あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

新橋から銀座へ

2009年09月22日 04時19分47秒 | レトロ建築
浜離宮恩賜庭園を出る。
入口と出口は別の場所。
さて、東京メトロ銀座線の「新橋」駅はどっちだ?
降りたのがゆりかもめ「汐留」駅だったから、さっぱりわからん。
ん?あれは…。
あ~~!見たかった黒川記章のビル~~!!
去年の秋か冬にこの建物のビルを近々取り壊すというニュースを見て、壊される前に見たいなあ~と思ったものの、どこにあるか今一所在がわからなかったのね。
●中銀カプセルタワービル

1階にこのコンテナが展示してあります。かつて未来のビルとして造られたんだろうなあ~。
満足。
んで、駅はどっちだ?
うろうろしてたら、変った建物をビルの間で発見!
何コレ??

旧新橋停車場…?ってあれ??
残ってるの~?
ともかくよって見る。
何何、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」へえ~。
入ってみよう。
「第21回企画展『特急「”燕”とその時代」2009.8.4~11.23』
楽しかったです。
でももっと楽しいのはこの建物の地下!
そもそもこの建物は日本最初の鉄道を新橋横浜間に建設した時に造られたもの。
1872(明治5)年10月14日に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎があった場所。その外観を当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものなのです。
新橋停車場駅舎は、1871年5月に着工。同年12月に完成し、西洋建築がまだ珍しかった時代の東京で、鉄道開業直後に西洋風に整備された銀座通りに向って偉容を誇っていました。
文明開化の象徴として親しまれた駅舎は、1923年(大正12)9月1日の関東大震災に際しての火災の為焼失。
1934年(昭和9)に始まった汐留駅改良工事の為、残存していたプラットホームや構内の諸施設も解体されました。
1986年(昭和61)、汐留駅はその使命を終えて廃止され、跡地の再開発工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査が1991年(平成3)から行われた結果、旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内の諸施設の礎石が発掘されました。
1996年(平成8)12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡『旧新橋停車場跡』として国の指定を受け、この史跡を保護しつつ国鉄道発祥の往時を偲ぶために、駅舎を再建することになったものです。
以上パンフレットより。
建物1階の床の一部はガラス張りで、開業当時の駅舎期礎石の遺構を見ることが出来ます。
ちなみに正面玄関階段とプラットホームの先端部分でも、史跡の一部をじかに蜜ことが出来るようになってます。
思いがけず楽しかった。
さて、東京メトロの「新橋」駅へ。
次の目的地は「銀座」の不二家で開催された期間限定『ペコちゃんミュージアム』
●建物の6階から5階への移動階段で撮影。

ここ、着いて早々げんなりする程の大行列でした~。
あうっ。
もっと早い時間に来るんだった~。
このあたりの事は8月28&29&30の日記で確認してね~。新旧ペコちゃん人形やペコちゃんグッズ画像をたくさん掲載してます。
●ペコちゃんショー

これ、問題を正解すると、ペコちゃんグッズをもらえるという~。
この時の問題は『ペコちゃんは何才でしょう?』です。
んで、回答者の答えは『60才!』でして、あまりの歳にペコちゃんはショックを受けて頭を抱えてました。
楽しい。
ペコちゃんは永遠の6才だそうですよ。
いいかげん行列で疲れてしまった。
帰ろう。
再び銀座線に乗って渋谷駅へ。
途中下車でいつものコース。
山田電機の彼に会う~。
●ソフトバンクのお父さん夏仕様です。

コメント
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