あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

鎌倉の秋

2009年10月14日 06時07分42秒 | 鎌倉
時は9月16日、その日あまりにいいお天気だったので、お日様に誘われて鎌倉へ。
目的は2つ。
鶴岡八幡宮で流鏑馬見学&お寺でハギの花観賞。
まずはトップの画像若宮大路の段葛です。
ちょうど彼岸花の季節でした。でも両脇の桜の木、なんか変?
あっれ~??
桜の葉っぱって9月に全部落ちてしまうものなの??
途中で道を逸れ小町大路へ。ここってお寺や歴史の史跡が点在してて歩いてるだけで楽しいのだ。
ん?
「腹切りやぐら」はこっち??
腹切りやぐらってなんだ?やぐらは鎌倉にあるお墓だ。でも腹切りって…?
ここは一つ行ってみよう~~。

え~、この道合ってるんでしょうか?
段々道は細くなっていくし、坂道はきつくなるし…。
あ、あった。
●腹切りやぐら

う~む。この怪しさは何?
ペンペン草が生い茂る一角に「東勝寺跡」って書いてあるし…。
●ハイキング登り口

心引かれる階段…。
でも今日の目的地はこの方角じゃないの…。
小町大路に戻り北上。
目的地の一つめ。
●宝戒寺

前回ここを訪れたのは梅の花の時期でした。
う~む…。
ハギってこんなに房が長くなるんだ…。
参道の萩の房を手で選り分けて進む。
宝戒寺のハギは見慣れた赤じゃなく、白でした。
細い道を回ってるとフヨウの花発見。

あ~~~~っ!!
お日様が頑張り過ぎ。これ絶対真っ黒になっちゃう~~。
懸念は大当たりで、鐘楼は真っ黒。花は色が飛んでしまい残念な写真になっちゃった…。
さて宝戒寺の歴史を紹介しましょう。
「鎌倉時代の執権北条一族の冥福を祈るため、建てられた寺。第一代の時政以来、執権として権勢を極めた北条家も、第14代高時のころになると次第に衰え、内管領の長崎高綱(円喜)に実権を奪われてしまった。高時はこの地にあった屋敷で当時大流行していた猿楽にうつつをぬかし、憂さを晴らしていたが、元弘3年(1333)に新田義貞軍に攻め込まれて敗退、ついに自害してしまう。2年後の建武2年(1335)に、その屋敷跡に後醍醐天皇の命で建てられたのがこの寺で、足利尊氏建立。天台座主五代国師が開山」
あ、高時の腹切りやぐらの意味わかっちゃったぜ。
コメント
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