今日から2019年2月17日の刀剣展と巨木探訪散策を紹介します。
最初は渋谷駅から徒歩約13分の距離にある国学院大学博物館から。開館が10時なので少し遅めに家を出た。ところが、ああ、渋谷ダンジョン!!
渋谷駅で迷う。いや、正確には地上に出てから迷った!六本木通りはどこだ〜??渋谷警察署が目印はハズ。
渋谷駅っていっつも工事してるよね。渋谷駅も何度も乗り降りしてるのに迷った!地上に出てからも迷った理由は坂道です。まさか六本木通りが坂道だなんて〜。坂は可能な限り回避したい私は、坂道を見てもそれが目的の六本木通りだと認識できず。しかも!坂道は途中でY字に別れてて、登ってる道が正解かどうか確信が持てず。恐る恐る登ってたら、「金王神社」というのを見つけた。
アレ?なんか記憶が刺激された?と、予定にはなかったけど寄り道した。
金王神社さんに行ってみて、見た気がした。もしかしてブラタモリ?
そうだよ〜、何年か前に金王神社さんで高低差についてタモリさんが語ってたのを思い出した!
あれだ!渋谷川の回。小学校の音楽で「春の小川はさらさら行くよ〜」と歌ったことありますか?あのモデルの川が渋谷川です。金王神社さんは中世の渋谷城だった!でブラタモリお得意のCG画像が流れたんだった。あ〜すっきり!
さて、境内を見回すと、立派な神楽殿もあった。
そして御神木。
今私のブームが巨木探訪なせいか、木を見るとついつい観察してしまう。
1周して気づく。もしかして、向こう側が見えてる?
御神木には大きな洞があった。
あ。説明板発見!:金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)社殿及び門 附 渡り廊下 区指定有形文化財
社記によると、この八幡は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治6年(1092)に創建したといわれます。
現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長17年(1612)に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。
門は、明和6年(1769)と享和元年(1801)に造られたとする二説があり、江戸中期の建立には違いがありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
このあたり一帯の高台には、渋谷氏の居館があったと伝わり、東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い地形(黒鍬谷)があって、城館を囲んでいるうえ、かつては数カ所に湧泉があるという好条件を備えていました。
しかし、その城館は大永4年(1524)、北条氏と上杉氏の合戦のとき、北条氏の一群に焼き払われてしまったということです。
平成22年には、社殿に付属してその価値をいっそう高める建造物として、渡り廊下が附として追加指定されました。」
あ。だから神社が東、江戸城方面に向けて建ててあるのかも?違うかな〜?だって正面が南に向いてない神社って結構レアだもんな。
で?ここからどうやって国学院大学へ行けばいいんだ??予定にない寄り道につき、しかも苦手な高低差を前に困ってたら、親切な年配の警察官、もしかしたら警備員さんだったかも?が、丁寧に案内してくださいました。もうとても助かりました。今時はスマフォで道案内できるんだろうけど、私、スマフォ持ってないんだよ〜。
10時6分、国学院大学博物館に到着です。
最初は渋谷駅から徒歩約13分の距離にある国学院大学博物館から。開館が10時なので少し遅めに家を出た。ところが、ああ、渋谷ダンジョン!!
渋谷駅で迷う。いや、正確には地上に出てから迷った!六本木通りはどこだ〜??渋谷警察署が目印はハズ。
渋谷駅っていっつも工事してるよね。渋谷駅も何度も乗り降りしてるのに迷った!地上に出てからも迷った理由は坂道です。まさか六本木通りが坂道だなんて〜。坂は可能な限り回避したい私は、坂道を見てもそれが目的の六本木通りだと認識できず。しかも!坂道は途中でY字に別れてて、登ってる道が正解かどうか確信が持てず。恐る恐る登ってたら、「金王神社」というのを見つけた。
アレ?なんか記憶が刺激された?と、予定にはなかったけど寄り道した。
金王神社さんに行ってみて、見た気がした。もしかしてブラタモリ?
そうだよ〜、何年か前に金王神社さんで高低差についてタモリさんが語ってたのを思い出した!
あれだ!渋谷川の回。小学校の音楽で「春の小川はさらさら行くよ〜」と歌ったことありますか?あのモデルの川が渋谷川です。金王神社さんは中世の渋谷城だった!でブラタモリお得意のCG画像が流れたんだった。あ〜すっきり!
さて、境内を見回すと、立派な神楽殿もあった。
そして御神木。
今私のブームが巨木探訪なせいか、木を見るとついつい観察してしまう。
1周して気づく。もしかして、向こう側が見えてる?
御神木には大きな洞があった。
あ。説明板発見!:金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)社殿及び門 附 渡り廊下 区指定有形文化財
社記によると、この八幡は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治6年(1092)に創建したといわれます。
現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長17年(1612)に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。
門は、明和6年(1769)と享和元年(1801)に造られたとする二説があり、江戸中期の建立には違いがありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
このあたり一帯の高台には、渋谷氏の居館があったと伝わり、東に鎌倉道、西に渋谷川が流れ、北東には低い地形(黒鍬谷)があって、城館を囲んでいるうえ、かつては数カ所に湧泉があるという好条件を備えていました。
しかし、その城館は大永4年(1524)、北条氏と上杉氏の合戦のとき、北条氏の一群に焼き払われてしまったということです。
平成22年には、社殿に付属してその価値をいっそう高める建造物として、渡り廊下が附として追加指定されました。」
あ。だから神社が東、江戸城方面に向けて建ててあるのかも?違うかな〜?だって正面が南に向いてない神社って結構レアだもんな。
で?ここからどうやって国学院大学へ行けばいいんだ??予定にない寄り道につき、しかも苦手な高低差を前に困ってたら、親切な年配の警察官、もしかしたら警備員さんだったかも?が、丁寧に案内してくださいました。もうとても助かりました。今時はスマフォで道案内できるんだろうけど、私、スマフォ持ってないんだよ〜。
10時6分、国学院大学博物館に到着です。