明日は創作漫画同人誌即売会、COMITIAです。
有明・東京ビッグサイト西ホール1&2館にて(11:00-16:00)で開催です。
参加サークル3144サークル。
サークル名:竹里館出版局。
サークルは一場所;西2ホールゆー04aにて私も参加します。
当日はCOMITIA初売りで夏の新刊は、あられの中国遼寧省「旅順写真集」と梅原沙実のミニ絵本「ひこにゃん春の日」「ひこにゃん夏の陣」です。よろしくお願いします。
続いて旧英国総領事館です。現在は横浜開港資料館旧館となっています。
「この建物は昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年(1981)から横浜開港資料館として使われている。英国工務局によって設計され、18世紀のジョージアン・スタイルの都市邸宅を思わせるデザインである。その特色は玄関周りによく現れている。敷地はかつて日米和親条約が結ばれた由緒ある土地である。
建築年代:昭和6年(1931)
構造・規模:RC造3階、地下1階
指定・認定:横浜市指定有形文化財/平成12年(2000)11月
設計:英国工務局」とかかれてました。
トップ画像をよ~く見て下さい。
窓の大きさで天井の高さがわかります。1階に総領事室。2階に住居。3階に使用人室があったんですって。
画面中央1階に入口があるのですが、入口の上にはかつて英国王室の紋章がかかげられてました。が、現在は外されてます。

入ってすぐ気づくのが、このプレート。
薩英戦争記念銘板です。薩英戦争とは幕末期に薩=薩摩藩(鹿児島)と英国(大英帝国)が戦争したってことですね。世界史を鑑みると、うっかり日本は大英帝国の植民地になっててもおかしくない事態です。よく回避出来たよな。…なんで回避出来たんだろ??
説明文によりますと「この銘板は、1863年(文久3)8月16日に鹿児島で起きた薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念して、横浜在住のイギリス人が作り、この建物にそなえ付けられたものである。
薩英戦争は、1862年(文久2)8月21日に生麦村(現横浜市鶴見区)で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(いわゆる生麦事件)の賠償金をめぐって、薩摩藩とイギリス人が戦った戦争。」とありました。

休憩室のようなものがありました。ここにはかつての横浜の地図と模型がありました。
2階3階は残念ながら非公開です。

中庭にあるのが玉楠(たまくす)の木です。去年あった横浜開港祭のゆるキャラ「たねまる」はこの木の精霊という設定でした。
実はこの木は歴史の生き証人なのです。

上の画像は1854(嘉永7)年にペリーが500人の武器を持った兵隊をつれて横浜村に上陸した所を描いてます。絵の右端に描かれてるのはこの玉楠の木です。
玉楠の木は江戸時代から同地にあり、日米和親条約の締結(安政元年1854)は、この玉楠の木の近くで行われたといわれています。木は大正12年の関東大震災によぅって幹の部分を焼失したが、残った根から新たに芽が出て現在のものとなりました。すごい~~。

位置関係はこう。緑の丸がたまくすの木。下の長方形が旧英国総領事館。右肩の鍵状の建物が横浜開港資料館の本館です。
有明・東京ビッグサイト西ホール1&2館にて(11:00-16:00)で開催です。
参加サークル3144サークル。
サークル名:竹里館出版局。
サークルは一場所;西2ホールゆー04aにて私も参加します。
当日はCOMITIA初売りで夏の新刊は、あられの中国遼寧省「旅順写真集」と梅原沙実のミニ絵本「ひこにゃん春の日」「ひこにゃん夏の陣」です。よろしくお願いします。
続いて旧英国総領事館です。現在は横浜開港資料館旧館となっています。
「この建物は昭和6年(1931)に英国総領事館として建てられ、昭和56年(1981)から横浜開港資料館として使われている。英国工務局によって設計され、18世紀のジョージアン・スタイルの都市邸宅を思わせるデザインである。その特色は玄関周りによく現れている。敷地はかつて日米和親条約が結ばれた由緒ある土地である。
建築年代:昭和6年(1931)
構造・規模:RC造3階、地下1階
指定・認定:横浜市指定有形文化財/平成12年(2000)11月
設計:英国工務局」とかかれてました。
トップ画像をよ~く見て下さい。
窓の大きさで天井の高さがわかります。1階に総領事室。2階に住居。3階に使用人室があったんですって。
画面中央1階に入口があるのですが、入口の上にはかつて英国王室の紋章がかかげられてました。が、現在は外されてます。

入ってすぐ気づくのが、このプレート。
薩英戦争記念銘板です。薩英戦争とは幕末期に薩=薩摩藩(鹿児島)と英国(大英帝国)が戦争したってことですね。世界史を鑑みると、うっかり日本は大英帝国の植民地になっててもおかしくない事態です。よく回避出来たよな。…なんで回避出来たんだろ??
説明文によりますと「この銘板は、1863年(文久3)8月16日に鹿児島で起きた薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念して、横浜在住のイギリス人が作り、この建物にそなえ付けられたものである。
薩英戦争は、1862年(文久2)8月21日に生麦村(現横浜市鶴見区)で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(いわゆる生麦事件)の賠償金をめぐって、薩摩藩とイギリス人が戦った戦争。」とありました。

休憩室のようなものがありました。ここにはかつての横浜の地図と模型がありました。
2階3階は残念ながら非公開です。

中庭にあるのが玉楠(たまくす)の木です。去年あった横浜開港祭のゆるキャラ「たねまる」はこの木の精霊という設定でした。
実はこの木は歴史の生き証人なのです。

上の画像は1854(嘉永7)年にペリーが500人の武器を持った兵隊をつれて横浜村に上陸した所を描いてます。絵の右端に描かれてるのはこの玉楠の木です。
玉楠の木は江戸時代から同地にあり、日米和親条約の締結(安政元年1854)は、この玉楠の木の近くで行われたといわれています。木は大正12年の関東大震災によぅって幹の部分を焼失したが、残った根から新たに芽が出て現在のものとなりました。すごい~~。

位置関係はこう。緑の丸がたまくすの木。下の長方形が旧英国総領事館。右肩の鍵状の建物が横浜開港資料館の本館です。