、それだけ考えて音を並べていきますとなんか不思議な感じです。右と左の掛け合わせ方がこれでいいのやらさっぱり不安になりますが、和音の響きのニュアンスが移り変わっていくのがおもしろいです。先生が弾くと、音の長さもいろいろ伸び縮みし、装飾音もついて、むっちゃ曲らしくなります。こりゃすごい。

ピアノをふだん弾いていると、バッハさんはあらかたいちばん古いくらいの位置づけで意識してしまいますが、チェンバロの世界ではバッハさんは超~新しい人なんです。もろもろあってそれをまるっとまとめちゃったくらいの人物です。チェンバロの世界はバッハに終わり、ピアノの世界はバッハに始まったんですかね!?(乱暴)

チェンバロ初心者用の楽譜をいくつか見せていただいたところ、おなじみのバッハのインベンション1番が。ところが、スラーのつきかた、指番号がピアノ楽譜とめちゃくちゃ違っていてびっくりです。ゆっくりそのとおりに弾いていくとなるほどと思うところもあるのですが、とにかく慣れてないから頭が筋肉痛になりそうです。親指くぐりを避けるのと、二個二個で同じ指セットをずらして使っていくところとかに特徴があるかな?

1つページをめくると、バッハ平均律最初のプレリュード(ドミソドミソドミ…)。これはあんまり難しいこと(指番号)とか書いてないので、素直に弾いていくとまぁ普通に弾けるんですが。「もっと和音の移り変わりを聞きながらここから弾いてみてください」と先生。後半1/3くらいのところからいくと、臨時記号がついて緊張感のある和音とか、それを「こってり(?)」聴くように弾いていくと、おぉ、チェンバロの弾き方なんぞは知らないけれどさっきとずいぶん感じが変わって、ベース音がだんだん下がっていくのがもう快感というか。

下に行くほど豊かな響きが盛られてきて、ぐぐっと幸せな気分になりました。

先生もちょっと(たぶんこのレッスン中でココだけ)おぉっと思ったらしく、「今のよかったですね!!(o_o)」
下のほうになるとすっごく鳴りますね~というと
先生曰く、それは楽器の特徴というより私の弾き方の特徴だという。えー??そういうもの??

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もぎぎさんのワクワクについていこう♪

2013年12月03日 | ピアノ
shig書庫に入り込んで片端から本をめくっていたら、一冊の本から目が離せなくなった(o_o)

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「読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会」(茂木大輔)
頼んで借りて帰りました(^^)

この本には、茂木さんが、本屋で見かけた「のだめ」漫画の音楽的リアリティと、漫画としてのおもしろさにのめりこみ、協力を申し出てから、どんどん、どんどん、雪だるまのように展開していく様子が勢いよく描かれています。

全体が、文化祭のノリ(^^;;

そこまでしなくてもという、こだわりと本気と、ボランティア精神で一気になだれ込んでいってます。

そもそも、茂木さんが「のだめ」に目をとめたのって、表紙絵のオーボエがあまりリアルに描かれていたからなんです。「のだめ」の中で、楽器そのものも、そしてそれを弾く動作も、これでもかというほど緻密に描かれていますよね。でもこれは、著者がもともと楽器と音楽を熟知していたからではなくて、取材と、面倒な作業の積み重ねなわけです。

楽器は、まず拡大して描いてから、縮小してハメ込むんだそうで。ピアノを弾いている手とかも、弾ける人に弾いてもらったら、ビデオ撮りぃの、カメラで撮りぃの、そこから起こしていきます。

「のだめ」漫画がバカ売れしたり、茂木ブレーンがついたりする前から、そのボランティア的なこだわり。

そこに、音楽のプロが本気で応えたら、どうなったか。

まず、「のだめ」が「講談社漫画賞」をもらったときの受賞パーティー。
最初は、単に茂木さんが招待されただけの話なんだけど、そこへ茂木さんは、ボランティアのオケをまるごと連れて行って演奏したんです。しかもすごい面子で…。別に、音楽に関心がある人が集まったパーティーじゃないんですから、最初みんな無関心。「BGM雇ったのかな」くらいなもんで談笑してます。けど、モーツァルトのオーボエ協奏曲あたりからどんどん聴衆を巻き込んでいきます。その後、ブラ1、ベト7で一気に観客を熱狂させます。

「すべては、この晩に始まった」のです。

その後、「のだめコンサート」の企画・指揮、さらには、ドラマ、映画へと進んでいきます。

ドラマの中の音楽がすばらしくて、俳優さんたちがまたそれをちゃんと演じている、ということが作りこまれるまでにどれだけのたくさんの人の努力と技術とセンスがつぎこまれているのかを考えると戦慄が走ります。

