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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

殿ケ谷戸庭園の紅葉

2014年11月19日 01時10分35秒 | 紅葉散歩
JR国分寺駅西側にある日立製作所中央研究所の庭園公開の後、駅の南口から徒歩2分にある殿ケ谷戸庭園を訪れました。
ここ、実は去年、2013年11月29日に訪問しています。その時は燃え上がるような真っ赤なモミジが沢山迎えてくれたのですが、まだ早かったようです。
紅葉の最盛期はこうなります。殿ケ谷戸庭園の紅葉(2013年12月3日)の記事

到着時刻は2014年11月16日午後12時50分。
上の画像は紅葉亭から国分寺崖線の斜面を見下ろし撮影しています。午後1時だとこの角度からでは逆光になるようです。

背後に紅葉亭の建物を背負っての撮影です。

紅葉亭は数寄屋造りの茶室ですが、この日はダニエル・コフリン氏のギター演奏会が午後1時からありまして、演奏会を待つ人々で一杯でした。
園内はまだまだ紅葉の見頃には遠い感じでした。



でも紅葉亭から見下ろす次郎弁天池の斜面は、日当りがよいようでモミジの色づきがいち早く進んでいます。

ギター演奏会待ちの人が多過ぎる~。ここ、あんまり広くないんですよ。私、諦める…。
移動した先は馬頭観音です。
説明板発見:建立年代:文政7年(1824)7月23日
施主:国分寺村 本多氏(お鷹の道を歩いてると、本多さんの表札が多々見受けられました。一族なのかな?)
石材:福島県産 やめ石
この馬頭観音は、国分寺市内に11基残る馬頭観音のひとつ。
当時の国分寺村は、戸数66・男157人・女149人・馬22頭という状況でした。
これは江戸幕府が同程度の村に期待した馬の飼育数15頭を大きく超えています。
馬は農耕の大切な担い手でしたが、その他にも、農耕の合間に江戸へ薪炭・野菜などを運ぶ賃稼ぎにも馬は書かせないものでした。
国分寺村が府中宿への助郷(すけごう)として馬の供給を負担していたことも、この村に馬が多かった理由のひとつでしょう。 だとか。へえ~へえ~へえ~~。

馬頭観音の設置してある場所から、崖下を見下ろして撮影。ここね。去年は真っ赤なモミジの風景が広がっていました。

馬頭観音から続く坂道の途中で、本館を撮影。庭園で配布しているチラシによりますと「本館は岩崎彦彌太の別邸として、昭和9年に建てられた洋館。内部は日本間と洋間が融和した和洋折衷の形式となっていました。」だそうで。現存しているのは一部です。

元はこんなに立派な建物でした。

せっかくなので、綺麗に紅葉してる場所を探してまたまた国分寺崖線を登ってみた。
疲れた。

次郎弁天池は、涌き出る地下水を利用して作られています。ハケ(崖線)が敷地にあり、庭園をもれなく楽しもうとすると、登ったり下ったりを繰り返すハメに…。

庭園出口近くに小菊を展示する区画がありましたが、既に見頃は過ぎてしまってます。
殿ケ谷戸庭園の滞在は、50分強。
「んで、この後どうする?たぶん今から昭和記念公園へ移動すると到着は午後2時過ぎると思うんだ」
さあ。どうする!?ちなみに、昭和記念公園はただ今紅葉の見頃の盛りを迎えているんだよ~~。
コメント
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