神奈川県立博物館(旧横浜正金銀行本店)
明治37(1904)年/設計:妻木頼黄
辰野金吾の日本銀行本店、片山東熊の赤坂離宮迎賓館とともに、日本人建築家による卒業設計とも称すべき記念碑的建築で、国指定の重要文化財となっている。
わあい~~
。と機嫌良く写真を撮ってたら、
職員の人が一言「重要文化財は外側だけね」だって。
へっ??
どゆこと??
どうも完成直後に関東大震災で被災。内部とともに大ドームを焼失したんだって。
燃えたから中は重要文化財指定されてないんだな…。
職員の方の助言に従い、重要文化財の部分で一番の撮影ポイントを教えていただき、撮影したのがトップ画像です。
上の画像で階段を上った先でうっすら見えてるのすがわかりますか?

ステンドグラスです。これも復元。
さて、県立博物館へ来た目的は『天狗推参!』展
天狗推参!展(10月15日の記事)を見る事。
正面玄関から入ると、展覧会の開催されている場所とは反対側になってまして、ぐるりと廻らなければなりません。

こんな感じで。
薄暗くってとても博物館の館内に見えないんですけど~。
そんなこんなで『天狗推参!』展を見終わり、裏口から出ると、博物館の敷地にこんなのが置いてありました。

なぜに大砲??
これにはまたまた関東大震災がかかわっていました。
『旧居留地90番出土の大砲
この大砲は、山下居留地90番地中からm昭和34年にオランダ製の11ポンド砲とともに出土した帝政ロシア製の32ポンド砲です。出土地では、かつてスイスの商社シーベル・ブレンクル商会(慶応元年・1865年創立)が営業していました。この大砲は同商会の取扱商品だった。使われなくなった大砲を錨に作り変えて、横浜に出入りする船舶に販売しようとしたもので、関東大震災によって地中に埋まってしまったものと推定される。
幕末・明治初期の外国人居留地と、そこで営業した外国商館の活動を知る事ができる貴重な資料で、横浜教育委員会より当館へ委託されたものです。
口径165センチ。 全長220センチ。 重量1690キロ。』

これは海岸側の壁面ですが、内陸側の壁面は窓ガラスがあって、一部窓が開いてました。
何が驚いたって、窓が昔の吹きガラス?だっけ??表面が波うってたのですよ。情緒満点。

例え重要文化財指定は外側だけだとしても、威風堂々とした建物の外観です。
先程の建物の説明がざっくりだったので、歴史博物館の前にあった立て看板から。
『国指定史跡 旧横浜正金銀行本店
横浜正金銀行は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年2月28日に設立されました。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました。
この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けております。
さらにこのたび、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。』
ちなみに、中国遼寧省大連にある横浜正金銀行だった建物はこれ。
あれ?
大連の建物って横浜の本店の建物と外観が似てない??屋上の丸いドームの数が大連多いだけのような…。
う~ん。気のせいかな~??
明治37(1904)年/設計:妻木頼黄
辰野金吾の日本銀行本店、片山東熊の赤坂離宮迎賓館とともに、日本人建築家による卒業設計とも称すべき記念碑的建築で、国指定の重要文化財となっている。
わあい~~


職員の人が一言「重要文化財は外側だけね」だって。
へっ??

どゆこと??
どうも完成直後に関東大震災で被災。内部とともに大ドームを焼失したんだって。

燃えたから中は重要文化財指定されてないんだな…。

職員の方の助言に従い、重要文化財の部分で一番の撮影ポイントを教えていただき、撮影したのがトップ画像です。
上の画像で階段を上った先でうっすら見えてるのすがわかりますか?

ステンドグラスです。これも復元。
さて、県立博物館へ来た目的は『天狗推参!』展
天狗推参!展(10月15日の記事)を見る事。
正面玄関から入ると、展覧会の開催されている場所とは反対側になってまして、ぐるりと廻らなければなりません。

こんな感じで。
薄暗くってとても博物館の館内に見えないんですけど~。
そんなこんなで『天狗推参!』展を見終わり、裏口から出ると、博物館の敷地にこんなのが置いてありました。

なぜに大砲??
これにはまたまた関東大震災がかかわっていました。
『旧居留地90番出土の大砲
この大砲は、山下居留地90番地中からm昭和34年にオランダ製の11ポンド砲とともに出土した帝政ロシア製の32ポンド砲です。出土地では、かつてスイスの商社シーベル・ブレンクル商会(慶応元年・1865年創立)が営業していました。この大砲は同商会の取扱商品だった。使われなくなった大砲を錨に作り変えて、横浜に出入りする船舶に販売しようとしたもので、関東大震災によって地中に埋まってしまったものと推定される。
幕末・明治初期の外国人居留地と、そこで営業した外国商館の活動を知る事ができる貴重な資料で、横浜教育委員会より当館へ委託されたものです。
口径165センチ。 全長220センチ。 重量1690キロ。』

これは海岸側の壁面ですが、内陸側の壁面は窓ガラスがあって、一部窓が開いてました。
何が驚いたって、窓が昔の吹きガラス?だっけ??表面が波うってたのですよ。情緒満点。

例え重要文化財指定は外側だけだとしても、威風堂々とした建物の外観です。
先程の建物の説明がざっくりだったので、歴史博物館の前にあった立て看板から。
『国指定史跡 旧横浜正金銀行本店
横浜正金銀行は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年2月28日に設立されました。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました。
この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けております。
さらにこのたび、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。』
ちなみに、中国遼寧省大連にある横浜正金銀行だった建物はこれ。

あれ?
大連の建物って横浜の本店の建物と外観が似てない??屋上の丸いドームの数が大連多いだけのような…。
う~ん。気のせいかな~??