以前にも紹介したこどがあります。今回は同行の友人の案内です。東京芸大に隣接。
公開日:日・火・木曜(水・金・土曜日はホールの使用がない場合)
公開時間:午前9時30分ー午後4時30分
入館料:一般300円 *木曜コンサート、日曜コンサートがある時は入場料500円
訪問した日は、本居長世の展覧会(10月10日-11月30日)をやってました。名前は知らなくとも、彼が作詞・作曲した童謡には聞き覚えがあるハズ。「赤い靴」「七つの子」「青い目の人形」「汽車ぽっぽ」「通りゃんせ」「十五夜お月さん」などなど。会場には彼の創った童謡が流れていました。
彼は有名な国学者本居宣長の家系に生まれ、日本語の美しさをよく表現した作詞を残しています。また娘達に童謡を唱わせて、日本全国津々浦々まで歌の旅をしました。少し驚いたのは彼と共に歌の旅をしていた娘さんが今も存命してて、そのうえうちの隣町に暮らしてるとか。

この建物は、東京芸術大学音楽部の前身であった東京音楽学校の校舎施設として、明治23年5月に建造されたものです。
木造2階立ての桟瓦葺で、中央家と翼家から成ります。奏楽堂は中央家二階にある講堂兼音楽ホールのことを呼びます。このホールはかつて滝廉太郎がピアノを弾き、
奏楽堂前に立つ滝廉太郎像
山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
日本最古の洋楽音楽ホールとして、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
パイプオルガン
由来:このオルガンは、徳川頼貞が創建した南葵音楽堂に設置するため、1914年(大正3)英国のアボット・アンド・スミス社に発注された。第一次世界大戦のため完成が大幅に遅れ、南葵音楽堂に設置され、オルガン披露演奏会が行われたのは1920年(大正9)11月のことで、わが国初のコンサート用オルガンとして注目を集めた。その後、1923年(大正12)の関東大震災で南葵音楽堂が破損し使用不能となったため、オルガンは1928年(昭和3)頼貞氏より東京音楽学校に寄贈、同奏楽堂に移設された。
この楽器のパイプの出所については不明な点が多いが、元東京芸術大学教授秋元道雄氏の調査によると、1851年ロンドンでひらかれた「第一回万国博覧会」に、ドイツのエドゥムント・シュルツェが出品したオルガンのパイプが流用あるいは改造されたのではないかと推察されている。
1950年代後半に入ると、損傷が著しくなった。1972年(昭和47)奏楽堂の明治村移転計画に伴いオルガンの解体もささやかれたが「奏楽堂のパイプオルガンをよみがえらせる会」をはじめとした人々の手でオルガンの修復を促し、1987年(昭和62)奏楽堂の移築再建とともに古き良き時代のなつかしい響きを再びよみがえらせるに至った。
以上は舞台下にあった説明文の抜粋です。いつかこのパイプオルガンの音を聞いてみたいな。ちなみに、第二&第三日曜の演奏会で聞く事が出来ます。

/入場券
上の画像を見て思ったのですが、古建築を堪能するには、冬が最適なのですね。なぜって、冬になると落葉樹が葉を落としてくれるので建物がスケてよくわかるんですよ。そうだったのか~。つまり古建築鑑賞シーズンは冬!これからが本番なんですね。
公開日:日・火・木曜(水・金・土曜日はホールの使用がない場合)
公開時間:午前9時30分ー午後4時30分
入館料:一般300円 *木曜コンサート、日曜コンサートがある時は入場料500円
訪問した日は、本居長世の展覧会(10月10日-11月30日)をやってました。名前は知らなくとも、彼が作詞・作曲した童謡には聞き覚えがあるハズ。「赤い靴」「七つの子」「青い目の人形」「汽車ぽっぽ」「通りゃんせ」「十五夜お月さん」などなど。会場には彼の創った童謡が流れていました。
彼は有名な国学者本居宣長の家系に生まれ、日本語の美しさをよく表現した作詞を残しています。また娘達に童謡を唱わせて、日本全国津々浦々まで歌の旅をしました。少し驚いたのは彼と共に歌の旅をしていた娘さんが今も存命してて、そのうえうちの隣町に暮らしてるとか。

この建物は、東京芸術大学音楽部の前身であった東京音楽学校の校舎施設として、明治23年5月に建造されたものです。
木造2階立ての桟瓦葺で、中央家と翼家から成ります。奏楽堂は中央家二階にある講堂兼音楽ホールのことを呼びます。このホールはかつて滝廉太郎がピアノを弾き、

山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
日本最古の洋楽音楽ホールとして、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。

由来:このオルガンは、徳川頼貞が創建した南葵音楽堂に設置するため、1914年(大正3)英国のアボット・アンド・スミス社に発注された。第一次世界大戦のため完成が大幅に遅れ、南葵音楽堂に設置され、オルガン披露演奏会が行われたのは1920年(大正9)11月のことで、わが国初のコンサート用オルガンとして注目を集めた。その後、1923年(大正12)の関東大震災で南葵音楽堂が破損し使用不能となったため、オルガンは1928年(昭和3)頼貞氏より東京音楽学校に寄贈、同奏楽堂に移設された。
この楽器のパイプの出所については不明な点が多いが、元東京芸術大学教授秋元道雄氏の調査によると、1851年ロンドンでひらかれた「第一回万国博覧会」に、ドイツのエドゥムント・シュルツェが出品したオルガンのパイプが流用あるいは改造されたのではないかと推察されている。
1950年代後半に入ると、損傷が著しくなった。1972年(昭和47)奏楽堂の明治村移転計画に伴いオルガンの解体もささやかれたが「奏楽堂のパイプオルガンをよみがえらせる会」をはじめとした人々の手でオルガンの修復を促し、1987年(昭和62)奏楽堂の移築再建とともに古き良き時代のなつかしい響きを再びよみがえらせるに至った。
以上は舞台下にあった説明文の抜粋です。いつかこのパイプオルガンの音を聞いてみたいな。ちなみに、第二&第三日曜の演奏会で聞く事が出来ます。


上の画像を見て思ったのですが、古建築を堪能するには、冬が最適なのですね。なぜって、冬になると落葉樹が葉を落としてくれるので建物がスケてよくわかるんですよ。そうだったのか~。つまり古建築鑑賞シーズンは冬!これからが本番なんですね。