カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

今、ここにある地獄

2013-07-28 22:55:55 | 即興小説トレーニング
 地獄は地下にはない、この世にある。

 何とか絶えられるレベルの不幸が立て続けに襲いかかってきたとき、人は己の人生について真剣に考える。だから、たまには不幸に見舞われるのも悪くない。
 最近は、気が付くとそんな戯れ事を呟きながら仰角四十五度の中空に定まらない視線を向けているような気がする。現実逃避と言われそうだが、実際現実というシロモノは人間の背中にぴったりと貼り付いて剥がれない子泣き爺のようなもので、どんなに遠ざかったと思っても律儀にその姿を変えぬまま、或いはより凄まじい姿となり、人間が振り向くのを待っていてくれるのだ。

 事の起こりは交通事故だった。原付バイクでうっかり車の脇をすり抜けようとして、左折しようとした車にぶち当たったのだ。
 幸い悪運は強い方なので原付の下敷きになった割に軽い打撲で済んだが、当然のように警察は来るわ取り調べが終わった頃には右脚が北斗の拳のケンシロウ並みに膨張するわ病院はたらい回しにされるわ職場に連絡を入れたら上司に怒られるわと散々だった。とどめが保険屋と連絡が取れない時間だったので治療費は一時金を負担することになり、何だか呆然とするしかなかった。

 翌日から休みを貰って警察に出頭して病院で治療して保険会社と連絡を取って書類にサインしまくり、それでも何とか自体が落ち着いた一週間後。
 通勤帰りに信号待ちをしていたら、後続車に突っ込まれて玉突き状態で、もう一度右脚をヤった。
 見覚えのある警官に同情されながら検証を終え病院に行ったら担当医が執刀中だと言われ職場に連絡したら絶句され、やはり呆然とするしかなかった。

 保険屋には凄まれ病院には嫌がられ上司には引っ越せと無茶を言われ、手続きに必要な書類を役所まで取りに行ったら改装のため更地になっていて遠方の仮庁舎まで出直す羽目になり、結局全てが終わるのに数ヶ月かかった。

 そして事態が落ち着いた頃、不意に実家から手紙が届いた。人寂しいのか、母はたまにこうやって手紙を送って寄越すのだ。だが、長年の経験から何となく厭な予感を拭えないままに読み進めた手紙の最後には、こうあった。

 お前が交通事故にでも遭っていないかと、よく新聞でそちらの地名の記事を探します。
 もし何かあったら加入してある保険を遠慮無く使いなさい。
コメント

そこに在るもの

2013-07-28 17:27:31 | 即興小説トレーニング
 ごく自然に、自分が一番だと信じながら暮らしてきた。
 事実、自分より優れた相手に出会ったことはなかったし、周囲の人間たちはどう考えても有象無象だった。奴に会うまでは。

 穏やかな性格をしたお人好しで、何が楽しいのか、いつだってニコニコしている。
 そうかと思えば、こと専門分野に関しては妥協のない態度で研究を進めて他人の追随を許さない。
 天才と呼ばれるだけの才能を持った人間が、更に弛みない努力を重ね続ける事によってどれだけの高みに上れるのか、そして、僅かな才能を頼りに突き進んできただけの自分が、そこから比べてどれだけ低い位置にいるのかを、奴はごく自然に示してみせた。

 嫉妬で気が狂いそうだったが、そんな感情を認めるのは己のプライドを更に傷付けるだけだと知っていた自分は更に研究に励み、結果的に基本論理の独自性からくる本流との乖離を招いた。

 一人になった自分に、何故かそれでも奴は笑顔を向けて言った。
「君は凄いよ」

 どんな社会でも、単一理論で構成されたシステムが究極的に行き着くのは緩やかな硬直化の果てにある破綻でしかない。そして、高度に機械化された情報社会に於いて、破綻したシステムが行き着くのは社会そのものの終わりを意味する。
 それ故に自分のような人間が必要なのだと、奴は言った。
「僕は、君のようにはなれないから」

 そう呟いた奴の瞳に見え隠れするのは優越感でも憐憫でもなく、己が決して手に入れることが出来ないものに対する隠しようのない嫉妬。  
コメント

道教え

2013-07-28 13:39:45 | 即興小説トレーニング
 子どもの頃、昼下がりの山道を親戚の家に向かって歩いていた時に、見慣れない虫が私の先を道案内でもするかのように這っていたことがある。

 そう言う習性を持つ虫がいることは知っていたが、出会うのは初めてだったので面白がって後を追いかけていると、いつしか普段通り慣れた道から外れて見知らぬ場所に立っていた。

 既に虫の姿は無く途方に暮れていると、白い着物を着た綺麗なお姉さんに声を掛けられる。
「どうしたの?こんなところで」

 私が素直に虫を追いかけて道に迷ったと答えると、お姉さんは納得したように頷きながら近くに流れていた小さな川を示して言った。
「もう、帰りなさい」

 私は川なんか越えた覚えはなかったが、何故か逆らえないものを感じでお姉さんの言うとおりにした。そして、小柄な私でも跨ぎ越せるような川幅の向こう側に足を踏み入れた途端、いきなり世界が暗転する。

 先程まで昼下がりだった筈の世界は夜の闇に覆われ、月の見えない空には冷たい色をした星が撒かれたように散らばっていた。振り向くとお姉さんの姿も、私が今さっき跨ぎ越したはずの川もなく、訳が判らぬままに見知った道を進んで何とか親戚の家までたどり着くと、何故か私は三日ほど行方不明になっていたらしく大騒ぎになっていた。

 虫に関わる一連の話は誰も信じてくれなかったが、私は今でも昆虫図鑑やネット画像であの時見た虫を探している。鶏の雛ほどに大きく、背中に人間の髑髏を背負ったように見える白い虫を。

コメント