お城には坂道が大概ありますが、丸亀城の坂道はどこかおかしい。
観光案内所から東へ一直線へ伸びる坂道。ここは大概急です。なんとかかんとか上り切るとそこが見返り坂。
見返り坂。
ここは三の丸北側の石垣が見えます。丸亀城の石垣のなかで最も高く、22メートルの石垣が聳えてます。

石垣があまりに高くて、上段の石垣は見えません。ここから本丸まで三段の高さは40メートルに近いこの城壁は丸亀城を「石の城」と形容される由縁です。

さて、そこから先はさらに勾配のある坂道が。なんとか止んでる雨ですが、足元は濡れてます。
あまりに急で視線は常に足元にあります。
と、いつものマンホール発見。
丸亀市名産うちわがモチーフ。おなじみ丸に金のマークがある金比羅さんのうちわもあったりして。
一気の登れない坂道で、左に目をやると、真新しい修理後の残る石垣を発見。

滑ると怖い坂道をおそるおそる上がると、そこが二の丸。といっても維新後に城内は火災に会い、その上城の櫓はすべて取り壊されてて何も残ってません。ただ伝説のある二の丸井戸が残るのみ。讃岐の子はほぼ知ってる伝説なのですが…。
『羽坂重三郎は常に仕事をする時は裸になって一生懸命働くことから「裸重三」と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功労者です。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけあって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい」とご満悦でした。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることができます」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁を登ってしまいました。
殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に通じた場合、恐ろしいことになると考え、城内の井戸の底を重三郎に探らせて、その隙に石を投じて殺してしまいました。この伝説の井戸が二の丸井戸です。』
これが石垣にまつわる悲しい伝説です。

丸亀城の最短コースを辿って頂上を目指します。と。あっという間に到着です。

はっきり言って、味もそっけもない道です。しかも急なだけであっちゅー間に天守に到着というのは城としておかしいと思う…。実はそこに丸亀城の歴史がかかわってくるのです。
丸亀城を築城した当時、大手門は現在の大手門とは違う場所にありました。
かつての丸亀城は南側にあったのです。だから丸亀城の石垣を本当に堪能したければ、こちらから登らないとダメなのですよ。ってなことで丸亀城の石垣については、後日記事にします。明日は天守について。
観光案内所から東へ一直線へ伸びる坂道。ここは大概急です。なんとかかんとか上り切るとそこが見返り坂。

ここは三の丸北側の石垣が見えます。丸亀城の石垣のなかで最も高く、22メートルの石垣が聳えてます。

石垣があまりに高くて、上段の石垣は見えません。ここから本丸まで三段の高さは40メートルに近いこの城壁は丸亀城を「石の城」と形容される由縁です。

さて、そこから先はさらに勾配のある坂道が。なんとか止んでる雨ですが、足元は濡れてます。
あまりに急で視線は常に足元にあります。
と、いつものマンホール発見。

一気の登れない坂道で、左に目をやると、真新しい修理後の残る石垣を発見。

滑ると怖い坂道をおそるおそる上がると、そこが二の丸。といっても維新後に城内は火災に会い、その上城の櫓はすべて取り壊されてて何も残ってません。ただ伝説のある二の丸井戸が残るのみ。讃岐の子はほぼ知ってる伝説なのですが…。
『羽坂重三郎は常に仕事をする時は裸になって一生懸命働くことから「裸重三」と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功労者です。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけあって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい」とご満悦でした。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることができます」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁を登ってしまいました。
殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に通じた場合、恐ろしいことになると考え、城内の井戸の底を重三郎に探らせて、その隙に石を投じて殺してしまいました。この伝説の井戸が二の丸井戸です。』
これが石垣にまつわる悲しい伝説です。


丸亀城の最短コースを辿って頂上を目指します。と。あっという間に到着です。

はっきり言って、味もそっけもない道です。しかも急なだけであっちゅー間に天守に到着というのは城としておかしいと思う…。実はそこに丸亀城の歴史がかかわってくるのです。
丸亀城を築城した当時、大手門は現在の大手門とは違う場所にありました。
かつての丸亀城は南側にあったのです。だから丸亀城の石垣を本当に堪能したければ、こちらから登らないとダメなのですよ。ってなことで丸亀城の石垣については、後日記事にします。明日は天守について。