それぞれの人が、仕事としてはプロのクオリティーを持っていても、その場その場できちんと対価が支払われるということを求めずに本気を出したからこその大きな潮流です。

その結果どうなったかは誰でも知っていますが、
・漫画・ドラマ・映画・アニメは売れ、
・クラシックで楽しむ人が増え、
・クラシック音楽業界が(やや)うるおった。

WIN-WIN-WINの関係です。いったいどこからそんなエネルギーが噴出して全体にばらまかれたのでしょうか。

もちろん、大勢の製作者と音楽家がばりばり本気を出したからではあるのですが、
膨大な「音楽の素養」が地下に眠っていて、それが噴出したという気がします。

いろんな趣味の世界がそうですが、音楽の世界も、楽しむためにはそれまでの蓄積が効いてきます。
特に、小さいころに音楽に触れて、基礎をだいたい身に着けておくことで、楽しみがぐぐっと増えて、厚みが増すのです。

非クラシックファン読者の、音楽の素養がゼロだったら、いくら掘っても爆発的噴出までは無理だったでしょう。

音楽の授業、あるいは習い事として、音楽に相当な時間を注ぎ込み…
その後、せっかくのその「投資」を生かしてリターンを得ることをせずに…
活用されない「素養」が眠っている。

ここを掘り起こしたところに重要な意味がありました。
でも、まだまだあると思うんですよね。
私も、非常~に微力ながら、鉱床掘り起こしに協力したいんです。だって、寿命いっぱい、大勢でわいわいワクワク楽しみたいもの。

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美しく音楽を描く指揮

2013年12月01日 | バイオリン
私のイケメン好きを知って、aniaさんが誘ってくれたコンサートは、クシシュトフ・ウルバンスキ指揮の東京交響楽団。

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写真を見た感じでは、んーまぁまぁイケメン? びみょう? 角度によるかも…くらい。しかしそもそも「顔立ち」は、私のイケメン評価関数の中で大して重視されてないからな。

演目の最初は、ペンデレツキ「広島の犠牲者にささげる哀歌」。四分音とか、弦楽器の胴を叩く音とかを多用した、このいかにも現代音楽現代音楽した曲は、あんまり好みではないのだけど、でも今日はなんだかあっという間だった。

ウルバンスキさんは指揮棒を持たず、空中に絵を描くようにすいすいと合図を出していく。たとえば二つの声部の音程が、しゅーーっと連続的に合わさっていくとき(そんなのがいっぱいある)、すーっと幅の狭くなる線を描いたり、登場するパートの音を引き出すようにくるりと動かしたり。全体が絵のように美しくて、音楽と一体となり理にかなっていてわかりやすく、惚れ惚れしてしまった。

aniaさんの先生によれば、ウルバンスキさんは楽団員にも評判がいいそうだ。

求める音楽の構成がしっかりしていて、かつ、それを明確に示すことができるというのは、よい指揮者の基本条件だろうか? もちろん、練習時にどんな人当たりなのかは知らないけれど。

確かに、オーケストラが指揮者に「懐いていて」…というのは適切な表現かどうかわからないけど、とにかく信頼してぴたりとついていく感じ。仮に、指揮者のことが気に入らなくても(そういうこともないではないそうなので)、プロなのできちんと演奏はするだろうけど、そりゃもう相性が悪いよりはいいほうがいいでしょう。人間のすることなので。

そのあとは、モーツァルトのピアノ協奏曲第18番と、ブラームスの交響曲第二番。

指揮棒を持たなかったのはペンデレツキ仕様で、ふだんは右手に指揮棒を持って指揮をするらしいけれど、左手はやはり自在に音の動きを示しているし、右手も単に拍子をとっているということでなく、やはり「絵的」に動かしている。

ブラームスの交響曲というと、ほかにもっと有名なのがあると思うけど、二番。客を呼ぶにはやはり有名曲ということになるらしくて、実際、当初行こうとしていたのは別の日の、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲と、ストラヴィンスキーの春祭だったがそっちはすぐ売り切れてしまった。

でもブラ二、よかったですよ~。私はあんまり知らなかったんだけど、いい曲でした。
フセイン・セルメットさんのモーツァルトもまろやかで、生き生きしてて、素敵。

そして、拍手に応えて何度か出てきて、楽団員を順繰りに立たせたりして応えていたウルバンスキさんの所作がほんとにきれいで、
…いやーほんとイケメンですわ。私好みの。

aniaさん、私のツボを完璧に理解していらっしゃいます。

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